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王の声|CLEAR #6
森は毎朝、天気より先にCLEARを開いた
起き上がる前に、布団の中でスマホを手に取る
画面には、今日の選択が並んでいた
通勤経路:A経路推奨。B経路は7時42分から8時11分の間、対人トラブル発生リスク17%上昇
午前の会議:成功率64%。発言タイミングは開始後23分以降を推奨。早期発言は逆効果の可能性
上司との会話:今日は回避推奨。昨日の気圧変化と睡眠データから、機嫌指数が低め
昼食:12時15分以降に外出すれば混雑回避可能。推奨店舗3件
家族連絡:妻への連絡は20時以降が最適。子どもの就寝前後で感情受容率が変わります
森はそれを五分かけて確認してから、起き上がった
シャワーを浴びながら、会議での発言内容を考えた
開始後二十三分
それまでは聞いていればいい
CLEARを使い始めて、四年が経っていた
最初の一年は、天気と通勤経路だけだった
それが少しずつ広がった
会議の成功率を見るようになったのは、大きなプレゼンで失敗した直後だった
あの日、CLEARは対人リスクの上昇を示していた
見ていれば、と思った
それからは、毎朝確認するようになった
上司との会話リスクを見るようになったのは、昇進を逃した後だった
家族への連絡タイミングを見るようになったのは、妻との口論が続いた時期だった
CLEARは正しかった
推奨通りに動くと、物事はうまくいった
会議での発言は通り、上司との関係は改善し、妻との会話は穏やかになった
森の生活は、CLEARを使い始めてから、確実に良くなっていた
だから疑う理由が、なかった
その朝も、いつも通りに出勤した
A経路で駅まで歩いた
CLEARが示した時間帯を外して乗車した
席に座り、スマホで午後の予定を確認した
15時の取引先訪問:成功率71%。相手担当者の体調スコアが低いため、長引かせないことを推奨。契約締結は次回以降が最適
森はその通知をメモして、スマホをしまおうとした
隣の席の男が、イヤホンを外してニュースを見ていた
画面が目に入った
国連総会の映像だった
小さな国の国王だと、テロップに出ていた
森には聞き覚えのない国名だった
男はイヤホンを戻した
森はスマホをしまった
昼休み、推奨された時間に外へ出た
CLEARが示した店に入り、混んでいない席に座った
スマホでニュースを流しながら食べた
国連総会の続報が出ていた
森は箸を止めた
小国の国王は、三日間にわたって各国代表と個別に会談していたという
軍事大国でも経済大国でもない
資源国でも金融立国でもない
国名を聞いても、多くの人が地図上の位置をすぐには思い出せないような国だった
それなのに、その国王の部屋には、各国の代表が次々と入っていった
大国の首脳が入った
島嶼国の外相が入った
農業国の代表が入った
保険会社とつながりの深い国の閣僚が入った
CLEARの恩恵を受けてきた国も、CLEARに依存しすぎていると批判してきた国も、同じ廊下に並んでいた
解説者は、信じられないことが起きている、と言った
「各国は以前から、CLEARを規制すべきだとは考えていました。しかし、実現は不可能だと見られていました。金融、保険、物流、農業、軍事、選挙。どの国もどこかでCLEARに依存している。規制すれば、自国だけが不利になる。だから誰も最初に動けなかったのです」
画面には、CLEARの本社前で行われているデモが映った
規制反対のプラカードが揺れていた
別の画面では、災害予報によって救われた地域の住民が、規制に反対する署名を提出していた
「CLEAR側のロビー活動も極めて強力でした。個人予報を止めれば事故が増える、医療費が増える、物流が乱れる。各国政府に対して、具体的な損失予測まで提示していたとされています」
森は画面を見ていた
その損失予測も、きっと当たるのだろうと思った
ニュースは国連本部の映像に戻った
国王が廊下を歩いていた
背は高くなかった
取り巻きも少なかった
だが、各国代表がその前で足を止め、順に握手を求めていた
解説者が言った
「この国王が特殊だったのは、大国のどの陣営にも深く属していなかったことです。しかも選挙のない君主として、短期の支持率に縛られずに動けた。各国が口には出せなかった不安を、彼だけが正面から議題にしたのです」
