小山ナザレン教会

わたしたちの愛の出発点(稲葉基嗣) – ヨハネ 5:41–47


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2024年8月25日 三位一体後第13主日

説教題:わたしたちの愛の出発点

聖書: ヨハネによる福音書 5:41–47、申命記 6:4–9、詩編 4、ペトロの手紙 一 2:9–10

説教者:稲葉基嗣

 

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わたしたちが礼拝を通して言い表すその栄光の対象は、父、子、聖霊の神です。

つまり、神の子であるイエスさまこそ、礼拝の中で栄光あれと言われる対象です。

なのに、なぜイエスさまは「私は、人からの栄光を受けない」と語るのでしょうか。

イエスさまが、わたしたちの礼拝を拒絶しているというわけではありません。

人間の価値基準に合う形で、栄光を受け取らないということなのでしょう。

イエスさまが望んだことは、人びとの間に愛が見出されるようになることでした。

イエスさまは、人びとの間に神への愛を見出だせないことを嘆いています。

イエスさまが神に対する愛を「神の愛」(ギリシア語からの直訳)と表現するのは、

人が誰かを愛するその出発点は、神がすべての人に注いでいる愛だからです。

神から命を与えられているすべての人は、神の愛情を受け、生かされています。

誰一人として、神の愛の中に置かれていない人はいません。

ですから、神の愛を受けて今、生かされているわたしたちにとって、

愛は何よりもまず、神のもとから訪れます。

神に愛されている事実は、わたしたちにとって、

神を愛し、人を愛する上で、とても大切な愛の出発点です。

イエスさまが、ユダヤの宗教指導者たちは神の愛が欠けていると批判したのは、

彼らの愛情が、自分の外側へ向かっていなかったためです。

称賛や高い評価など、彼らは自分に向けられる愛情ならば、喜んで受け取りました。

でも、神がすべての人に注いでいる愛情は、自己完結するものではありません。

神の愛は、外側へ、他の人びとのもとへ、この世界へと向かっていく愛です。

まさに、それが神の栄光を求める生き方だと、

天から下り、人となり、自分を差し出して、わたしたちに愛情を示してくださった

神の子であるイエスさま自身が教えてくださっています。

そんなイエスさまが、わたしたちの信仰の旅路に伴い、

わたしたちに神の愛を分かち合う生き方をいつも教えてくださっています。

それは競争が当たり前のこの世界のやり方に反することもあれば、

わたしたちにとって楽な方法とは異なる場合もあります。

そのため、わたしたちは、何が出発点であったかを忘れてしまうことがあります。

だから、わたしたちは何度でも、思い起こします。

わたしたちの出発点は、神がわたしを愛してくださったということにあります。

イエスさまがそうであったように、神が愛してくださったように、

わたしたちも共に生きる人たちをこの世界を愛することが、

わたしたちにとって自然な出発点であることを、神との交わりと、

信仰の仲間たちとの交わりを通して、いつも思い起こすことができますように。

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