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心と脳の帳尻 第十二回「代表性ヒューリスティック」デイヴィッド・マクレイニー『思考のトラップ』より


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動物は自らの生命維持に矛盾する状況が立ち現れた時、その矛盾を解消しようと神経系統が働くことで「動く」生き物です。しかし、こうした感覚神経と運動神経による矛盾解消の作用が働く時、神経細胞には負荷がかかります。この負荷がかかっている状態がいわゆる意識だとすると、身体はできる限り早く負荷をなくして無意識に戻りたがるもののようです。
このように、神経の負荷をなくそうとする傾向は、身体の運動だけでなく、精神活動にも当てはまります。1973年に発表した論文で、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーはこの傾向「代表性ヒューリスティック」について述べました。では、ここでクイズです。「ドナルドは大学時代、成績優秀だったが独創性には乏しかった。人並外れて几帳面だが、その文章は感情に乏しく、SFの話をよくする。人付き合いは苦手だが、倫理観は強い。」これは、30人のエンジニアと70人の弁護士の中からピックアップしたある人物の性格描写ですが、ドナルドはエンジニアでしょうか、それとも弁護士でしょうか。
たいていは、彼をエンジニアだと答えます。しかし、実際には70%の確率で弁護士のはずです。人は思い悩むことを省略できる「代表制」によって予測し、確率を無視してしまうのです。
初対面の人に会った時、その人がどんな人なのか分からないカオスのままだと判断が下せず、神経は張りつめて休まりません。そんな時に、神経細胞に安らぎを与える役割を果たすのが、偏見やステレオタイプといった「代表性」です。相手の職業が弁護士だったらこんなキャラ、技術者だったらこんなキャラ、医者だったら、運動選手だったら、芸人だったらと、なんとなくその人物の性格に判断を下すことができます。もちろん、職業だけで人格が決まるわけではないということも分かってはいますが、それでも私たちはこうした偏見を頼りにし、人種、宗教、民族、国籍、県民性などで相手の人物像をなるべく早く決めてしまいたがるものです。
既に持っているイメージをもとにして判断を下すことを「予断」とも言いますが、これによって誤った判断や差別が引き起こされる可能性は十分にあります。先の例でも、客観的にはドナルドは弁護士である確率の方が高かったのですから。
とはいえ、人類はこれまで森羅万象に名前を付けてイメージを共有し、それをみんなが道具として活用することで、生命に襲いかかる矛盾を解消してきました。偏見は危険ですが、カオスに秩序を生み出し、文明を築くことこそ、私達ホモ・サピエンス最大の能力でしょう。
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考える塾 in TAIPEIBy Takashi Jome


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