小山ナザレン教会

わたしたちはなぜ集まり続けるのか?(稲葉基嗣) – フィリピ1:27−30


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2023年8月13日  三位一体後10主日
説教題:わたしたちはなぜ集まり続けるのか
聖書:フィリピの信徒への手紙1:27−30、ルツ記1:15−18、マタイによる福音書5:13、詩編85
説教者:稲葉基嗣
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【説教要旨】
パウロの時代、キリストを信じて生きる人びとは、社会的なマイノリティでした。ローマ的なフィリピの社会において、キリストを信じる人たちは、浮いた存在でした。社会の中で他とは違う存在であることは、小さな嫌がらせにあう原因にもなります。周囲の人から奇妙がられ、避けられた経験があったかもしれません。そういったことの積み重ねが、フィリピ教会の人びとにとって、信仰を捨てることにもなり得たかもしれません。
そのような危険を感じ取ったからこそ、パウロはフィリピ教会の人びとに向かって、「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」(27節)と勧めました。「生活を送りなさい」と言う時、パウロはローマの都市ポリスの動詞形を使いました。つまり、「ポリスに生きる市民として生活をしなさい」と。
「キリストの福音にふさわしい」という言葉がついていなかったなら、フィリピの町でローマ人らしく生活を送るようにしたら良いよというアドバイスのように聞こえますが、そのような生き方をパウロはキリスト者の生きる指針として紹介していません。フィリピ教会の人びとにとって、生きる上での基準や指針となるものは、キリストの福音ですよ、とパウロは伝えています。
キリストがどのように生きたか。どのように愛や憐れみを示して生きたのか。どのように平和や正義を求めて生きたのか。そういったことを心に刻み、福音にふさわしくフィリピで生活を送りなさいと、パウロはフィリピ教会の人びとに勧めました。
パウロがこのように勧めるのは、キリストに結ばれている人びとは、フィリピにおいて市民権を持ちつつ、天における国籍を持っているという確信をパウロが持っていたからです。キリストを生きる上での指針として持ち、天に国籍を持ちながら、フィリピで生きることは、フィリピ教会の人たちの毎日に葛藤や苦しみを生んでいたことは間違いありません。パウロは、日々の生活の中で抱える苦しみや葛藤をひとりで抱え込むものとは考えていません。フィリピ教会の人たちが共に分かち合い、担い合うものと考えています。
時代が変わっても、文化が違っても、キリストに結ばれている信仰者たちはこの葛藤や苦しみを抱え続けています。だからこそ、この社会の中でマイノリティとして生き、この世界の基準とキリストの福音との間で葛藤し、苦しみを抱えるわたしたちも、フィリピ教会が苦しみや葛藤を分かち合い、信仰の旅路を歩んだように、葛藤や苦しみを分かち合って、お互いに支え合っていくことが必要です。それは、わたしたち教会が毎週のように集まり続けることの理由のひとつです。
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