小山ナザレン教会

探し続ける神(稲葉基嗣) – 創世記 3:1–13


Listen Later

2025年6月15日 三位一体の主日

説教題:探し続ける神

聖書: 創世記 3:1–13、ルカによる福音書 15:1–10、詩編 42、ヨハネの手紙 一 4:12–16

説教者:稲葉基嗣

 

-----

神は大切なものを失い、探し回っています。神との約束を破り、神の元から離れ、隠れている人間たちを神は探し続けました。神は彼らに向かって「どこにいるのか」(9節)と呼びかけます。それは、過ちを犯した人間を呼び出して、問い詰め、罰するためではありません。そうではなく、人間たちとの間に、また関係を築き直すためでした。根本的な問題は、ヘビから誘惑を受けたことではなく、人間が善悪の知識の木に手を伸ばし、神のようになることを願ったことでした。それは、善悪の知識の木に手を伸ばすことによって、人間が神への信頼よりも、神のような知恵を獲得し、知恵を持つ自らへの信頼を選び取った瞬間でした。人間が神のように善悪を判断することができることは、平和や秩序よりも、争いや無秩序をこの世界にもたらしてしまいます。自分を中心に置くならば、当然のように、お互いの主張はぶつかり合います。エデンの園において、人間たちは、お互いに罪をなすりつけ合いました。平和や秩序ではなく、争いや混沌が周囲に、そして世界に広がっていったのです。この物語は、そんなこの世界の現実だけを映し出しているわけではありません。私たちのこのような世界に、神が関わり続けてくださっていることを伝えます。傷ついたこの世界を癒やし、争い合っている人びとを結び合わせるために、神から離れた人間たちのもとに、神が歩み寄り、神が「どこにいるのか」と呼びかけながら、探しています。人となって、私たちと共に生きてくださったイエス・キリストこそ、「どこにいるのか?」と呼びかける、絶え間なく響く神の声です。「どこにいるのか?」と探し続けた神は、人となり、私たちを追いかけてきました。何度私たちが離れていこうとも、何度私たちが隠れようとも、父、子、聖霊の三位一体であられる神は、私たちを探し続け、私たちと共に歩み、私たちと関わりを持とうとしています。実に、私たちの傷ついた命を癒やし、弱り果てた心を励まし、希望のないところに、希望をもたらすために、神は私たちを今も探し続けてくださっています。「どこにいるのか」と。そこから、自分を中心にして生きること、自分の知恵だけに頼ることを私たちは手放すことが出来るからです。どうか、自分を中心に置くのではなく、共に生きる人たちと手を取り合いながら、神の知恵にこそ頼って、これからも神と共に歩み続けることができますように。神の声に耳を傾けるみなさんを通して、少しずつこの世界に混沌ではなく、命が広がっていきますように。

...more
View all episodesView all episodes
Download on the App Store

小山ナザレン教会By 小山ナザレン教会