カップに入ったコーヒーをひと口すする、そんな単純な行動も何兆という電気インパルスが支えています。視覚系がコーヒーカップを捉えるためにその場を見渡すと、過去の同じ状況の記憶がよみがえり、前頭皮質から運動皮質へ信号が送られ、胴体・腕・前腕・手の筋肉収縮を正確に連係させてカップをつかみます。カップに触れると、神経はカップの重さ・位置・温度・取っ手のすべりやすさなどの情報を送り返し、その情報が脊髄を通って脳に流れ込むと、補完情報がまた送り返されます。基底核、小脳、体性感覚皮質、その他さまざまな脳の部位どうしのこうした情報の複雑なやり取りの結果、一瞬でカップを持ち上げる力や握力が調整され、長い弧を描くようにスムーズに口元までカップは持ち上げられ、やけどしないように液体が唇に流し込まれるよう筋肉の調整が行われます。
このような集中的な計算とフィードバックをやってのけるには、世界最速のスーパーコンピュータが何台必要になるか分かりません。ところが、その時意識されているのはテーブルの向こうにいる相手との会話の内容で、しかもその会話を成立させる唇の動きや呼気の調整も、意識されることはありません。私たちの運動のほとんどは、無意識のうちに行われているのです。
イアン・ウォーターマンという男性は、胃腸の流感による神経障害により、触覚と、固有受容覚という手足の位置に関する感覚神経を失いました。しかし、彼はその状態に屈することなく、手足の位置の全てを視覚に頼り、一つひとつの動きに意識を集中させることで、歩行できるようになりました。とはいえ、身体感覚無しに体を動かすということは、全自動で動いていたロボットの手足の動き一つひとつを手動で操作するような困難な作業です。人間と同じように運動することのできる全自動ロボットは、今のところ存在しません。
人間の運動のほとんどは小脳を中心に無意識的に行われています。スポーツや曲芸などは、いかに無意識的に行えるかが重要で、何かを意識するとむしろ動きが鈍くなります。では、行動の大部分が無意識的に全自動で行われるのなら、いつ意識は表れるのでしょう。それは、予想外に無意識の行動が阻害された時や、神経ネットワークが構築されていないような前例のない事をしなければならない時です。そのような状況における神経の葛藤こそ、意識の正体だと言えそうです。