2023年7月30日 三位一体後第8主日
説教題:たとえ理想通りでなかったとしても
聖書:フィリピの信徒への手紙 1:12−18、創世記50:15−21、マルコによる福音書4:26−29、詩編122
説教者:稲葉基嗣
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【説教要旨】
福音は、イエス・キリストによって実現した神の救いを言い表し、キリスト教会がその喜びを宣言する言葉です。パウロにとって、福音は自分だけが喜ぶべきものではありませんでした。パウロにとって福音は、民族も、社会的な立場も、文化も、物理的な距離も、時代的な距離も、乗り越えていくことのできるものでした。あらゆる場所に喜ばしいニュースが広がることを願ったから、パウロはイエスさまを伝える旅を続けました。
全世界に福音が行き渡っていくことは、パウロが抱いた理想でした。そんなパウロの思いを知っていたであろうフィリピ教会の人たちは、パウロが投獄されていることを耳にしたとき、パウロがどれほど落胆しているのかを想像したことでしょう。
でも、驚いたことに、パウロは喜んでいます。投獄され、鎖に繋がれ、自由を奪われている自分のこの現状が、「かえって福音の前進につながった」(12節)からです。投獄がきかっけとなり、パウロは兵士たちにキリストを伝える機会を得ました。また、パウロが捕らえられたことを知り、立ち上がった人びともいました。パウロを貶めたいという悪い動機を持っていた人がいたとしても、結果的にキリストの名が広まり、福音が広まっていったことをパウロは知りました。
たしかにそれはパウロの理想通りの福音の広がり方ではなかったと思います。けれども、パウロが直面した障害や困難さえも、神が用いて、神ご自身がその目的を実現してくださることをパウロは知りました。自分は逮捕され、不自由であるけれど、「かえって福音の前進につながった」と。
パウロがここで使っている「前進する」と訳されているギリシア語の単語は、障害や困難を切り開いて前進していくという意味です。障害を乗り越え、切り開いて、確かに福音は前進しているというパウロの強い確信がこの言葉には込められています。
パウロが生きた時代から2000年近い時が流れて、今、キリストの福音はどれほどこの世界に、この社会に広がっているのでしょうか。教会はあり、福音は語られているけど、この世界には争いも、不正義も、不平等があり、人間の悪がはびこっています。まだまだキリストの福音が前進を求めているのは明らかです。キリストの平和や憐れみがもっともっとこの世界に浸透していく必要があります。
一体どうやって、この世界で、この時代に、福音は前進していくのでしょうか。キリストの福音に触れ、福音を喜ぶ、ありのままのわたしたちをキリストにある喜びや平和や愛や憐れみをこの世界に浸透させ、前進させるために神はこの世界へと送り出してくださっています。