小山ナザレン教会

主イエスはどこにいるのか?(稲葉基嗣) – マタイ28:16–20


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2023年 4月23日  復活節第3主日
聖書 マタイによる福音書28:16−20、ハガイ書1:12–15、ローマの信徒への手紙14:9、詩19
説教題 「主イエスはどこにいるのか?」
説教者 稲葉基嗣
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【説教要旨】
マタイは弟子たちの心の葛藤なようなものをとても簡潔に表現しています。
「イエスに会い、ひれ伏した(礼拝した)。しかし、疑う者もいた。」(17節)
弟子たちは復活したイエスさまと直接出会えたからといって、完全に喜びで心がいっぱいになったわけでも、神を礼拝する思いで溢れたというわけでもありませんでした。それよりも、イエスさまを裏切って、見捨ててしまったこと、自己保身のためにイエスさまのことを否定してしまったことなど、過去の過ちが頭の中を駆け巡り、どうして良いかわからず、彼らは戸惑いました。
そんな弟子たちのもとにイエスさまは近寄って来て、彼らに語りかけました。わたしたちの生きる社会の論理で物事が進むならば、きっと、失敗した弟子たちはもう用済みになってしまうことでしょう。
けれど、イエスさまは弟子たちを見捨てませんでした。弟子たちを諦めず、信頼して、彼らの過去の過ちを赦し、失敗した彼らに、弟子であり続けることを求めています。この弟子たちを通してイエスさまはすべての人をご自分のもとへと招きました。君も弟子にならないか?一緒に天の国を目指す旅に加わらないか?神がわたしたちに与えてくださる、天の国の喜びや驚きを一緒に味わい、一緒に学び続けないか?
弟子は、先生の後をついて、先生から学び続ける必要があります。先生の後に倣って、先生をまねて、どのようにこの世の旅路を歩むべきか、どのように日常で遭遇する問題について考えるべきか、どのように困難な中で神に従うべきなのかを学び続ける必要があります。
わたしたちが招かれている弟子というあり方は、牧師や、教会の役員や、信仰歴の長い人たちの弟子になることではありません。主イエスの弟子となることです。
どのような形でイエスさまはわたしたちと共にいてくださるのでしょうか。神が共にいるというメッセージは、マタイによる福音書でブックエンド(本立て)のような役割を果たしています。この福音書の冒頭の物語で、母マリアのお腹の中いるイエスさまはインマヌエル(神はわたしたちと共にいる)と呼ばれました。目には見えないけれど、イエスさまが霊にあって、わたしたちひとりひとりと共にいてくださることがとても象徴的に示されています。
そうであるならば、あらゆる人を弟子に招くイエスさまは、あらゆる人と共にいてくださっているはずです。みなさんの人生のいついかなるときも、イエスさまを通して神は共におられます。
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