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2025年6月29日 三位一体後第2主日
説教題:主イエスこそ我が望み
聖書: ローマの信徒への手紙 15:1–6、ミカ書 4:1–3、詩編 70、ヨハネによる福音書 8:12
説教者:石田学
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きょうのローマの信徒への手紙で、パウロは不思議な言い方を使っています。神のことを「忍耐と慰めの源である神」と呼んでいるのです。神を言い表す言葉は、聖書の中にたくさんあります。救いの神、聖なる神、キリストの父なる神、偽ることのない神、などなど。それはわたしたちの存在のすべてと、神が無関係ではないからです。古代からどの文明もどの民族も、多神教でした。諸々の神は、それぞれ司る領域があり、いわば分業していました。太陽の神、月の神、よみの王、時間の神、美の神、といった具合に。全人類の中で古代ヘブライ人だけが唯一の神を信じたのでした。唯一の神は世界の創造主であり世界を存在させ、維持している神です。古代ヘブライ人は神を全能の神と呼びました。たしかに神にはできないことはありません。しかし、同時に聖書は神が善であり悪をおこなう方ではないと語ります。1ペトロ書は神を「あらゆる恵みの源である神」と言い表しました。だからこそ神を言い表す言葉は実に豊かで多様です。その時々の求めと祈り、そして必要に応えてくださる方だからです。パウロは特に、「平和の神」という言い方を好んで使いました。しかし、「忍耐と慰めの源である神」と語るのはここだけです。どうして、ここで、この箇所でだけ、この表現を使ったのか。理由は明白です、ローマのキリスト者が最も必要としていたことだからです。ローマでは教会の中に分断と対立が起きていました。自分たちを「強い者」と呼ぶ人々が「弱い者」と考える人たちを見下し、「弱い者」と言われた人たちは「強い者」を裁いていました。互いへの不信、怒り、憎しみ、敵意は、越え難い溝、隔ての壁となります。敵意と憎しみ、分断と対立はローマだけの問題ではなく世界の問題です。わたしたちは現代の世界で、その現実を思い知らされています。神は世界を創造して、世界を見て「よい」と言われました。しかし、人間の罪が分断と断絶、敵意と争いに満ちた世界に変えたのでした。キリストが世に来られたのは、罪を除き、和解をもたらし、平和を作るため。エフェソ書は「キリストはわたしたちの平和」だと語ります。その平和は自動装置ではなく、平和の主と一つに結ばれているわたしたちが、神が与えてくださる忍耐によって相手を赦し和解する道を拓き続け、神が与えてくださる慰めによって癒され励まされ続けて作るものです。人間の力だけではできず、主イエスにある現実がわたしたちの望みです。
By 小山ナザレン教会2025年6月29日 三位一体後第2主日
説教題:主イエスこそ我が望み
聖書: ローマの信徒への手紙 15:1–6、ミカ書 4:1–3、詩編 70、ヨハネによる福音書 8:12
説教者:石田学
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きょうのローマの信徒への手紙で、パウロは不思議な言い方を使っています。神のことを「忍耐と慰めの源である神」と呼んでいるのです。神を言い表す言葉は、聖書の中にたくさんあります。救いの神、聖なる神、キリストの父なる神、偽ることのない神、などなど。それはわたしたちの存在のすべてと、神が無関係ではないからです。古代からどの文明もどの民族も、多神教でした。諸々の神は、それぞれ司る領域があり、いわば分業していました。太陽の神、月の神、よみの王、時間の神、美の神、といった具合に。全人類の中で古代ヘブライ人だけが唯一の神を信じたのでした。唯一の神は世界の創造主であり世界を存在させ、維持している神です。古代ヘブライ人は神を全能の神と呼びました。たしかに神にはできないことはありません。しかし、同時に聖書は神が善であり悪をおこなう方ではないと語ります。1ペトロ書は神を「あらゆる恵みの源である神」と言い表しました。だからこそ神を言い表す言葉は実に豊かで多様です。その時々の求めと祈り、そして必要に応えてくださる方だからです。パウロは特に、「平和の神」という言い方を好んで使いました。しかし、「忍耐と慰めの源である神」と語るのはここだけです。どうして、ここで、この箇所でだけ、この表現を使ったのか。理由は明白です、ローマのキリスト者が最も必要としていたことだからです。ローマでは教会の中に分断と対立が起きていました。自分たちを「強い者」と呼ぶ人々が「弱い者」と考える人たちを見下し、「弱い者」と言われた人たちは「強い者」を裁いていました。互いへの不信、怒り、憎しみ、敵意は、越え難い溝、隔ての壁となります。敵意と憎しみ、分断と対立はローマだけの問題ではなく世界の問題です。わたしたちは現代の世界で、その現実を思い知らされています。神は世界を創造して、世界を見て「よい」と言われました。しかし、人間の罪が分断と断絶、敵意と争いに満ちた世界に変えたのでした。キリストが世に来られたのは、罪を除き、和解をもたらし、平和を作るため。エフェソ書は「キリストはわたしたちの平和」だと語ります。その平和は自動装置ではなく、平和の主と一つに結ばれているわたしたちが、神が与えてくださる忍耐によって相手を赦し和解する道を拓き続け、神が与えてくださる慰めによって癒され励まされ続けて作るものです。人間の力だけではできず、主イエスにある現実がわたしたちの望みです。