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📖『ざしき童子のはなし』朗読 – 古い家にひそむ座敷童子の不思議な気配👦🏚️✨
静寂に満ちた古い家に響く、不思議な気配の物語へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の『ざしき童子のはなし』。
明るい昼間、みんなが山へ働きに出て、大きな家には子供がふたりだけ。誰もいないはずの静まり返った家の中から、どこかの座敷で「ざわっざわっ」と箒の音が聞こえてきます。ふたりの子供は肩にしっかりと手を組み合って、こっそりと音の正体を探りに行きますが、どの座敷にも誰もおらず、刀の箱もひっそりとして、垣根の檜がいよいよ青く見えるきり。遠くの百舌の声なのか、北上川の瀬の音なのか、どこかで豆を箕にかける音なのか——いろいろ考えてもやっぱりどれでもないようでした。確かにどこかで、ざわっざわっと箒の音が聞こえているのです。
またある日のこと。「大道めぐり、大道めぐり」と一生懸命叫びながら、ちょうど十人の子供らが両手をつないで丸くなり、ぐるぐるぐるぐる座敷の中を回って遊んでいました。どの子もみんな、そのうちのお振舞いに呼ばれて来た子供たちです。ぐるぐるぐるぐる、回って遊んでいると、いつの間にか十一人になっていました。ひとりも知らない顔がなく、ひとりも同じ顔がなく、それでもやっぱり、どう数えても十一人だけいるのです。その増えた一人が座敷ぼっこなのだと、大人が出て来て言いました。けれども誰が増えたのか、とにかくみんな、自分だけは、どうしても座敷ぼっこでないと、一生懸命目を張って、きちんと座っていました。
さらに別の出来事では、ある大きな本家でいつも旧暦八月のはじめに如来様のお祭りで分家の子供らを呼ぶのでしたが、ある年その一人の子がはしかにかかって休んでいました。「如来さんの祭りへ行きたい。如来さんの祭りへ行きたい」と、その子は寝ていて、毎日毎日言い続けます。本家のおばあさんが見舞いに行って「祭り延ばすから早くよくなれ」とその子の頭をなでて言いました。その子は九月によくなり、みんなが呼ばれることになりましたが、ほかの子供らは、いままで祭りを延ばされたり、鉛の兎を見舞いに取られたりしたので、なんとも面白くなくてたまりません。「あいつのためにひどい目にあった。もう今日は来ても、どうしたって遊ばないぞ」と約束し、その子が来ると次の小さな座敷へ隠れました。ところが、その座敷の真ん中に、今やっと来たばかりのはずのあのはしかを病んだ子が、まるっきりやせて青ざめて、泣き出しそうな顔をして、新しい熊のおもちゃを持って、きちんと座っていたのです。
この物語には、北上川の朗妙寺の淵の渡し守が語る、月夜の晩に紋付を着た美しい子供を舟で渡した不思議な体験も収められています。座敷童子は家から家へと移り住み、その去来によって家の運命が左右されるという、古くから語り継がれる不思議な存在として描かれています。
現実とも幻ともつかない、静かな午後の古い家で起こる小さな出来事たち。箒の音、増える子供の数、隠れた座敷に現れる影——日常の中にひそやかに息づく不思議な気配を、東北の言葉で語られるいくつかの体験談として記されています。座敷童子という東北地方に伝わる精霊の存在を通して、見えるものと見えないもの、そこにいるものといないものの境界があいまいになる、静謐で神秘的な世界が広がります。
#童子
📖『ざしき童子のはなし』朗読 – 古い家にひそむ座敷童子の不思議な気配👦🏚️✨
静寂に満ちた古い家に響く、不思議な気配の物語へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の『ざしき童子のはなし』。
明るい昼間、みんなが山へ働きに出て、大きな家には子供がふたりだけ。誰もいないはずの静まり返った家の中から、どこかの座敷で「ざわっざわっ」と箒の音が聞こえてきます。ふたりの子供は肩にしっかりと手を組み合って、こっそりと音の正体を探りに行きますが、どの座敷にも誰もおらず、刀の箱もひっそりとして、垣根の檜がいよいよ青く見えるきり。遠くの百舌の声なのか、北上川の瀬の音なのか、どこかで豆を箕にかける音なのか——いろいろ考えてもやっぱりどれでもないようでした。確かにどこかで、ざわっざわっと箒の音が聞こえているのです。
またある日のこと。「大道めぐり、大道めぐり」と一生懸命叫びながら、ちょうど十人の子供らが両手をつないで丸くなり、ぐるぐるぐるぐる座敷の中を回って遊んでいました。どの子もみんな、そのうちのお振舞いに呼ばれて来た子供たちです。ぐるぐるぐるぐる、回って遊んでいると、いつの間にか十一人になっていました。ひとりも知らない顔がなく、ひとりも同じ顔がなく、それでもやっぱり、どう数えても十一人だけいるのです。その増えた一人が座敷ぼっこなのだと、大人が出て来て言いました。けれども誰が増えたのか、とにかくみんな、自分だけは、どうしても座敷ぼっこでないと、一生懸命目を張って、きちんと座っていました。
さらに別の出来事では、ある大きな本家でいつも旧暦八月のはじめに如来様のお祭りで分家の子供らを呼ぶのでしたが、ある年その一人の子がはしかにかかって休んでいました。「如来さんの祭りへ行きたい。如来さんの祭りへ行きたい」と、その子は寝ていて、毎日毎日言い続けます。本家のおばあさんが見舞いに行って「祭り延ばすから早くよくなれ」とその子の頭をなでて言いました。その子は九月によくなり、みんなが呼ばれることになりましたが、ほかの子供らは、いままで祭りを延ばされたり、鉛の兎を見舞いに取られたりしたので、なんとも面白くなくてたまりません。「あいつのためにひどい目にあった。もう今日は来ても、どうしたって遊ばないぞ」と約束し、その子が来ると次の小さな座敷へ隠れました。ところが、その座敷の真ん中に、今やっと来たばかりのはずのあのはしかを病んだ子が、まるっきりやせて青ざめて、泣き出しそうな顔をして、新しい熊のおもちゃを持って、きちんと座っていたのです。
この物語には、北上川の朗妙寺の淵の渡し守が語る、月夜の晩に紋付を着た美しい子供を舟で渡した不思議な体験も収められています。座敷童子は家から家へと移り住み、その去来によって家の運命が左右されるという、古くから語り継がれる不思議な存在として描かれています。
現実とも幻ともつかない、静かな午後の古い家で起こる小さな出来事たち。箒の音、増える子供の数、隠れた座敷に現れる影——日常の中にひそやかに息づく不思議な気配を、東北の言葉で語られるいくつかの体験談として記されています。座敷童子という東北地方に伝わる精霊の存在を通して、見えるものと見えないもの、そこにいるものといないものの境界があいまいになる、静謐で神秘的な世界が広がります。
#童子