小山ナザレン教会

主イエスはどこへ行くのだろうか?(稲葉基嗣) – ヨハネ 7:32–36


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2024年11月10日 三位一体後第24主日

説教題:主イエスはどこへ行くのだろうか?

聖書: ヨハネによる福音書 7:32–36、創世記 12:1–3、詩編 131、ガラテヤの信徒への手紙 4:6–7

説教者:稲葉基嗣

 

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イエスさまを捕えるために、ファリサイ派の人たちと祭司長たちが手を組んで、下役たちを遣わしたという報告から、きょうの福音書の物語は始まっています。自分を捕らえにやって来た人たちに対して、イエスさまは自分がやがて、人びとの前からいなくなることをほのめかします。ここではない、違う場所へ、すなわち神のところへ行くと、イエスさまは話しました。神のもとから来たイエスさまが、神のもとへと帰っていく。それは、とても自然なことのように聞こえます。けれども、同時に、疑問が湧いてくるかもしれません。どうやったら神のもとへ戻ったイエスさまに会えるのでしょうか。どれだけ頑張って捜しても、どれだけわたしたちが心の底から願っても、イエスさまを見出すことはできないということなのでしょうか。イエスさまが地上で暮らすことには、ひとつの限界が伴っていました。たしかに、神がわたしたちと共にいてくださることは、イエスさまが人となり、地上で生活をされることを通して、明らかにされました。でも、イエスさまがこの地上で生きる限り、イエスさまと共に生きることが出来る人たちは限定されてしまいます。肉体はひとつですから、とどまれる場所もひとつだけです。どれだけ多くの人に神の愛を伝えたいと願ったとしても、制約が多すぎました。だからこそ神のもとに帰ったとき、イエスさまは、聖霊を送ってくださいました。そうすることによって、すべての人と、いつも、どのような時も、イエスさまは神の霊にあって結ばれています。ということは、イエスさまは、神のもとへと帰って行ったとしても、変わらずに、わたしたちと共にいてくださっています。聖霊によってわたしたちは、イエスさまと結ばれています。わたしたちが探すよりも前から、わたしたちが求めるよりも前から、イエスさまの方から、わたしたちのもとに来て、わたしたちと共にいてくださっています。イエスさまが霊において、わたしたちと共にいてくださり、わたしたちといつも交わりを持ってくださっていることはとても幸いなことです。けれども、イエスさまは、わたしたちと個人的に出会うことだけを目指して、わたしたちのもとに来たわけではありません。わたしたちと誰かのもとへ行くために、イエスさまはわたしたちと共におられます。イエスさまは、わたしたちと一緒に、神の愛や憐れみ、平和や祝福をこの世界に届けたいと願っておられます。

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