
Sign up to save your podcasts
Or


みなさんこんにちは。
主の御名を呼び求めるという事に対して、根強く大きな誤解があるので、このテーマでもう1度配信させてもらいます。
聖書を読むときの最も大切なポイントを2つに絞るとするならば、
①1つ目は、子供のような心で書かれてある言葉をそのまま受け止めるということです。
つまり、第1コリントの15:2の後半に、
この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
とあるので、福音によって救われて、そうでなければ信じたことは無駄になってしまうという
それ以外の意味はないということです。
そのことを、子供のような心で、そのまま受け止めるということです。
②もう1つは、その聖書が書かれた当時の、ユダヤ人にとって、その言葉がどのような意味を持ったかということです。
ユダヤ的にへブル的に言うと、
主の御名というのは、日本語的に言う、イエス様の名前だけの意味ではないんです。
主の御名というのは、聖書が書かれた当時のユダヤ人の文化的に、ヘブル的には、主ご自身のことをあらわしています。
イエス・キリストご自身のことです。
ユダヤ人たちには、聖書に、
"あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。"
出エジプト記 20章7節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
とあるので、
神の名前の代わりに別の言葉を持ってきたんですね。
シェムっていうのは、名前です。
ハッシェムは、英語でいうThe nameを表しています。
The nameというと神のことを表すんです。
ですので、ヘブル的に、主の御名というのは、主ご自身の実態を表しているんです。
だから、主の御名というのは、イエス・キリストご自身の性質の全てを表しています。
そして、呼び求めるというのは、信仰を持って救いを求めて祈る事です。
信仰を持ち、救いを求めて祈るということです。
"「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。
遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。
しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか」とイザヤは言っています。
ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。"
ローマ人への手紙 10章13~17節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
ですので、
主の御名を呼び求めるというのは、
主であるイエス・キリストの性質の全てに信頼を置いて、救いを呼び求めるということです。
つまり、イエス・キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられた、つまり今も生きておられるそのようなお方なんだと、全幅の信頼を置いて救いを呼び求めるということです。
だからこうあるんです。
"私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。"
コリント人への手紙 第一 15章2節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
そして、もう1つ知っておかないといけないことは、
聖書でイエス・キリストの福音が指し示すイエスとは別のイエスと呼ばれている霊、
イエス・キリストのふりをしている霊の存在があるということです。
"蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。
実際、だれかが来て、私たちが宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいは、あなたがたが受けたことのない異なる霊や、受け入れたことのない異なる福音を受けたりしても、あなたがたはよく我慢しています。"
コリント人への手紙 第二 11章3~4節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
例えば、僕が救いに導かれた地域教会は、KBFと言う名前です。これは、神戸バイブルフェローシップの略です。でも、KBFというと、一般的に有名な服のブランド名であったり、御影に神戸バイブルフォーラムという家庭集会がありますが、これも略称はKBFなんですね。だからKBFとだけいうなら、どのKBFか分からないんです。
それと同じように、イエス・キリストとは、誰かというのはとても大切なことなんです。救いをもたらしてくださるイエス・キリストが誰かという住所のような役割をしているのが、福音の内容なんですね。
だから僕たちは、
イエス・キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられた、つまり今も生きておられるそのようなお方なんだ信頼をすることが
唯一の救われる方法なので、
その福音を宣べ伝えていかないといけないんですね。
最後にもう1度聖書をお読みいたします。
"兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。
私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、"
コリント人への手紙 第一 15章1~4節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
By Harukiみなさんこんにちは。
主の御名を呼び求めるという事に対して、根強く大きな誤解があるので、このテーマでもう1度配信させてもらいます。
聖書を読むときの最も大切なポイントを2つに絞るとするならば、
①1つ目は、子供のような心で書かれてある言葉をそのまま受け止めるということです。
つまり、第1コリントの15:2の後半に、
この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
とあるので、福音によって救われて、そうでなければ信じたことは無駄になってしまうという
それ以外の意味はないということです。
そのことを、子供のような心で、そのまま受け止めるということです。
②もう1つは、その聖書が書かれた当時の、ユダヤ人にとって、その言葉がどのような意味を持ったかということです。
ユダヤ的にへブル的に言うと、
主の御名というのは、日本語的に言う、イエス様の名前だけの意味ではないんです。
主の御名というのは、聖書が書かれた当時のユダヤ人の文化的に、ヘブル的には、主ご自身のことをあらわしています。
イエス・キリストご自身のことです。
ユダヤ人たちには、聖書に、
"あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。"
出エジプト記 20章7節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
とあるので、
神の名前の代わりに別の言葉を持ってきたんですね。
シェムっていうのは、名前です。
ハッシェムは、英語でいうThe nameを表しています。
The nameというと神のことを表すんです。
ですので、ヘブル的に、主の御名というのは、主ご自身の実態を表しているんです。
だから、主の御名というのは、イエス・キリストご自身の性質の全てを表しています。
そして、呼び求めるというのは、信仰を持って救いを求めて祈る事です。
信仰を持ち、救いを求めて祈るということです。
"「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。
遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。
しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか」とイザヤは言っています。
ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。"
ローマ人への手紙 10章13~17節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
ですので、
主の御名を呼び求めるというのは、
主であるイエス・キリストの性質の全てに信頼を置いて、救いを呼び求めるということです。
つまり、イエス・キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられた、つまり今も生きておられるそのようなお方なんだと、全幅の信頼を置いて救いを呼び求めるということです。
だからこうあるんです。
"私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。"
コリント人への手紙 第一 15章2節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
そして、もう1つ知っておかないといけないことは、
聖書でイエス・キリストの福音が指し示すイエスとは別のイエスと呼ばれている霊、
イエス・キリストのふりをしている霊の存在があるということです。
"蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。
実際、だれかが来て、私たちが宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいは、あなたがたが受けたことのない異なる霊や、受け入れたことのない異なる福音を受けたりしても、あなたがたはよく我慢しています。"
コリント人への手紙 第二 11章3~4節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
例えば、僕が救いに導かれた地域教会は、KBFと言う名前です。これは、神戸バイブルフェローシップの略です。でも、KBFというと、一般的に有名な服のブランド名であったり、御影に神戸バイブルフォーラムという家庭集会がありますが、これも略称はKBFなんですね。だからKBFとだけいうなら、どのKBFか分からないんです。
それと同じように、イエス・キリストとは、誰かというのはとても大切なことなんです。救いをもたらしてくださるイエス・キリストが誰かという住所のような役割をしているのが、福音の内容なんですね。
だから僕たちは、
イエス・キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられた、つまり今も生きておられるそのようなお方なんだ信頼をすることが
唯一の救われる方法なので、
その福音を宣べ伝えていかないといけないんですね。
最後にもう1度聖書をお読みいたします。
"兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。
私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、"
コリント人への手紙 第一 15章1~4節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会