Kobe Haruki
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Kobe Haruki episodes

  • アブラムの救いから日本の福音宣教を考える

    みなさんこんにちは。

    本日は、死後の魂について、そして私達の務めについて、アブラムの救いを確認しながらお話させていただいておきたいと思います。


    正しい福音を確実に聞いたことがあったかどうか分からず、ですので福音に対して信じる応答をできたのか、信じなかったのか、そもそも福音を聞かずして亡くなられたのか、そのような方々の魂の行き先がどうなったのか、私たちは、安易に論じることができないのではないかなあ、と僕は思っています。


    というのは、福音を信じなくて旅立たれたように見える方がいたとしても、神様は、人に直接啓示を与えることができるので、その方が死ぬ1秒前にその啓示によって信仰を持つことだってあり得ると思うんですね。だから、最終的にどうなったかは天国に行かないと分からない。ですので、僕たちは断定的に魂の行き先を論じることはできないんじゃないかなあというのが僕の立場なんですね。


    私たちが天国に行った時、思いがけない人に再会できる可能性があると思うんですね。え?いつの間に信じてたの?って。


    だから、出会った全ての人の救いのために祈っていくということは、とても大切なことなのではないかなと思うんですね。


    一方、信仰を持った者としての務めは、あらゆる人に正しい福音をのべ伝えていくことだと思うんですね。そのために私たちは、周りの家族や友人より先に救われたんじゃないでしょうか?


    あらゆる人に正しい福音を宣べ伝えるという言い方をしているのは、未信者の方だけでなく、信者と思われている方に対しても正しい福音を宣べ伝えていく必要があるのではと私は思っているんですね。


    それには2つ理由があって、1つは、正しい福音を聞いて信じてその人は救われていても、その人が必ずしも正しい福音のバトンパスができるとは限らないから、正しい福音、正しい救いの教理を確認することは非常に大事なのではないかなと思うからなんですね。


    もう1つは、自分は洗礼も受けたしクリスチャンだと思っていたのに、死んでみるとそこは天国じゃなかった、という方がめちゃめちゃたくさんいる可能性があると僕は思うからなんですね。


    救いにおいて重要なことは、洗礼を受けたかどうかではないんです。

    神様を信じたかどうかでもないんです。


    キリストが私たちの罪のために死なれて、葬られて、3日目によみがえられ、今も生きておられるそのような救い主なるお方だと信頼するかどうかが救いの分かれ道なんですね。


    つまり、ただ単に神を信じるとかではなくて、

    キリストが何をされたどのようなお方なんだという信仰の内容があるということが重要なんですね。キリスト教でいう救いに至るためには、救いに至るための信仰の内容が必要なんですね。


    言葉が悪くて申し訳ないですが、内容のない信仰のことは妄信とか、狂信と言うんですね。


    聖書信仰というのは、聖書の1巻目の創世記から始まって、常に信仰には内容があるんですね。内容とは神様の言葉です。


    例えば、アブラハムが、名前がアブラムだった当時、創世記15章の話です。15章の5ー6節で、天のパパに数えきれない満天の星空の下に連れて行かれて、空の星の数のようにあなたの子孫を増やすということを改めて言われて、そうなんだとついに信じたからその時にアブラムは救われたんですね。


    "そして主は、彼を外に連れ出して言われた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに言われた。「あなたの子孫は、このようになる。」

    アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。"

    創世記 15章5~6節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会


    ある人は、これはアブラムが主を信じたから救われたんであって、内容は関係ないようなことを言うんですけれど、どう読んでも聖書からはそうは読み取れないんですね。


    アブラムはそれまでもすでに神様のことを信じてたんです。

    創世記の11章の最後から始まって、神様の事を信じ、信頼していたから、故郷を捨てて、行き先がよくわからないにも関わらず、神様の命令に従って出発していたんですね。神を信じていたからです。


    "ロトがアブラムから別れて行った後、主はアブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。

    わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。

    わたしは、あなたの子孫を地のちりのように増やす。もし人が、地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えることができる。

    立って、この地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに与えるのだから。」"

    創世記 13章14~17節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会


    そして子孫の事も、数えきれない地のちりのように増やすということを言われていたんですね。でも、そのことを、それなりに信じていたとは思うんですが、どこかでぴんときていなかったんですね。その証拠に、


