小山ナザレン教会

揺れる信仰、揺るがぬ神の愛(稲葉基嗣) – マタイ28:1-10


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2023年4月9日 復活の主日
聖書 マタイによる福音書28:1−10、ダニエル書10:5−6
説教者 稲葉基嗣
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【説教要旨】
イエスさまが十字架にかけられ、十字架の上で息を引き取ってから3日目に、ふたりの女性がイエスさまのお墓の前に立っていたとマタイは記録しています。彼女たちが大きな悲しみを抱えてお墓の前に立っていたことは間違いありません。イエスさまの葬りやお墓のもとに、ふたりの女性たちしかいないことを通して、どれほど多くの人たちが失望し、落胆していたかがわかるでしょう。これまでイエスさまと一緒に歩んできた多くの人たちがイエスさまの死を通して、動揺し、失望し、離れていきました。それでも神は、イエスさまのもとから離れていった多くの人たちを見捨てませんでした。
マタイは、イエスさまの復活の日の朝に起こった出来事に、深く神が関わっておられたことを示しています。天使が、イエスさまが葬られたお墓に訪れ、
墓石を転がし、お墓を開けました。天使が現れたのは、イエスさまが復活するその瞬間をこの女性たちや墓を見張る人たちに見せるためではありませんでした。イエスの身体が墓の中にないことを見せるために、天使は現れました。彼女たちが悲しんでいるそのとき、神が既にその背後で働いていたことを空の墓を見せることを通して、天使は彼女たちに伝えました。イエスさまの死を通して、彼女たちの心は、信仰は揺れ動いていました。でも、神の愛は変わらず、揺るがないものでした。お墓の中にイエスさまの身体がなかったからです。
主はよみがえられた!それは、わたしたちに喜びと希望を与える合言葉です。イエスさまが復活したから、暴力や死の力が永遠の勝利者ではないことをわたしたちは知っています。この世界にはびこる暴力も最後には終わりを迎え、神が平和と解放をもたらし、死と暴力で蹂躙される世界に新しい命の息を与えることをわたしたちは希望として抱き、信じています。神の子が復活したから、わたしたちは死の先に復活を望み見ています。
この地上の旅の先に、天の御国があることを知っています。死によっても奪うことができない、決して揺るがない神の愛がイエスさまを通して、わたしたちに注がれています。わたしたちの生涯の歩みにおいて、わたしたちの足元がおぼつかない、危なげな一歩一歩において、神の揺るがない愛は注がれています。これが、わたしたちの人生を強く包み込んでいる希望です。
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