小山ナザレン教会

祝福と喜びの互恵関係を生きる(石田学) – ローマ 15:22–33


Listen Later

2025年10月26日 三位一体後第19主日

説教題:祝福と喜びの互恵関係を生きる

聖書: ローマの信徒への手紙 15:22–33、イザヤ書 56:1–8、詩編 65、ヨハネによる福音書 10:11

説教者:石田学

 

-----

教会には牧師がいる、それが当たり前だと思ってきました。しかし今、その当たり前が失われ、教会に牧者がいない現実が広がっています。日本のナザレン教会は、いまおよそ20%の教会が専属牧師のいない状態です。そうなった大きな要因の一つは牧師職に魅力を感じて心動かされないからです。牧師がいなければ教会は成り立たないというわけではありません。しかし、牧師であること・牧師がいることの祝福と喜びがあるのは確かです。牧者が教会から受ける祝福と喜びとは、どのようなものでしょうか。教会が牧者から受ける祝福と喜びとは、どのようなものでしょうか。きょうわたしたちはローマ書15:22−33を読みました。パウロはローマに行ったことがなく、教会もパウロが始めたわけではありません。しかしパウロは、牧者としてローマを訪れるつもりであることを告げるのです。パウロは、牧者と教会が祝福と喜びの互恵関係にあることを明らかにします。もちろんパウロはローマにずっと居続ける牧者であることはできません。しかし、牧者としてローマにいる間は、相互に祝福と喜びがあると確信しました。牧者としてパウロは24節で「あなたがたと共にいる喜びを味わう」と告げ、32節では「喜びのうちにあなたがたのところに行き、憩う」のだと語ります。他方ローマ教会はパウロから「キリストの祝福を溢れるほど」豊かに受け、牧者パウロのために祈り、一緒に戦うことが教会の喜びであると告げられます。この祝福と喜びの互恵関係は、パウロとローマ教会だけのことではありません。時代と場所を超えて、牧者と教会の間にはこの互恵関係が存在しています。この互恵関係があれば、牧者は牧者だからこその祝福と喜びを抱くことができ、教会はキリストの祝福を牧者から溢れるほど豊かに受け、牧者のために祈り、牧者と共に信仰の戦いを続ける喜びを抱くことができます。この互恵関係が壊れるとき、牧者はその職務の祝福と喜びを感じられず、教会は牧者を喜びとし、支えて共にキリストに仕えることをしなくなります。わたしは40年少々にわたり、小山教会から祝福と喜びを与えられてきました。この教会で皆さまとの交わりを持つことが、わたしの尽きぬ喜びでした。たとえ心身も信仰も疲れ果てても、教会で癒され憩うことができました。教会の皆さんはどうであったのか、それを判断するのは皆さんのすることです。しかし確かなことは、わたしは心を尽くしてキリストの祝福を語り伝えてきました。皆さんはわたしたちのために祈り、教会の働きを共に担ってくださいました。いまわたしはその勤めを後任の牧師に託しました。だが確信しています、祝福と喜びの互恵関係がしっかり引き継がれていると。皆さんはどうぞ、この教会で祝福と喜びの互恵関係を生きてください。

...more
View all episodesView all episodes
Download on the App Store

小山ナザレン教会By 小山ナザレン教会