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2025年11月2日 三位一体後第20主日
説教題:羊飼いキリスト
聖書: ヨハネによる福音書 10:11–18、エゼキエル書 34:11-16、詩編 23、ペトロの手紙 一 2:24-25
説教者:稲葉基嗣
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エゼキエル書34章で、神はイスラエルの羊飼いとして行動することを約束します。イスラエルの歴代の王たちは、羊である民を決して気遣うことがなかったため、神自身が羊飼いとして立ち上がり、迷い出た羊である人々を探し、救い出し、傷ついた彼らを癒やし、これからもその歩みを導くことを約束されたのです。神は同時に、理想的な羊飼いとして、ダビデ的な王を立てることを約束しました。そんな理想的な羊飼いとして、イエスさまは自らを提示しました。イエスさまは「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言います(11節)。羊のために羊飼いが自ら進んで自分の命を捨ててしまったならば、羊たちの命は結局、危険に晒されてしまうのではないでしょうか。イエスさまは、羊飼いが日常的に負っている命の危険を思い起こしながら、羊たちを最後まで責任をもって養い、守り続けることを伝えようとしたのでしょう。自分の命の危険を抱えつつも、イエスさまは決して止まりませんでした。出会うすべての人たちに対して、羊飼いであることをやめませんでした。福音書のイエス・キリストの物語を読み進めるならば、そんなイエスさまの歩みは、最終的に、十字架の上での死にたどり着くことになると知ることになります。そのため、単なる日常的な命の危険だけでなく、最終的な自分の死も含めて、イエスさまは「羊のために命を捨てる」と語ったのでしょう。イエスさまの死と復活は、すべての人々に命を与えるものでした。罪に支配されている日常を終わらせ、神の愛に包まれ、命にあふれる歩みへと私たちを招くために、イエスさまは十字架にかかり、すべての人に罪の赦しを宣言されました。そして、死者の中から復活することを通して、イエスさまは、私たちに対しても、復活の命に生きる希望を与えてくださいました。イエスさまはまさに、十字架の死と復活を通して、すべての人に命を与え、その歩みを守り、最後まで責任をもって導く羊飼いとなりました。イエスさまは、どのような人に対しても、羊飼いでいてくださいます。というのも、囲いの中に入っていない、他の羊を導かなければいけないと、イエスさまは語っているからです。文字通りすべての人をご自分の羊と受け止め、命を与え、養い、導くために、イエスさまは追いかけてくださる方です。ですから私たちの人生は最初から最後まで、羊飼いであるキリストと共にあります。私たちが一緒に歩んでいる、天のみ国に至るその旅の終わりまで、羊飼いであるキリストは私たちの旅に伴ってくださいます。羊飼いキリストはいつも、天の御国へ続く私たちの旅を支え続けてくださいます。
By 小山ナザレン教会2025年11月2日 三位一体後第20主日
説教題:羊飼いキリスト
聖書: ヨハネによる福音書 10:11–18、エゼキエル書 34:11-16、詩編 23、ペトロの手紙 一 2:24-25
説教者:稲葉基嗣
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エゼキエル書34章で、神はイスラエルの羊飼いとして行動することを約束します。イスラエルの歴代の王たちは、羊である民を決して気遣うことがなかったため、神自身が羊飼いとして立ち上がり、迷い出た羊である人々を探し、救い出し、傷ついた彼らを癒やし、これからもその歩みを導くことを約束されたのです。神は同時に、理想的な羊飼いとして、ダビデ的な王を立てることを約束しました。そんな理想的な羊飼いとして、イエスさまは自らを提示しました。イエスさまは「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言います(11節)。羊のために羊飼いが自ら進んで自分の命を捨ててしまったならば、羊たちの命は結局、危険に晒されてしまうのではないでしょうか。イエスさまは、羊飼いが日常的に負っている命の危険を思い起こしながら、羊たちを最後まで責任をもって養い、守り続けることを伝えようとしたのでしょう。自分の命の危険を抱えつつも、イエスさまは決して止まりませんでした。出会うすべての人たちに対して、羊飼いであることをやめませんでした。福音書のイエス・キリストの物語を読み進めるならば、そんなイエスさまの歩みは、最終的に、十字架の上での死にたどり着くことになると知ることになります。そのため、単なる日常的な命の危険だけでなく、最終的な自分の死も含めて、イエスさまは「羊のために命を捨てる」と語ったのでしょう。イエスさまの死と復活は、すべての人々に命を与えるものでした。罪に支配されている日常を終わらせ、神の愛に包まれ、命にあふれる歩みへと私たちを招くために、イエスさまは十字架にかかり、すべての人に罪の赦しを宣言されました。そして、死者の中から復活することを通して、イエスさまは、私たちに対しても、復活の命に生きる希望を与えてくださいました。イエスさまはまさに、十字架の死と復活を通して、すべての人に命を与え、その歩みを守り、最後まで責任をもって導く羊飼いとなりました。イエスさまは、どのような人に対しても、羊飼いでいてくださいます。というのも、囲いの中に入っていない、他の羊を導かなければいけないと、イエスさまは語っているからです。文字通りすべての人をご自分の羊と受け止め、命を与え、養い、導くために、イエスさまは追いかけてくださる方です。ですから私たちの人生は最初から最後まで、羊飼いであるキリストと共にあります。私たちが一緒に歩んでいる、天のみ国に至るその旅の終わりまで、羊飼いであるキリストは私たちの旅に伴ってくださいます。羊飼いキリストはいつも、天の御国へ続く私たちの旅を支え続けてくださいます。