考える塾 in TAIPEI

物語を読む④小4国語「ごんぎつね」


Listen Later

「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。兵十は、火縄銃をばたりと、とり落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。
小4国語教科書に掲載されている「ごんぎつね」は、宮沢賢治と並び称される童話作家の新見南吉が18歳の時に書いた、日本を代表する国民的童話です。物語は南吉が幼少の頃に聞かされた口伝をもとに創作したものですが、児童雑誌「赤い鳥」に掲載される際に発行人の鈴木三重吉の添削を受けており、前述の現在教科書で読まれている結末もこの添削バージョンです。
この物語の教科書への採用率は、1970年代以前は3割程度でしたが、70年代に7割、80年代以降は全ての教科書に掲載される国民教材となりました。70年代までの読解指導は、研究者の主題解釈をかみ砕いて生徒に伝達する古典読解型のものでしたが、パターン化した読解指導が子どもの国語嫌いを招いたという反省により、80年代以降は、読者の「読み」の多様性を尊重する受容理論型の指導が行われるようになっていきます。「ごんぎつね」の解釈も、光村図書の教師用指導書は、ゴンと兵十がゴンの「死をもって通じ合えたこと」を強調しているのに対し、東京書籍のそれは、「死を通してしか理解しあうことができなかった悲しさ」を強調するというように、教科書会社によって違いを見せています。
果たして「ごんぎつね」は、最後には理解しあうことができたハッピーエンドの物語なのでしょうか。それとも死によってしか気持ちを理解されることのなかった悲劇なのでしょうか。それはまさに読み手の自由な「読み」に帰することなのでしょう。この物語を読んだ生徒の中には、ゴンよりも、ゴンにウナギを奪われて母を死なせてしまった上、ゴンの余計な贖罪行為でいわし屋から盗人扱いされひどい目に遭った兵十に同情し、「ゴンは撃たれて当然だった」という感じ方を持つ子もいます。それもまた真実の一つかもしれません。何が真実と信じるか、何を真実として選び取るかは、読者の自由なわけです。
ところで、18歳の新見南吉が書いた原稿の結末は、鈴木三重吉の添削バージョンと一部異なり、兵十の視点からゴンの視点に語りが移っていました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」ごんは、ぐったりなったまま、うれしくなりました。
...more
View all episodesView all episodes
Download on the App Store

考える塾 in TAIPEIBy Takashi Jome


More shows like 考える塾 in TAIPEI

View all
ゆうこ|読書ラジオ by ゆうこ

ゆうこ|読書ラジオ

0 Listeners