    "アブラムは言った。「神、主よ、あなたは私に何を下さるのですか。私は子がないままで死のうとしています。私の家の相続人は、ダマスコのエリエゼルなのでしょうか。」

    さらに、アブラムは言った。「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらなかったので、私の家のしもべが私の跡取りになるでしょう。」"

    創世記 15章2~3節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会


    と神に対して創世記15章の2ー3節で文句を言っているんですね。

    神のことを信じていたから、移住もしてきたし、子孫の約束もそれなりにしんじていはいた。でもどこかでピンときていなかったから文句をいっている。


    ところが、創世記15の5節の時、満点の星空の下に連れていかれ、再び、子孫の祝福を天のパパに言われた時、ついにアブラムは、本当にそうなるんだ。天のパパはそのように実現してくださるんだと確信を得たんですね。その時に彼は救われたんです。信仰の対象はつねに神だけれども、救われるためには、その神がどのようなことを為してくださる、なしてくださった神なんだという信じるべき信仰の内容があるんですね。


    とても大事なことなのでここで整理させてもらっておくと、聖書の述べる救いとは、大きく4つの重要なポイントがあるということが分かるんですね。


    ①信仰の対象は常に三位一体の神です。


    ②救いの方法は、恵みによって信仰によってです。人間の行いではない。


    ③救いの土台は常にキリストの死、メシアの死なんですね。

    イエス様が、十字架上で完了した。ギリシア語で言うとテテレスタイ、つまり完済したっておっっしゃられたのは、全ての人類のための贖いの代価を完済したという意味なんですね。全ての人類のためなので、アダムのためでもあり、アブラハムのためでもあったんですね。だから、救いの土台は常にキリストの死なんですね。


    ④ところが信仰の内容というのは、神様は徐々に徐々に啓示の内容を増やしていかれたので、その時代によって啓示されていた内容に限界があるので、救いに至る信仰の内容というのは、時代によって変わっていくんですね。


    キリストが死ぬというのが初めて啓示されたのは、アブラハムより随分後の預言者イザヤになって初めてなんですね。


    だから、一部の神学者が、私達は十字架を振り返る信仰によって救われたが、アブラハムは十字架を待ち望む信仰によって救われたと言っているんですが、それは間違っていることが分かるんですね。新約聖書の時代になって初めて啓示された内容を旧約の時代に読み込み過ぎているんですね。神様は、徐々に徐々に福音の全貌を啓示されていかれたので、各々の時代の人は、その時代の段階で啓示されている範囲の内容に応答して救われていったんですね。


    神の視点からは、常に救いの土台は、キリストの十字架上での死であるけれど、神は人間に対しては、その福音の全貌を徐々に徐々に啓示されていったので、その時代の段階で神から啓示されていた内容の範囲内でそのことに応答して救われていったんですね。だから、信仰の内容は、時代によって変わる。


    この4つをもう1度整理すると、

    ①信仰の対象は常に三位一体の神。


    ②救いの方法は、恵みによって信仰によるのであってどの時代でも行いではない。


    ③救いの土台は常にキリストの死である。


    ④信仰の内容は、神が徐々に徐々に福音の全貌を啓示していかれた関係上、時代によって変わるということなんですね。



    話は戻りますが、

    だから、洗礼を受けたから救われるんじゃないんです。

    神様を信じたら救われるんでもないんです。


    イエス・キリストが私たちの罪のために死なれ、葬られ、3日目によみがえられた、つまり今も生きておられるそのようなお方だと信頼するから救われるんです。


    仏教の釈迦も、イエスラム教のマホメットも死んでしまっているので、救う力がないんですね。


    でも唯一キリストは、私たちの罪のために死なれ、葬られ、3日目によみがえられ、それ以来ずっと生きておられ、永遠に死なれないんですね。そのようなお方がだから、私達を救うことができるんです。だから、そのような方だとキリストを信頼するから私達は救われるんです。


    大事なことなんで何度も言いますが、キリスト教信仰には、内容があるんです。内容のない信仰は妄信であり狂信なんです。


    だから、私達は、救いに至る信仰の内容である福音を宣べ伝えていかなければいけないんですね。


    第1段階、知識として、知らない人に教えてあげないと、その人は、それに応答できないんです。


    僕は、ある時まで、福音を宣べ伝えたときにその人が信仰を持たなければ失敗だと、そんな風に認識してしまっていたんですね。だから、福音を宣べ伝える事にすごい抵抗感があったというか。


