文章を書くには動機が必要です。それは、何かを伝えたい相手であり、誰かに伝えたい何らかの思いです。作文を書けない子が作文を書けない最大の理由は、大抵この動機が欠けていることにありますが、物語も、作家には書くべき動機、つまり、想定する読者や、その読者に伝えたい何かが必要です。
中二国語教科書に掲載されている「走れメロス」は、友情や信頼の尊さを伝える作品として広く知られています。アニメ作品になったり、演劇になったり、パロディ化されたり、原作を読んでいなくとも内容は知っているという人は少なくありません。道徳性の強い内容から、教育の場で使用されることも多い作品ですが、「人間失格」などの作品で知られる作者の太宰治は、不倫や心中の常習犯で、あまり道徳的とは言えないエピソードを豊富に持つことで有名です。
「走れメロス」はドイツの文豪シラーの詩「人質」を原作としています。暴君ディオニュソスの殺害を試みたメロスは捕縛され、死刑を宣告されるものの、妹の婚礼を済ませて帰ってくるまで刑の執行を待つように頼み、親友を人質として差し出す。三日後、橋無き激流の川、盗賊の襲撃、焼けつく太陽などの障害を潜り抜け、死刑執行直前、親友の前に現れるメロス。心打たれた国王は彼と友を許し、改心する。「人質」の内容は「走れメロス」とほぼ同じで、メロスは道徳的なヒーローです。でも、太宰が物語を書く動機となった出来事は、あまり道徳的とは言えません。
ある時、熱海の旅館で太宰は、友人で作家の檀一雄と一緒に数日飲み歩き、二人は金を使い果たして支払い不能になります。そこで、太宰は檀を人質として宿に残し、東京へ借金に行きます。しかし、何日待っても彼は戻りません。しびれを切らした檀は、支払いを待ってもらい、東京へ行ってみると、彼は恩師の井伏鱒二の家でのんきに将棋を打っていました。激怒する檀に太宰は、「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」と呟いたそうです。
「走れメロス」と「人質」を比べると、前者には、友の信頼を守ろうとする自分に酔い痴れるナルシストな独白や、困難を前にしてする言い訳が目立ちます。道徳的解釈は、正義を貫く者が障壁に直面した際に見せる葛藤としてそれを説明します。しかし、檀を裏切った太宰治にとってこの作品は、その悪しき記憶を払拭し、誠実な人間としてのアイデンティティを守るため、シラーの詩に託してこしらえた、自分自身への言い訳だったのかもしれません。