演説の映像が流れた
国王は静かな声で話していた
流暢な英語だった
字幕が出た
「我々は、便利さの名のもとに、何かを差し出してきた。それが何かを、問い直す時が来ている。未来を知ることは、かつて神の領域だとされていた。今、それは企業の商品になった。我々はその商品を買い、安心を得た。しかし同時に、何かを失った。迷う力を。外れる力を。間違える力を」
森は画面を見ていた
「未来は、配信されるものではない」
国王はそこで一度、言葉を止めた
「未来は、生きるものだ」
その短い言葉だけが、切り抜かれて世界中に流れた
ニュース番組で繰り返され、SNSで字幕つきの映像が共有され、規制反対派のコメント欄にまで貼られた
森も最初は理想論だと思った
それでも、その声だけは、なぜか耳に残った
森は店を出た
空は晴れていた
CLEARが言った通りだった
歩きながら、スマホを開いた
15時の訪問まで残り2時間18分。移動は14時40分出発を推奨
森は通知を閉じた
理想論だと思った
CLEARがなければ、毎日が不便になる
あの会議での失敗が、また起きる
上司との関係が、また悪化する
妻との口論が、また続く
選択を間違えるたびに、誰かが傷つく
その傷を誰が補償するのか
間違える力などと言うが、間違えた結果は自分が引き受けなければならない
国王は演説ができる立場にいるから、そんなことが言える
森は会社に戻った
規制案が国連で採択されたのは、それから四ヶ月後だった
誰もが、採択されるとは思っていなかった
ニュース番組も、専門家も、会社の同僚も、同じことを言っていた
理念としては正しい
しかし現実には無理だ、と
ある国は、CLEARの農業予測がなければ食料価格が乱れると言った
ある国は、災害予報の精度が下がれば人命に関わると言った
ある国は、金融市場の安定に必要だと言った
ある国は、軍事利用を制限されれば安全保障上の不利益を受けると言った
どの主張にも、それなりの理屈があった
そして、どの理屈の背後にも、CLEARがいた
CLEARは反対声明を出さなかった
ただ、各国に資料を送った
規制によって失われる利益
増加する事故
遅延する物流
落ちる収穫量
上昇する保険料
低下する市場安定性
その数字は、どれも具体的だった
具体的すぎた
森はニュースでそれを見ながら、やはり無理だと思っていた
世界中の国が、同じ基準で、同じ日に、一つの企業を規制する
そんなことが起きるはずがなかった
だが、起きた
規制案の細部を理解している人は少なかった
だが、あの言葉だけは誰もが知っていた
未来は配信されるものではない
未来は生きるものだ
その声が、賛成派にも反対派にも、議論の逃げ場をなくしていった
小国の国王は、規制案を一つにまとめなかった
各国が譲れない部分を一つずつ切り分け、災害予報は残し、天気予報は残し、公共安全に関わる予測は残した
その代わり、個人の人生選択に関わる予報と、金融・軍事・選挙への予測販売に線を引いた
誰かが全面的に勝つ案ではなかった
だからこそ、通った
採択の日、国連本部の前には、規制賛成派と反対派の群衆が並んでいた
歓声と怒号が、同じ通りに響いていた
画面の中で、国王は笑っていなかった
勝者の顔ではなかった
ようやく火を囲い込んだ人間の顔だった
内容は段階的な分割と用途制限だった
個人の人生選択に関わる予報は禁止
恋愛、就職、健康、犯罪可能性、資産形成
災害、交通、気象など公共安全に関わる予報は継続
企業向けデータ販売には第三者監査が必須となり、金融、保険、軍事、選挙関連への予測販売は制限された
CLEARの観測部門、予測モデル部門、販売部門は分割され、アルゴリズムは国際監査機関へ提出される
CLEARは段階的に、創業時の天気予報会社へ戻されることになった
ニュースのコメント欄は荒れた
「不便になる」
「事故が増える」
「誰が責任を取るのか」
「国王は現実を知らない」
森も、似たようなことを思っていた
しかし採択は覆らなかった
世界は、初めて同じ日に、同じ基準で、未来の売買に制限をかけた
それができてしまうほど、世界はもうCLEARを恐れていた
規制が施行された朝、森はいつものように布団の中でスマホを手に取った
CLEARを開いた
: :
続きはnoteをご覧ください