    でも今は、福音を宣べ伝えたその場でその人が信じなくてもいいと思っているので、すごく楽に福音を宣べ伝えられるようになったんですね。私はこの5ヶ月間、Webデザインと動画編集の求職者支援訓練で大阪のパソコンスクールに通っていましたが、卒業するまで学校を辞めなかったクラスメイト全員と先生に福音を伝えたんですね。誰もまだ信じていないんですね。でも私達の務めというのはそれをすることなんですね。福音の種を蒔く。あとは、本人の信じる自由意志と、タイミング、そして神様の働きなんですね。聖霊様の働きによって、段々と理解が開かれ、ある時、キリストが、死なれ、葬られ、どうも3日目にみがえられたというのは歴史的事実だと分かってくるんですね。そしてさらに、自分は自分の力では修理不可能な罪人だという罪の認識が芽生え、その罪のためにキリストが死んでくださり、葬られ、3日目によんみがえられたと分かってくるんですね。だから、まず知識として福音の内容を知らないといけない。そしてある段階でその人は、その内容が真実なのだと同意する。そしてついにはキリストがそのような救い主なるお方だと信頼して全人生を委ねる決心をする。その時に人は救われるんですね。知識→同意→信頼というプロセスをふむんですね。


    もちろん同意して信頼する決心を促すまで導けるということがベストだと思うんですが、それは、第1段階の情報として福音の内容を提供してあげるということなくして始まらないんですね。だから、正しい福音を宣べ伝えるというのは、とても大切だし、福音を信じていないのに洗礼を受けたから救われたと思っている人のためにも、福音を信じたから救われているけれど、正しい福音をバトンパスできない人のためにも、正しい福音と正しい救いの教理を宣べ伝えていくというのはとても大事なんじゃないかなと僕は思っているわけなんですね。




    皆さん、皆さんは正しい福音、正しい救いの教理が共有されている地域教会、群れに属されていますか?日本全国の救いのために、是非とも福音伝道をチームでやっていって欲しいんです。ですので、是非正しい福音をベースに共有しているチームに属して歩んで行ってほしいと願っています。



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    26 min
  • 主の御名を呼び求めるとは?

    みなさんこんにちは。

    主の御名を呼び求めるという事に対して、根強く大きな誤解があるので、このテーマでもう1度配信させてもらいます。



    聖書を読むときの最も大切なポイントを2つに絞るとするならば、


    ①1つ目は、子供のような心で書かれてある言葉をそのまま受け止めるということです。

    つまり、第1コリントの15:2の後半に、

    この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。

    とあるので、福音によって救われて、そうでなければ信じたことは無駄になってしまうという

    それ以外の意味はないということです。

    そのことを、子供のような心で、そのまま受け止めるということです。


    ②もう1つは、その聖書が書かれた当時の、ユダヤ人にとって、その言葉がどのような意味を持ったかということです。


    ユダヤ的にへブル的に言うと、

    主の御名というのは、日本語的に言う、イエス様の名前だけの意味ではないんです。


    主の御名というのは、聖書が書かれた当時のユダヤ人の文化的に、ヘブル的には、主ご自身のことをあらわしています。

    イエス・キリストご自身のことです。


    ユダヤ人たちには、聖書に、

    "あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。"

    出エジプト記 20章7節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会

    とあるので、

    神の名前の代わりに別の言葉を持ってきたんですね。

    シェムっていうのは、名前です。

    ハッシェムは、英語でいうThe nameを表しています。

    The nameというと神のことを表すんです。


    ですので、ヘブル的に、主の御名というのは、主ご自身の実態を表しているんです。

    だから、主の御名というのは、イエス・キリストご自身の性質の全てを表しています。


    そして、呼び求めるというのは、信仰を持って救いを求めて祈る事です。

    信仰を持ち、救いを求めて祈るということです。



    "「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。

    しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。

    遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。

    しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか」とイザヤは言っています。

    ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。"

    ローマ人への手紙 10章13~17節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会


    ですので、

    主の御名を呼び求めるというのは、

    主であるイエス・キリストの性質の全てに信頼を置いて、救いを呼び求めるということです。

    つまり、イエス・キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられた、つまり今も生きておられるそのようなお方なんだと、全幅の信頼を置いて救いを呼び求めるということです。


