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序)天使と悪魔は存在しない
・自分の中に二人の自分がいるように感じる。
→なぜなら、神さまに従える時と、従えない時があるから。
・聖書は私たちのことを義であり、聖徒と呼んでくださる。(ピリピ 1:1,テトス 3:7)
・聖書に書かれている自分の姿と実際の自分の姿にギャップを感じることがある。
1)聖なる葛藤
・私たちがギャップに苦しむのは、したいと思う善があるから。それは聖なる葛藤である。
・神様を愛していて、罪を愛していないので、罪に悩む。
・パウロは葛藤の中で責任転嫁したわけではない。聖書と自分の生活を照らし合わせ、原理を見出すことになった。
2)罪の影響が度々私たちを苦しめる
・体に残っている古い生き方や罪の痕跡が時々悪さをして、自分の願ったことをさせないことがある。
→しかし、それが自分を決定づけることにはならない。なぜなら私たちは神様を愛しているから。
3)本当に信じるべきなのは聖書
・自分の当てにならない感覚より、みことばを信じよう。
・罪に流されて、「赦された罪びと」と罪から目を背けることは簡単。でも、聖書に真正面から向き合っていこう。
結論
・イエスさまは私たちを罪から解放してくださり、自由にしてくれたのだから。
By キリスト教たんぽぽ教会序)天使と悪魔は存在しない
・自分の中に二人の自分がいるように感じる。
→なぜなら、神さまに従える時と、従えない時があるから。
・聖書は私たちのことを義であり、聖徒と呼んでくださる。(ピリピ 1:1,テトス 3:7)
・聖書に書かれている自分の姿と実際の自分の姿にギャップを感じることがある。
1)聖なる葛藤
・私たちがギャップに苦しむのは、したいと思う善があるから。それは聖なる葛藤である。
・神様を愛していて、罪を愛していないので、罪に悩む。
・パウロは葛藤の中で責任転嫁したわけではない。聖書と自分の生活を照らし合わせ、原理を見出すことになった。
2)罪の影響が度々私たちを苦しめる
・体に残っている古い生き方や罪の痕跡が時々悪さをして、自分の願ったことをさせないことがある。
→しかし、それが自分を決定づけることにはならない。なぜなら私たちは神様を愛しているから。
3)本当に信じるべきなのは聖書
・自分の当てにならない感覚より、みことばを信じよう。
・罪に流されて、「赦された罪びと」と罪から目を背けることは簡単。でも、聖書に真正面から向き合っていこう。
結論
・イエスさまは私たちを罪から解放してくださり、自由にしてくれたのだから。

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