小山ナザレン教会

新しく生まれるってどういうこと?(稲葉基嗣) – ヨハネ 3:1–10


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2024年3月3日 四旬節第3主日

説教題:新しく生まれるってどういうこと?

聖書:ヨハネによる福音書 3:1−10、エゼキエル書 36:25−27、ペトロの手紙 一 2:21−25、詩編 8

説教者:稲葉基嗣


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「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(7節)という、

イエスさまのそんな言葉に対して、ニコデモは疑問を投げかけます。


ニコデモが新しくなることに対して、お手上げであるのは、とても象徴的です。


政治的にも、宗教的にも、経済的にも力があり、能力のある優秀な彼が

自分では変われない。新しく生きることができないと言っているからです。


「新しく」と訳されている言葉は、「上から」とも訳せます。


ニコデモは片方の意味にばかり捕らわれてしまいました。


自分の力でどうにかする道に捕らわれてしまいました。


けれども、イエスさまが語る方法は「上から」、つまり、神によって変えられ、

神によって新しくされるという、水と霊を用いた方法でした。


それは預言者エゼキエルを通して約束されている方法です。


洗礼式を通して、そして、洗礼用のカップをこの礼拝堂に置き続けることを通して、

わたしたちはその事実を思い起こし続けています。


洗礼は、受けた瞬間に、新しくされるといったような、魔術の類ではありません。


わたしたちの抱える問題は、生涯続きます。


わたしたちが自分に嫌気が差すほどに、罪はわたしたちに絡みついて離れません。


けれども、水と霊によって、わたしたちは新しく生まれると、

イエスさまが約束してくださっています。


水と霊によって、神がわたしたちに働き続けてくださるからです。


ニコデモは、この物語の中では、最後まで無理解のままです。


イエスさまに問いかけた後、彼の姿はいつの間にか見えなくなってしまいます。


でも、ニコデモは、十字架の上で死んだイエスさまの葬りで登場します(19:39)。


目立ってイエスさまに従おうことはありませんでしたが、

彼もイエスさまの弟子の一人であったことが福音書の終わりで明らかになります。


夜の闇の中で、彼は、光であるイエスさまのもとを訪れました。


理解できない現実を抱えながらも、イエスさまに近づいていきました。


そして、わたしたちが知らないところで、ヨハネ福音書が記録しないところで、

ニコデモに水が注がれ、聖霊の息が吹きかけられたのでしょう。


このニコデモの姿は、イエスさまが「風は思いのままに吹く」(8節)と、

聖霊のことを示して語った言葉を思わせます。


すぐにニコデモは変わりませんでした。


けれども、神が望んだとき、彼に聖霊の風が吹き込み、彼は新しくされました。


同じように、わたしたち一人ひとりに神が働き、新しくするというのですから、

わたしたちの信仰の旅は、とても驚きに満ちているものと言えるでしょう。


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