    だからこうあるんです。

    "私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。"

    コリント人への手紙 第一 15章2節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会


    そして、もう1つ知っておかないといけないことは、

    聖書でイエス・キリストの福音が指し示すイエスとは別のイエスと呼ばれている霊、

    イエス・キリストのふりをしている霊の存在があるということです。

    "蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。

    実際、だれかが来て、私たちが宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいは、あなたがたが受けたことのない異なる霊や、受け入れたことのない異なる福音を受けたりしても、あなたがたはよく我慢しています。"

    コリント人への手紙 第二 11章3~4節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会


    例えば、僕が救いに導かれた地域教会は、KBFと言う名前です。これは、神戸バイブルフェローシップの略です。でも、KBFというと、一般的に有名な服のブランド名であったり、御影に神戸バイブルフォーラムという家庭集会がありますが、これも略称はKBFなんですね。だからKBFとだけいうなら、どのKBFか分からないんです。


    それと同じように、イエス・キリストとは、誰かというのはとても大切なことなんです。救いをもたらしてくださるイエス・キリストが誰かという住所のような役割をしているのが、福音の内容なんですね。


    だから僕たちは、

    イエス・キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられた、つまり今も生きておられるそのようなお方なんだ信頼をすることが

    唯一の救われる方法なので、

    その福音を宣べ伝えていかないといけないんですね。


    最後にもう1度聖書をお読みいたします。

    "兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。

    私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。

    私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。

    キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

    また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、"

    コリント人への手紙 第一 15章1~4節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会


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    12 min
  • 救われるために唯一必要なのは福音を信じること
    緊急の配信です。
    緊急の必要性を感じて、原稿なしに喋っているので、聞き苦しいところもあるとは思いますが、聞いていただけたら幸いです。
    福音を信じていなくても、イエスの名を呼べば救われるのではなく、福音を信じることが唯一の救われる道であることを聖書的に解説しました。
    特に下記の太字下線の聖書の言葉を子供のような心で受け入れることがとても大事なのではないかなと思っております。

    "兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。

    私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。

    私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

    また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、"

    コリント人への手紙 第一 15章1~4節

    聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会



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    32 min
  • 緊急の祈りのリクエスト!!

    皆さん今日は。

    今日は緊急の祈りのリクエストがあるので急遽この内容を配信させてもります。

    僕の大切な友人の弟さんの、

    北野よしまさ さん

    という方が、末期の難病なのですが、

    明後日の水曜日まで命がもたない可能性があると主治医に言われたそうです。

    ですので、よしまささんに正しい福音が届いて、

    彼がそれを信じることのできるようにお祈りいただけたら嬉しいです。

    (急遽大阪の街中の電源をお借りできるコンビニに入って充電しながら録音したので、雑音だらけですみません。)


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    2 min
  • 律法主義的信仰の話
    話は違いますが、前回の「主の御名を呼び求める者はみな救われる」とは?の解説記事を書き足しましたので良かったらブログか、Podcastのエピソードメモ欄を見てみてもらえると嬉しいです!

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    12 min
  • 「主の御名を呼び求める者はみな救われる」とは?
    みなさんこんにちは。今回は、「主の御名を呼び求める者はみな救われる」とはどういうことなのかを考えてみたいと思います。

    というのは、福音を知らなくても、イエスがメシア(救い主)なる神なんだと認めて、心からイエス様を呼び求めたら救われるんだと信じてしまっている人が身近にいたからです。ですので、皆さんも、間違って伝道してしまうことがないようにこの投稿をさせてもらうことにいたしました。

    「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のですという言葉は、ローマ人への手紙 10章13節にある聖書の言葉なんです。この部分だけを見ているならば、確かに福音をしらなくても、救われる方法があるように読めてしまうかも知れません。しかし、大切なことは、聖書は文脈で読まなければいけないということです。ですので、この13節だけでなく、17節までの文脈で読んでみると、全然違った見え方がしてくると思うので、ご一緒に読んでみたいと思います。聖書箇所の中の()内は、私の補足説明です。


    ローマ人への手紙 10章13~17節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
    "「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
    しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。
    「なんと美しいことか、良い知らせ(福音のこと)を伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか」とイザヤは言っています。
    ですから、信仰(ここは文脈的には救いに至る信仰のこと)は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことば(福音のこと)を通して実現するのです。"


