小山ナザレン教会

主イエスはわたしたちの内にとどまっている(稲葉基嗣) – ヨハネ 6:51–59


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2024年10月6日 三位一体後第19主日

説教題:主イエスはわたしたちの内にとどまっている

聖書: ヨハネによる福音書 6:51–59、レビ記 17:10–14、詩編 148、ヘブライ人への手紙 4:8–11

説教者:稲葉基嗣

 

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「私が与えるパンは、世を生かすために与える私の肉である」(51節)というイエスさまの言葉は、なんとも生々しく、おどろおどろしい表現です。これには、その場にいた人々もギョッとさせられました。ユダヤ人たちにとって、命である血と一緒に肉を食べることは、律法の言葉が禁じていることだったからです。なぜユダヤ人たちが食べることを禁止されているものをイエスさまはわざわざ彼らに提示しているのでしょうか。それは、まさにイエスさまが自分自身の存在を、命のすべてを注ぎ出して、わたしたちに与えていることを伝えるためでした。飲食することは、食材や飲料が自分にとって良いものと信じ、受け止めることです。また、食べたものや飲んだものが、わたしたちの身体の中を行きめぐり、わたしたちの身体を養い、わたしたちの身体の一部となっていくことです。イエスさまが、ご自分の肉を食べ、血を飲むようにと語ることを通して、わたしたちに伝えたいことは、そういったことです。パンや肉によって身体を整えられ、生かされ、元気づけられるように、イエスさまはわたしたちの全存在を養おうとされています。それは、イエスさまがわたしたちの身体に元気を与え、心に充足感や安心を与えるという意味ではありません。憐れみ深いイエスさまが、わたしたちの内にとどまり、憐れみに生きる方法を教えてくださいます。憐れみに生きることがわたしたちにとって、最も自然な方法となるように、血となり、肉となって、わたしたちの一部となるように、イエスさまが少しずつ働きかけてくださっています。わたしたちの内にとどまるイエスさまは、平和を作る道を教えてくださっています。命のパンについて語ったイエスさまは、この食事をプライベートなものではなく、たくさんの人たちが一緒に味わうものだと考えています。わたしたちは教会に集う友たちと一緒に、この命のパンを分かち合い、味わいます。一緒に、イエスさまを受け入れ合い、イエスさまがわたしたちの人生に一体何をしてくださっているのか、何を教えてくださっているのかを味わい、お互いにその喜びや受けた恵みを分かち合います。生活や関わり合う人たちとの関係の中に、キリストの平和をどのように花開かせていくのかをわたしたちはお互いに模索します。そのようにして、これからもイエスさまを心の内に宿しながら、信仰の旅路を一緒に歩んで行きましょう。

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