小山ナザレン教会

信頼と抵抗の日(稲葉基嗣) – 創世記 1:31–2:3


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2025年5月18日 復活節5主日

説教題:信頼と抵抗の日

聖書: 創世記 1:31–2:3、マルコによる福音書 2:23–28、詩編 46、フィリピの信徒への手紙 4:4–7

説教者:稲葉基嗣

 

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現代社会は、とても目まぐるしい社会です。情報は常に飛び交っているため、何を掴めば良いかわからないこともあります。だから、怒涛に押し寄せてくる情報の波の中で、何とか必要な情報を掴み取り、その荒波の中を生き抜いていくために、有限である時間を最大限に活用できる方法を私たちは重視します。けれども、現代社会は、時間を大切にするあまり、時間を確保するために、疲れて切ってしまっている印象を覚えます。創世記の言葉は、そんな現代社会に対して、挑戦的にも思える内容です。神は、6日目に創造した世界が完成したとは宣言しません。神が立ち止まった、7日目に世界の創造の完成が宣言されています。それは、神によって造られたこの世界の良さを神自身が味わい、喜ぶためでした。旧約聖書は、この出来事を安息日と呼ばれる日の起源として伝えています。つまり、神が立ち止まったから、人間も立ち止まる必要がある日だ、と。それはまるで、七日に一度、手を止めて、立ち止まるという、定期的なリズムを私たちに教えているかのようです。現代に生きる私たちにとって、これはとても挑戦的なリズムです。効率を重視して、時間の質を保ち、必要な時間を捻出するために日々、奮闘する私たちに、一度、立ち止まるように伝えるからです。神は、時間を自分自身の力で支配することをやめてみるようにと語りかけます。毎週の日曜日の礼拝は、安息日の持つ豊かな意味を引き継いでいます。それは、聖日厳守を声高に叫ぶことではありません。私たちは礼拝を通して、神の前で立ち止まります。自分のために時間を用いたり、急ぎ足で時間を消費する、私たちの生活のリズムから、礼拝を通して、一旦、離れます。そして、神が私たちを招いておられる、時間の流れの中に、一度立ち止まることを通して、その身を置きます。立ち止まって、少しずつ、この世界や私たちの日常の中で目に留められなかったものに目を向けます。私たちが必死に動かなくても、私たちは神の守りの中に置かれていています。ですから、神の前で立ち止まるきょう、この日は、神への信頼を育む日です。そして、タイパを追求することが当たり前であったり、大切な人たちとの時間を何とか確保しようと、奔走し、忙しない時間を過ごすことに慣れきってしまっている私たちにとって、きょうこの日は、この世界の当たり前への抵抗となる日です。

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