小山ナザレン教会

主イエスはかき乱す(稲葉基嗣) – ヨハネ 7:10–24


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2024年10月27日 三位一体後第22主日

説教題:主イエスはかき乱す

聖書: ヨハネによる福音書 7:10–24、イザヤ書 11:1–8、詩編 140、ローマの信徒への手紙 14:7–13

説教者:稲葉基嗣

 

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イエスさまの生涯は、平和で満ちていたわけではありませんでした。イエスさまの周りにはいつも論争があり、イエスさまはいつも人びとの敵意に晒されていました。驚きなのは、イエスさまの側から波風を立て、人びとの日常をかき乱し、騒ぎを大きくしているかのようであったことです。祭りのためにエルサレムへ行った時も、イエスさまは騒ぎを起こしました。イエスさまは、「あなたがたは誰もその律法を守らない」と言います。その直前の言葉も含めて考慮するならば、誰も神の思いを知っていないから、自分のことを適切に判断することは難しいかもねと、伝えているかのようです。なぜイエスさまはこのような言い方をして、人びとの心をかき乱したのでしょうか。それは、律法に表されている神の思いを汲み取って、生きているのかと、人びとに改めて問いかけたかったからではないでしょうか。イエスさまは安息日と割礼のどちらを優先すべきかという議論を用いて、身体の一部のために、安息日に仕事をすることが許されるならば、身体全体が癒やされるために、安息日に仕事をすることが許されるのは当然でしょう?と伝えています。イエスさまはこの議論を通して、表面的に律法を守ることではなく、そこに込められている神の願いを汲み取りながら、判断することが大切なんだよと、その場にいる人たちに伝えました。そもそもこの話は、イエスさまが安息日に病人を癒すことをしなければ、始まることがないものでした。イエスさまは自ら進んで、人びとの当たり前をかき乱し、混乱をもたらしています。イエスさまが常識や当たり前に疑問を突きつけているのは、なぜなのでしょうか。きっと、人びとが律法を守るその背後で、苦しんでいる人たちがいたからでしょう。すべての人に平和が実現することは、当たり前や常識が揺るがされずに、保たれ続けることとは違います。当たり前や常識という価値観の下で、不利益を被っている人たちがいます。そんな人たちは、イエスさまの周りに、確かにいました。だから、イエスさまは彼らに手を差し伸べるために、常識や当たり前を揺るがし、人びとの心をかき乱そうとしたのではないでしょうか。キリストの平和がすべての人に届くことを願って、当たり前や常識の背後で苦しむ人たちのために、イエスさまはたくさんの人たちの心をかき乱し、常識や価値観を揺さぶるのです。

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