小山ナザレン教会

揺れる都、揺れぬ御国(稲葉基嗣) – マタイ21:1–11


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「揺れる都、揺れぬ御国」

2023年4月2日 しゅろの主日

聖書 マタイによる福音書 21:1−11、列王記 上1:32−40

説教者 稲葉基嗣


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【説教要旨】

イエスさまがエルサレムに入場したとき、エルサレムの都の人たちはイエスさまをどのように受け入れたのでしょうか。マタイは、都中の人びとが騒いだと記録しています。「騒いだ」と訳されているギリシア語の単語は、地震の揺れを表す言葉です。イエスさまの訪れは、エルサレムの人びとにとって、地を揺らすような、地鳴りのような、嵐のような出来事でした。普段は揺らぐことのない大地が、自分の足で立つことができないほどに、身の危険を感じるほどに揺れる。イエスさまのエルサレム入場は、あらゆるものを揺るがすような出来事だったと、マタイは伝えようとしています。

軍馬ではなく、ロバに乗ったイエスさま、平和的な王として描かれているのに、なぜエルサレムの人びとは騒いだのでしょうか。マタイは、イエスさまがエルサレムに入場した出来事についてのみ考えて、エルサレムの都が騒いだと記したのではないと思います。これからエルサレムの都で地震の揺れのような騒ぎがイエスさまを中心として徐々に大きくなることを念頭に、マタイはこの言葉を選んだのでしょう。

エルサレムの都中は、イエスさまの受難、死、復活を通して、揺れました。ある人たちは、不安を覚えました。また、動揺しました。一度イエスさまを拒絶してしまったのですから、イエスさまを通して、神が救いの手を差し伸べているだなんて、まして、イエスが神の子だなんて、信じがたく、受け入れ難いことでした。ある人たちは喜び、感動を覚えました。イエスさまを通して、神の愛が示されていると知ったからです。ご自分の愛するひとり子を十字架にかけるほどに、私たちひとりひとりを神が愛しておられることをイエスさまを通して知ったからです。

イエスさまを通して、神の愛はエルサレム中の人々を揺らしました。神の愛は、今も私たちを揺さぶり続けています。そのままでいる方が、今のままで生き方を変えない方がはるかに楽です。でも、神の愛や憐れみに触れる時、愛や憐れみが呼び起こされてしまう。そうやって、神はこの地に生きるすべての人を揺らし続けています。

その一方で、決して揺れ動くことのない、天の御国を神はわたしたちに与えてくださいました。決して揺るがない天を目指して、この世界の様々なことに揺らされながら、時には神の愛に揺り動かされながら、歩んでいく。それが主キリストにあって、この世の旅を歩む私たちです。

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