By tosusianoteでも公開しています
王の声|CLEAR #6
森は毎朝、天気より先にCLEARを開いた
起き上がる前に、布団の中でスマホを手に取る
画面には、今日の選択が並んでいた
通勤経路:A経路推奨。B経路は7時42分から8時11分の間、対人トラブル発生リスク17%上昇
午前の会議:成功率64%。発言タイミングは開始後23分以降を推奨。早期発言は逆効果の可能性
上司との会話:今日は回避推奨。昨日の気圧変化と睡眠データから、機嫌指数が低め
昼食:12時15分以降に外出すれば混雑回避可能。推奨店舗3件
家族連絡:妻への連絡は20時以降が最適。子どもの就寝前後で感情受容率が変わります
森はそれを五分かけて確認してから、起き上がった
シャワーを浴びながら、会議での発言内容を考えた
開始後二十三分
それまでは聞いていればいい
CLEARを使い始めて、四年が経っていた
最初の一年は、天気と通勤経路だけだった
それが少しずつ広がった
会議の成功率を見るようになったのは、大きなプレゼンで失敗した直後だった
あの日、CLEARは対人リスクの上昇を示していた
見ていれば、と思った
それからは、毎朝確認するようになった
上司との会話リスクを見るようになったのは、昇進を逃した後だった
家族への連絡タイミングを見るようになったのは、妻との口論が続いた時期だった
CLEARは正しかった
推奨通りに動くと、物事はうまくいった
会議での発言は通り、上司との関係は改善し、妻との会話は穏やかになった
森の生活は、CLEARを使い始めてから、確実に良くなっていた
だから疑う理由が、なかった
その朝も、いつも通りに出勤した
A経路で駅まで歩いた
CLEARが示した時間帯を外して乗車した
席に座り、スマホで午後の予定を確認した
15時の取引先訪問:成功率71%。相手担当者の体調スコアが低いため、長引かせないことを推奨。契約締結は次回以降が最適
森はその通知をメモして、スマホをしまおうとした
隣の席の男が、イヤホンを外してニュースを見ていた
画面が目に入った
国連総会の映像だった
小さな国の国王だと、テロップに出ていた
森には聞き覚えのない国名だった
男はイヤホンを戻した
森はスマホをしまった
昼休み、推奨された時間に外へ出た
CLEARが示した店に入り、混んでいない席に座った
スマホでニュースを流しながら食べた
国連総会の続報が出ていた
森は箸を止めた
小国の国王は、三日間にわたって各国代表と個別に会談していたという
軍事大国でも経済大国でもない
資源国でも金融立国でもない
国名を聞いても、多くの人が地図上の位置をすぐには思い出せないような国だった
それなのに、その国王の部屋には、各国の代表が次々と入っていった
大国の首脳が入った
島嶼国の外相が入った
農業国の代表が入った
保険会社とつながりの深い国の閣僚が入った
CLEARの恩恵を受けてきた国も、CLEARに依存しすぎていると批判してきた国も、同じ廊下に並んでいた
解説者は、信じられないことが起きている、と言った
「各国は以前から、CLEARを規制すべきだとは考えていました。しかし、実現は不可能だと見られていました。金融、保険、物流、農業、軍事、選挙。どの国もどこかでCLEARに依存している。規制すれば、自国だけが不利になる。だから誰も最初に動けなかったのです」
画面には、CLEARの本社前で行われているデモが映った
規制反対のプラカードが揺れていた
別の画面では、災害予報によって救われた地域の住民が、規制に反対する署名を提出していた
「CLEAR側のロビー活動も極めて強力でした。個人予報を止めれば事故が増える、医療費が増える、物流が乱れる。各国政府に対して、具体的な損失予測まで提示していたとされています」
森は画面を見ていた
その損失予測も、きっと当たるのだろうと思った
ニュースは国連本部の映像に戻った
国王が廊下を歩いていた
背は高くなかった
取り巻きも少なかった
だが、各国代表がその前で足を止め、順に握手を求めていた
解説者が言った
「この国王が特殊だったのは、大国のどの陣営にも深く属していなかったことです。しかも選挙のない君主として、短期の支持率に縛られずに動けた。各国が口には出せなかった不安を、彼だけが正面から議題にしたのです」
演説の映像が流れた
