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●第10回●
『マタイによる福音書』も折り返し地点を過ぎ、容赦なくその日へ近づいていきます。
この章後半のイエスの言葉は聞くものへのすごみすら感じられて、弟子たちの驚きは想像にかたくありません。
…なんというか、弟子たちの周縁に、神の世界との境界がそこここで揺らめいている雰囲気です。
はっきりと、この章はこれまでとは趣が異なっているようです。
具体的には、章の前半と後半で色合いが変わります。
前半の最初は、第3章で「まむしの子ら」と呼ばれていた、ファリサイ派の人々とサドカイ派が揃ってイエスのもとにやってきます。
そして彼らに「しるしを見せて」と言われるのが最初のお話。
イエスが「しるしを見せて」と言われるのはこれが2回目です。
第12章のときは少人数でしたが、今回彼らは大人数でやってくるのです。
「試そうとして」とあるように、はっきりと目的を持った彼らは「天からの」しるしをみせてとイエスに言います。
第12章と似てるけど、すでに彼らはイエスの答えを知っていたはずです。
短いお話ですが、毒を含ませた問答が描かれるエピソードです。
次は、ちょっとほっこりした小話のようにも見える、弟子たちが「パンを持って来なかった」エピソード。
文章が簡潔すぎて、弟子たちの右往左往をくすっと笑ってしまいたい雰囲気にも読めてしまうのですが、
よく読んでみると、実はそんな軽い話ではないようです。
イエスの言葉は説教だから、弟子たちは心底悩んでしまう。
そう考えるとイエスのお叱りは切ない。イエスに「まだわからないのか」と言われるくらい弟子たちは「パン」についてずっと論じ合っていたのですから。
いくら論じ合っても、イエスの言葉にたどり着けない弟子たちの苦しさが、文の合間に畳み込まれているような気がします。
似たような出来事は数々あったのかもしれません。それらを代表させたのがこの話だったのでしょうか。
このあとのエピソードの直前にこんな話を用意するなんて、マタイったら演出家ですよね。
それにしても、聖書に登場する「パン」という言葉はなんと美味しそうに響くのでしょうか (*´﹃`*)‧º·˚
さて、イエスたちは異教の地を歩いています。ここはどうやら異邦人の住む地だったようです。
異邦人を救う予定のないイエスですが、なぜ?
これには
「多くの群衆が集まってくるので、身の危険を感じたイエスらはしばらく異邦人の住む地域を巡り歩いていた」
という解釈があるようです。
パンを人々に与えた時だけでも計9000人以上もの人が集まっていますから、
評判も流れるし目立ってもいたでしょう。
3番目のエピソードは、命の危険を感じるなか、異教徒の地を訪れたイエスが弟子たちに「ひとびとは私を何者だと言っているか?」と問いかけます。
そして、イエスはこれまでとは異なる言葉を口にし始めます。
*✽𓅩𖥣𖧧𖥧𖤣𖥧𓅩𖥧✽
『エリヤ? エレミヤ?』
預言者の名を言われても、ほぼわからないわたしみたいな人のためにちょっとだけ。
「バプテスマのヨハネ」は、イエスに洗礼を施した預言者。サロメ(ヘロデ王の妻の連れ子)が彼の首を所望したお話は第14章に出てきたばかりですが、ヘロデ王はイエスのことを「バプテスマのヨハネ」の再来だと言ってます。
弟子たちがイエスに伝えたのは、王だけでなく巷の人々までがそう言っている、という意味になるかもしれません。
「エリヤ」も預言者の名前。 エリヤのエピソードは信仰を持つひとならご存じだろうと思うのですが、聖書にふれる機会のない人は、ここはほぼ素通りです〓きっと。
でもそれはもったいないので、ぜひ検索してみてください。エリヤの有名なエピソード、列王記にある「カルメル山上の対決」について書かれたものはたくさんあります。聖書に書かれた出来事は荒々しいものが多いと思うのですが、これもそのひとつ。これを目の前で見たなら、そりゃあひれ伏すと思います。
「エレミヤ」も預言者の名前。この方のことを簡潔に書くなんて、不勉強なわたしには無理! なのでぜひ検索してみてください(他力〓)。旧約聖書にはエレミヤの預言を集めた「エレミヤ書」があります。少し読んでみたのですが、原文が詩の形で書かれているせいか翻訳もリズミカルな文章です。なお、エレミヤについて短く説明した文章もネットのあちこちで見られますので、調べやすいかと思います。
*✽𓅩𖥣𖧧𖥧𖤣𖥧𓅩𖥧✽
〓〓リスト〓〓
0:00 オープニング
0:12 人々はしるしを欲しがる 16 1-4
1:17 ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種 16 5-12
2:54 ペトロ、信仰を言い表す 16 13-20
4:55 イエス、死と復活を予告する 16 21–28
7:02 エンディング