聖書『マタイによる福音書』
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●第9回●
マタイ伝はさらっと書かれていることがほとんどですが、よく読めば今回も小さな出来事ではないようです。
「食事の前に手を洗わない」
ファリサイ派の人も律法学者たちも、このことを問いただすためにエルサレムからやってきます。
律法を守るユダヤの人たちは、清いもの清くないものを厳格に分けているようです。
イエスたちの行動は意味をもち、彼らから沸点に達する怒りを買ったかもしれません。
イエスは「間違った」ことをしているのか。
それを説明するのが最初のエピソードです。
カナンの女の話は、他のエピソードに比べたらそれほど知られてないでしょうか。
彼女の話す例え話(←これ、可愛い〓)
はちょっと謎めいて聞こえます。
しかも彼女がそれを口にすると、イエスは態度を変えるのです。
でもこのたとえ話、実はちっとも謎ではなくて弟子たちもこの言葉の質問をしません。福音書もこの箇所で何も説明はしません。
ここでカナンの女がどのくらい叫んでいたのか想像してみたのですが、
たぶん、ものすごい声です。
福音書の原文からその声の感じを推測した方もいて、検索すると出てきますので興味のある方はぜひ探してみてください。
わき目もふらず出せるだけの声を出しながらぴったりと自分たちについてくる女性。その存在は憐憫の情より気味の悪さが勝つかもしれず、生理的にも聞くものを苦しめます。
弟子たちが困惑したのも想像つきます。
カナンの女だけでなくこの後パンをいただく四千人もイエスの言う「イスラエルの家の失われた子羊」ではないのがこの第15章の特徴のようです〓
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演技の話になるですが、台本のト書きに「叫ぶ」と書いてあると、これがけっこう選択肢が広くて、演者によっていろんな表現が見られることは間違いないです。
演じる方にすれば、叫びがいがあると言うか、いろんな解釈が想像できます。
シーンの雰囲気はもちろん、意味すら、俳優の叫び方ひとつでガラッと変わるはず。
映画を見ていても、印象的な叫ぶシーンがあると「これは台本に書いて無いかも…」とつい想像してしまいます。
「叫ぶ」と言う行為は、一つの言葉には置き換えられない多岐で複雑な行動で、想像しきれないほどの闇(と言っていいかも)がそこに広がっているように見えます。
その「叫ぶ」が今回のマタイの福音書に出てきました。
カナンの女はどんな姿で叫んでいたのか、彼女の暮らしは、どれほどの時間をかけてイエスの一行にたどり着いたのか、なぜ彼女しか叫ばないのか…
空想がぐるぐると回り始めてしまいます。
だからでしょうか、この章は朗読をしていると顔の見えないカナンの女の姿が浮かんできて
とりわけ印象に残ったのでした。
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〓︎リスト
0:00 オープニング
0:11 昔の人の言い伝え 15 1-20
3:59 カナンの女の信仰 15 21-28
5:58 大勢の病人をいやす 15 29-31
7:03 四千人に食べ物を与える 15 32–39
8:51 エンディング