流れのほとりに

約束の一里塚(ヨシュア記8章30節~35節)


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序)ヨシュア記の主人公

・ヨシュア記の主人公は、主なる神。人間ヨシュアが主導するとき、事はうまく運ばない。アイでの戦い、9 章のギブオン人(聖絶対象であったが、取り込まざるを得なくなった)との盟約も同様。

・9 章 14 節で、「主の指示を仰がなかった」とシビアに評されている。

・「主のしもべ」とヨシュアが評されるのは、臨終のとき(24 章 29 節)

→ そんなヨシュアを用いられる神の憐れみと第二のヨシュアへの期待。

1)「もっと良い道」としての 30 節~35 節

・「一つの祭壇を築いた」…ヘブル語は明らかに「未完了形」であり「一つの祭壇を築くべきだった」と訳す方が文法的にも文脈的にもふさわしい。31 節以降は、全体が仮定法過去のような語り方。

・この箇所はヨシュア記の著者の示す理想形であり、実際の出来事の記述ではないと理解するのがよい。

・「エバル山」(向かい合うゲリジム山)のふもとは、シェケムという重要な町であるが、この町のことは一切触れられていない。また、エリコとアイから50 キロ以上離れており、簡単には到達できない。

・律法(申命記 27 章)に従うなら、何はともあれ、ここに上るべきだった。

→ヨシュアたちは 24 章に至って(晩年)ようやくシェケムに集う。しかし、「もっと早くこうしていればよかったのだ」と著者は見ていた。

2)「エバル山」のふもと、シェケムに立つ意味

・シェケムとは、創世記 12 章に出てくるアブラムによる最初の祭壇が築かれた場所である。ここに出エジプトの民が来る意味は非常に大きい。

・「全焼のいけにえ」とは、まったき献身を示す。「交わりのいけにえ」とは、神様を中心にした焼肉の宴であり、神を喜び、互いを支え合う喜びの礼拝が想定されている。しかも、性別・年齢・出自が分け隔てなく招かれている。ここで行われる礼拝が、これからの戦いのための力の源になるはずだった。

・ここに祭壇を築いたならば、過去を振り返って約束の成就を確信し、御言葉によって未来の展望が開かれる、約束の一里塚になるはずだった。

結)もう一度、約束の一里塚に立つために

・毎週の礼拝が、私たちにとって「約束の一里塚」になり得る。そのために①恰好つけずに神の前に出る(cf.自然のままの石)②神様に一直線に向かう献身③分かち合うことを忘れない、の 3 つが重要である。

・ともにシェケムに上れるように、祈ろう。礼拝から約束は成就していく。

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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