「喜びの泉を分かち合って生きる」というテーマに沿って、ピリピ人への手紙を読み進めてきました。今日から3章に入っていくことになります。「最後に」と始まりますので、これで手紙は終わりなのかと思いますと、そんなことはありません。「最後に」と言ってからが長いのです。しかも4章8節にもう一度「最後に」と出てきますから、私たちは戸惑うかもしれません。3章の最後には何だったんだよ、とツッコミたくなるかもしれません。実際に、聖書の学者の中には、この「最後に」を理由にして3章1節でピリピ人への手紙は終わり、3章1節の後半からは別の手紙で、あとから2つをくっつけたのだと議論する人もいます。しかし、そうではありません。そのような議論は、今どきの言葉の感覚を、大昔の人々の感覚に押し付けるものです。
(続きは音声でお聞きください)
180128_主にあって喜ばないことの危険_ピリピ人への手紙3章1-12節_原牧師_宣教.mp3
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主日礼拝宣教ガイド 20180128_主にあって喜ばないことの危険_ピリピ人への手紙3章1節~12節.pdf