友人が集まって昔話をしている。その中の二人が、ゆで卵をいくつ食べられるか挑戦し、五つ食べたところで吐き出した話で盛り上がる。が、他の一人が「それをやったのはオレだし。てゆーかオレがお前らに聞かせた話で、お前らその場にさえいなかったし。」と言い出す。そんな馬鹿な、これは確かに自分の思い出だ、いや、どうだろう・・・?
人の記憶というのはビデオのように録画されるわけではなく、録画されたテープのように再生できるものでもないと、心理学者のエリザベス・ロフタスは言います。たとえて言えばレゴのブロックのような記憶のピースが、思い出そうとする時に作り出され、その時々の状況に矛盾しない形で組み立てられるものだというわけです。
1974年、彼女は自動車の衝突事故を見せるという実験を行いました。映像を見た被験者は数組に分けられ、異なる質問をされます。「激突した時、車のスピードはどれぐらいでしたか」「衝突した時、車のスピードは・・・」「ぶつかった時、・・・」「当たった時、」「接触した時、」それぞれに異なる質問を受けた各組の答えた時速(マイル)の平均は、「激突」が40・8、「衝突」が39・3、「ぶつかった」が38・1、「当たった」34・0、「接触」31・8という結果でした。質問のされ方だけで、被験者の記憶は変化しています。「ガラスが割れるのが見えたか」という質問には、「激突」の組では他の組の2倍の割合で「見えた」と答えましたが、実際の映像では一枚も割れていません。ロフタスは、こうした外部からの誤情報効果によって記憶がいかに組み替えられるものかを示し、抑圧された記憶を掘り起こす精神分析や、犯罪の目撃証言・容疑者の面通しなどを批判しました。
記憶はまた、同調という本能によっても書き換えられます。心理学者ソロモン・アッシュは、一本の線を描いたカードを見せた後に、同じ線の上下にそれより短い線と長い線を加えた三本線が描かれたカードを何組か見せ、どれが初めのカードの線と同じかを数人へ同時に聞く実験をしました。何もしなければ間違えるのは2%だけでしたが、グループの中に役者を混ぜて誤った答えを言わせると、75%の人が少なくとも一問は答えを間違えたそうです。
自分は独立した人間で、独立した記憶と精神を持っていると考えていても、人は群れで生きる動物です。記憶を同調したほうが、群れとしては合理的。
あなたの記憶も思い出も、ほんとうにあなたのものですか?