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2025年3月2日 公現後第8主日
説教題:主イエスを拒絶する世界
聖書: ヨハネによる福音書 8:48–59、出エジプト記 3:13–15、詩編 23、ヨハネの手紙 一 2:28–3:3
説教者:稲葉基嗣
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ユダヤの宗教的指導者たちは、イエスさまの活動や発言を知って、イエスさまがどんな人物なのか興味を持ちました。はじめのうちは、イエスさまがどんな人物なのかを知るために、純粋に疑問を投げかけています。けれども、彼らはイエスさまと対話を重ねる中で、「悪魔に取り憑かれている」「お前はサマリア人だ」と、イエスさまのことを徐々に非難するようになりました。宗教指導者たちのイエスさまに対する向き合い方は、そのような非難の言葉や敵対心で留まるものではありませんでした。最終的に、彼らの間に、イエスさまに対する殺意が沸き起こってきました。イエスさまの一連の発言が神を冒涜しているものとして受け止められたからです。この決定的な拒絶の瞬間に至るまでに、彼らのイエスさまに対する発言は、徐々に厳しいものになっています。結局のところ、自分たちの結論に合う形でしか、イエスさまの言葉を聞くことができなくなっていたのではないでしょうか。そう考えると、ユダヤの宗教指導者たちがイエスさまを拒絶した原因は私たちにもよく理解できる問題であると気付かされます。私たちだって、自分の耳に心地よい言葉を聞いていたいものです。自分の価値観に合う考えを聞いていたいものです。これまでの自分の考え方や生き方を否定し、過ちを認めることが必要になるため、考え方や生き方を変えることは、とても辛いことです。私たちにとっての大きな希望は、イエスさまは拒絶されることをわかっていたのにも関わらず、それでも、イエスさまが私たちのもとに来て、私たちと共に生きることを選んでくださったということです。この世界のやり方とは、真逆の、見返りを求めない愛を伝えるために、神の愛と憐れみを伝えるために、イエスさまは来てくださいました。そして、自分の都合の良いように、世界を暴力で塗り替えることが平然と行われているこの世界に、イエスさまは来てくださいました。権力や暴力によって向かう方向性が決められる世界のあり方ではなく、すべての人への憐れみに基づく世界のあり方をイエスさまは示しています。何度拒絶されようとも、私たちを諦めずに、受け止め続けるイエスさまの愛や憐れみは、私たちにとって、どのような意味を持つのでしょうか。それは、神との絆と、共に生きる人たちとの関係性の土台を形作ります。
By 小山ナザレン教会2025年3月2日 公現後第8主日
説教題:主イエスを拒絶する世界
聖書: ヨハネによる福音書 8:48–59、出エジプト記 3:13–15、詩編 23、ヨハネの手紙 一 2:28–3:3
説教者:稲葉基嗣
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ユダヤの宗教的指導者たちは、イエスさまの活動や発言を知って、イエスさまがどんな人物なのか興味を持ちました。はじめのうちは、イエスさまがどんな人物なのかを知るために、純粋に疑問を投げかけています。けれども、彼らはイエスさまと対話を重ねる中で、「悪魔に取り憑かれている」「お前はサマリア人だ」と、イエスさまのことを徐々に非難するようになりました。宗教指導者たちのイエスさまに対する向き合い方は、そのような非難の言葉や敵対心で留まるものではありませんでした。最終的に、彼らの間に、イエスさまに対する殺意が沸き起こってきました。イエスさまの一連の発言が神を冒涜しているものとして受け止められたからです。この決定的な拒絶の瞬間に至るまでに、彼らのイエスさまに対する発言は、徐々に厳しいものになっています。結局のところ、自分たちの結論に合う形でしか、イエスさまの言葉を聞くことができなくなっていたのではないでしょうか。そう考えると、ユダヤの宗教指導者たちがイエスさまを拒絶した原因は私たちにもよく理解できる問題であると気付かされます。私たちだって、自分の耳に心地よい言葉を聞いていたいものです。自分の価値観に合う考えを聞いていたいものです。これまでの自分の考え方や生き方を否定し、過ちを認めることが必要になるため、考え方や生き方を変えることは、とても辛いことです。私たちにとっての大きな希望は、イエスさまは拒絶されることをわかっていたのにも関わらず、それでも、イエスさまが私たちのもとに来て、私たちと共に生きることを選んでくださったということです。この世界のやり方とは、真逆の、見返りを求めない愛を伝えるために、神の愛と憐れみを伝えるために、イエスさまは来てくださいました。そして、自分の都合の良いように、世界を暴力で塗り替えることが平然と行われているこの世界に、イエスさまは来てくださいました。権力や暴力によって向かう方向性が決められる世界のあり方ではなく、すべての人への憐れみに基づく世界のあり方をイエスさまは示しています。何度拒絶されようとも、私たちを諦めずに、受け止め続けるイエスさまの愛や憐れみは、私たちにとって、どのような意味を持つのでしょうか。それは、神との絆と、共に生きる人たちとの関係性の土台を形作ります。