小山ナザレン教会

わたしたちと向き合い、語り合うことを喜ぶ神(稲葉基嗣) – ヨナ 2:1–11


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2024年6月30日 三位一体後第5主日

説教題:わたしたちと向き合い、語り合うことを喜ぶ神

聖書:ヨナ書 2:1−11、コリントの信徒への手紙 二 3:12−18、マタイによる福音書 6:12、詩編 130

説教者:稲葉基嗣


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ヨナが急に、神に向き直っているのはなぜなのでしょうか。

死を願っていたヨナが実際に海に投げ込まれ、

死が間近に迫ってきたとき、彼は生きることを願ったのでしょうか。

ヨナの祈りから明らかなのは、自分の生命の危機を感じた以上に、

神との間に隔たりを感じたことでしょう。

海に投げ込まれたヨナは、海の底へ深く、深く、沈みました。

ヨナは、このときの自分がいた場所を単に「海の中」とは表現しませんでした。

彼は祈りの中で、「陰府の底」にいて、「地の扉に長く閉じ込められた」と言います。

古代の人びとは、地下に陰府という、死者の国があると考えていました。

旧約聖書を読むと、陰府について、ある人は神との交わりを断たれる場所と

考えていたことがわかります(詩編6:6参照)。

ヨナは神から逃げ続けましたが、神を信じる人でした。

だから、神との交わりが失われていくことを恐れました。

死の間際になり、陰府の世界に自分が移されると悟ったとき、

彼はようやく神と向き合い、祈りました。

ヨナが神と向き合うまでにかなりの時間がかかったと感じさせられます。

けれども、驚くべきことに、神はヨナの声を聞き、ヨナの祈りを受け止めます。

ヨナが神と向き合うことにたくさんの時間が必要だったことに対して、

神は決して遅いとは言いません。神はヨナのことをいつも待っていました。

ヨナの祈りは、神に救い出されたことに対する感謝の祈りと分類されます。

神と適切に向き合うことが出来ていなかったヨナは、

本来、もっと祈るべき言葉があったとは思わないでしょうか。

神に背を向けていた自分の過ちについて、ヨナは神にごめんなさいと言って、

赦しを乞うべきだったのではないでしょうか。

ヨナに神との関係に誤りがあったことは、ヨナ書の読者の目には明白です。

けれども、彼は決して自らの過ちを認めず、ただ神に感謝をするだけでした。

その意味で、ヨナの祈りは不完全でした。

でも、驚くべきことに、ヨナの祈りは神のもとに届いています。

不完全な祈りであっても、わたしたちが神と向き合うことを神は喜ばれます。

わたしたちが神に向かって祈れるのは、ただ一度きりではないからです。

神は、わたしたちの生涯を通して、わたしたちひとりひとりと向き合い、

ゆっくりと時間をかけて語り合いたいと願っています。

そして、わたしたちが神と向き合って生きる中で、神によってわたしたちの心が、

行動が、言葉が、そして生き様が変えられていくことを神は望んでおられます。

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