国王は静かな声で話していた
流暢な英語だった
字幕が出た
「我々は、便利さの名のもとに、何かを差し出してきた。それが何かを、問い直す時が来ている。未来を知ることは、かつて神の領域だとされていた。今、それは企業の商品になった。我々はその商品を買い、安心を得た。しかし同時に、何かを失った。迷う力を。外れる力を。間違える力を」
森は画面を見ていた
「未来は、配信されるものではない」
国王はそこで一度、言葉を止めた
「未来は、生きるものだ」
その短い言葉だけが、切り抜かれて世界中に流れた
ニュース番組で繰り返され、SNSで字幕つきの映像が共有され、規制反対派のコメント欄にまで貼られた
森も最初は理想論だと思った
それでも、その声だけは、なぜか耳に残った
森は店を出た
空は晴れていた
CLEARが言った通りだった
歩きながら、スマホを開いた
15時の訪問まで残り2時間18分。移動は14時40分出発を推奨
森は通知を閉じた
理想論だと思った
CLEARがなければ、毎日が不便になる
あの会議での失敗が、また起きる
上司との関係が、また悪化する
妻との口論が、また続く
選択を間違えるたびに、誰かが傷つく
その傷を誰が補償するのか
間違える力などと言うが、間違えた結果は自分が引き受けなければならない
国王は演説ができる立場にいるから、そんなことが言える
森は会社に戻った
規制案が国連で採択されたのは、それから四ヶ月後だった
誰もが、採択されるとは思っていなかった
ニュース番組も、専門家も、会社の同僚も、同じことを言っていた
理念としては正しい
しかし現実には無理だ、と
ある国は、CLEARの農業予測がなければ食料価格が乱れると言った
ある国は、災害予報の精度が下がれば人命に関わると言った
ある国は、金融市場の安定に必要だと言った
ある国は、軍事利用を制限されれば安全保障上の不利益を受けると言った
どの主張にも、それなりの理屈があった
そして、どの理屈の背後にも、CLEARがいた
CLEARは反対声明を出さなかった
ただ、各国に資料を送った
規制によって失われる利益
増加する事故
遅延する物流
落ちる収穫量
上昇する保険料
低下する市場安定性
その数字は、どれも具体的だった
具体的すぎた
森はニュースでそれを見ながら、やはり無理だと思っていた
世界中の国が、同じ基準で、同じ日に、一つの企業を規制する
そんなことが起きるはずがなかった
だが、起きた
規制案の細部を理解している人は少なかった
だが、あの言葉だけは誰もが知っていた
未来は配信されるものではない
未来は生きるものだ
その声が、賛成派にも反対派にも、議論の逃げ場をなくしていった
小国の国王は、規制案を一つにまとめなかった
各国が譲れない部分を一つずつ切り分け、災害予報は残し、天気予報は残し、公共安全に関わる予測は残した
その代わり、個人の人生選択に関わる予報と、金融・軍事・選挙への予測販売に線を引いた
誰かが全面的に勝つ案ではなかった
だからこそ、通った
採択の日、国連本部の前には、規制賛成派と反対派の群衆が並んでいた
歓声と怒号が、同じ通りに響いていた
画面の中で、国王は笑っていなかった
勝者の顔ではなかった
ようやく火を囲い込んだ人間の顔だった
内容は段階的な分割と用途制限だった
個人の人生選択に関わる予報は禁止
恋愛、就職、健康、犯罪可能性、資産形成
災害、交通、気象など公共安全に関わる予報は継続
企業向けデータ販売には第三者監査が必須となり、金融、保険、軍事、選挙関連への予測販売は制限された
CLEARの観測部門、予測モデル部門、販売部門は分割され、アルゴリズムは国際監査機関へ提出される
CLEARは段階的に、創業時の天気予報会社へ戻されることになった
ニュースのコメント欄は荒れた
「不便になる」
「事故が増える」
「誰が責任を取るのか」
「国王は現実を知らない」
森も、似たようなことを思っていた
しかし採択は覆らなかった
世界は、初めて同じ日に、同じ基準で、未来の売買に制限をかけた
それができてしまうほど、世界はもうCLEARを恐れていた
規制が施行された朝、森はいつものように布団の中でスマホを手に取った
CLEARを開いた
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