流れのほとりに

心強き友のいる人生(ヨハネの福音書15章13節~15節)


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序)「いつくしみ深き 友なるイエス」

・「神を友にする」のは古今東西見渡して、キリスト教だけではないか。


1)友とは、上下関係がない間柄

・神が神のままでは、上下関係がもちこまれてしまうので、神は神のあり方を棄てて、人間になられた(「受肉」という)。それがイエス。

・イエスは一時的に人間になったのではない。今、イエスは天という「神の領域」にいる(目には見えないが、時空に縛られない場所)が、人間であり続ける。呼べば近くに、みなが「独り占め」できる。

・人間なので「われらの弱きを知りてあわれむ」ことができる。「あわれむ」とは、お腹が痛くなるほどの強い気持ちで共感すること。


2)友達選びを間違うと人生を棒に振る

・イエスの「慈しみ」とは、じわっと滲む優しさ(=愛)と言える。

・人生には良い友人が必須である。夫婦も、良い友情で結ばれるのが理想

・人生には困難がつきものなので、話を聞いてくれる友達の支えなしには生き抜くことは難しい。

⇔人間の友人関係には限界もある。病むこと、遠くに離れること、死別「世の友われらを棄て去るとき」もある。しかし、イエス様との友情はこのもどかしさに妨げられない。「心の嘆きを包まずのべて」も大丈夫

・「祈りにこたえて労り(=人生を前に進めるための慰め)たまわん」


3)どんな悲惨をも超えた友なるイエスの愛のしるし

・「人が自分の友のためにいのちを捨てる(=置く:身代わりにする)」愛

→イエス様は、囚われている私たちの身代わり交換を申し出て下さった。

・聖書は人が「罪(隣人愛の欠如:自己中心)・咎(歪んだ選択)・憂い(漠然とした不安)」に囚われていて、そのままでは未来がない。そこにイエスの十字架が身代わりとして差し出され、彼を信じるなら、囚われから解放され、聖なる力が与えられると約束される。

・この愛を受け取るなら、どんな悲劇をも超えて生きる力を得る。


結)イエスと友達になるために

・「愛に生きる決意」が友になる唯一の条件である。

・「罪・咎・憂い」の重荷をおろして、「愛に生きる」荷をイエスと共に負って生きよう。教会は、愛に生きるための訓練所となる。

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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