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Podcastが今 No.71
昨夜気付いたこと
1970年代が一番良い時代だったこと
自分もだけど
たぶん近年では日本が一番平和だった時代かもしれない
ボクのPodcastも70番代は楽しくいこうと思う
前回は第一カートランドでの思い出
話をしだすとふといろんなことを次々思い出しました
八日市カートランドってスケートリンクの跡だったみたい
今はコストコができてるようです
政治活動と関係ないようなことを言っているが
大いに関係する話だ
手取りが増えたら何やってもいいのか?
信頼できない男に政治を任せるわけにはいかない
女性軽視もはなはだしい
連合の芳野氏はもっとはっきり言うべきだ
No.68は車中ですが早朝撮影です
忘れかけていた嫌な出来事がまた蒸し返される
こいつをみな山に捨てに行こう!
また明日の夜から普通に戻ります
トヨタスピードランド
このロングストレートでは亜久里君のパリラSSSよりボクがチューニングしたヤマハの方が速かった
父・正士(1936-2011)は神戸生まれで愛媛県新居浜市、千葉県市川市で育ち、習志野市の東邦大学付属東邦高等学校卒業後、日本大学芸術学部で演劇を学び、日大応援団長も務めたのち、ホンダ航空で整備に携わった。レーサーの浮谷東次郎とも親交があり、浮谷から教わったレーシングカートの普及に携わることになる。1973年にカートショップ「ビック」を設立し、日本自動車連盟のカート委員も務めた。また、生沢徹や本田博俊も日本大学の同窓生であり、学生結婚で生まれた亜久里は、博俊の父である本田宗一郎に可愛がられた。
カート時代
1978年、1981年に全日本カート選手権A2クラスのチャンピオンに輝く。
とあったので、ボクが一戦交えたのは1978年だと思う
ボクも出場権は持っていたのだか遠いので行かなかった
今から考えると残念なことをした
ちなみに亜久里君とセナは同い年だったようだ
前々回のミッションカートでお話したように
二輪に移行する前に短期間ですがレーシングカートに乗ってました
その時期に全日本選手権(豊田スピードランド)へ出場したときの思い出です
2位でもよかったのに、その時の私にはそれは許せない事でした
若かったというか、先の計算ができないバカでした
調べてみたら亜久里君は7つ、利男君は2つ下でした
「とよの山遊び」とよさんのカレンダーが届きました
12月中旬ぐらいって思っていたのでビックリ
予想通り写真が最高です
来年はこのカレンダーのように最高の1年になってほしい
※「とよの山遊び」のとよさん制作2025年壁掛け型カレンダーの開封動画
https://www.youtube.com/watch?v=9x4usuubP7I
そしてレース昔話は
YRSが2輪に移行した理由を話します
鈴鹿1000kmから何年か過ぎての出来事
星野さんにとっては記憶に残ることもないチープな出来事
でもボクにとっては大切な思い出
星野さんが「花輪社長が直接メンテすることなんてめったにないよ!」っておっしゃってました
ルマン商会の花輪社長
とっても優しい良い方でした
鈴鹿1000kmは1966年より開催されていて、私が出場した時代では日本の自動車レース最大のビッグイベントでした
スタート直後の混乱に乗じて前に出た私は日産大森のチェリーX1Rを130Rでインからかわし最終たちあがりまでポジションをキープ
一瞬だけでも星野さんの前に出れたのは私にとって勲章のような忘れられない思い出です
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