極論を言えば、“違いを認めて補う”って事です。
所謂男女格差の要諦を歴史的、及び地域的背景を踏まえた上で検証すると、自ずと本意から外れて形骸化した実態が見えてくる訳です…つまり、元々は家族・親類を守る上で必要だった事柄が時代を経て、世代が降るうちに意味を履き違え、それを修正しようとした途端、教義の整合性が取れないという“変な矛盾”にブチ当たり、文章読解力や識字率の低下による、経典や古文書の誤解読が増え、更に時の指導者が配下の民衆を支配しやすい様に、法の歪曲や悪用を見逃し許した結果、為政者と愚民という“存在してはいけない身分差”が生まれ、そこから“あってはいけない”対立軸が、勝手に形成されてしまったのです…歴史上での戦乱の多くは、ほぼこれの繰り返しです。
つまり、自分という存在が、自分自身で迷子になってるからこそ比較対象を“自分以外”に求め、自分の方が“優位”である事を“他人”に認めて欲しいけど、自分が求める答えじゃないから揉めるのです…身勝手すぎるし、他人にも各々の思惑や価値観があるから、合致しないのが普通です。それが理解できない以上、解り合う事も共存する事も不可能です。