    詳しくは音声解説に譲りますが、ここでは、救われる方法が述べられています。誰かが遣わされて、福音を宣べ伝えてくれたから、福音を聞いて、さらにその福音を信じたから、その人は、主の御名を呼び求められるんだということが書いてあるんですね。
    つまり、福音を知らなくても、イエスがメシア(救い主)なる神なんだと認めて、心からイエス様を呼び求めたら救われるという事は決して書いておらず、
    福音を聞いたから福音を知っていて、その福音を信じたから、その人は、主の御名を呼び求められるようになったという話なんですね。
    この人は、主の御名を呼び求める前に、福音を聞いて信じていたんです。



    じゃあその福音とは何かと言うと、パウロがコリントの人への手紙の15章ではっきりと述べられています。
    コリント人への手紙 第一 15章1~11節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会


    "兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。
    私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
    私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
    キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと(今も生きておられるということです。)、
    (本当によみがえられたので、多くの人の前に現れられました。パウロがこの手紙を書いたころは、その大多数がまだ生きていたので、復活を信じられないなら、直接訊ねてみることができるよという意味で、ただ3日目によみがえられたとして文章が終わるのではなく、復活のイエスに会った人たちが多くいたことが書かれています。)
    また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。
    とにかく、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。"


    とあります。ここにも、
    私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
    とあります。ですので、福音を知らなくても、イエスがメシア(救い主)なる神なんだと認めて、心からイエス様を呼び求めたら救われるのでは決してないことがここからも分かります。
    ここで述べている福音によって救われ、そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいますとあるんですね。


    ですので、洗礼を受けて、自分はもう救われていると思っているみなさんにあえて質問したいと思うんです。ここで宣べられている福音を信じていますか?もしそうでなければ、残念ながらまだ救われていないということになるんです。でも安心してください。この福音の内容を満たすようなお方として、イエス・キリストを信頼したら今すぐに救われますので!!

    ここで宣べている福音とはこうです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、

    自分が罪人だと認めて(誠の神を神として認めていなかったことを聖書では罪といいます。背きの罪が最大の罪なんです。)その罪のために、イエス・キリストが死んでくださり、葬られ、3日目によみがえられたそのようなお方だと信頼したら救われるんです。


    もしこの福音をまだ信じていなかったという方は是非、今この祈りをされることをオススメします!!

    ●「私は罪人です」と認めて「罪を赦してください」と願う気持ち。
    (罪とは、「的外れ」という意味です。私たちは、私たちを造ってくださったお方に背を向けたり、反抗したりしながら生きています。そこから、さまざまな罪の行為が生まれてくるのです)

    ●あなたをその罪から救い出すために、

    イエス・キリストが十字架で死に、葬られ、3日目に復活された事を「信じます」と素直に言える気持ちがあれば、

    是非この祈りを今して、罪の赦し、神の怒りからの救いを受け取りましょう!!


    天の父なる神様。私はあなたに背を向けて生きてきました。お赦しください。

    イエス・キリストが私の罪のために死に、墓に葬られ、3日目に復活されたことを信じます。

    イエス・キリストを私の人生の主として心にお迎えします。

    主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。



    今そこまでは信じられなくても、

    もう少し真の神様を知りたいと思う方はこのお祈りをオススメします。

    全世界を創られた神様、私はあなたの事がまだよく分かりません。

    でも、もし本当にいらっしゃって、今も働いておられるなら、

    私が分かる形で、それを見せてください。アーメン。




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    22 min
  • グラウンドゼロ
    みなさんご無沙汰してしまっています。
    やっと新しく配信できました。
    人と人との和解。赦しについてのメッセージです。
    良かったら聞いてみてください。

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    12 min
  • 「イエスは主です」とは?
    皆さんこんにちは。
    福音シリーズ、聞いてくださった方、ありがとうございます。

    聖書の学びの中で、前はこう信じてたのに、実は本当の意味は全然違ったんだという発見があったりすることがあると思います。私自身が出会ったそんな聖書箇所を、よく誤解されている聖書箇所シリーズということで、紹介させてもらえたらと思います。

    今回は、「イエスは主です」とはどう意味なのかを考えてみたいと思います。

    "ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。"
    コリント人への手紙 第一 12章3節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会

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    13 min
  • 第2回バイブル・スタディ12悔い改めの大切な説明
    なかなか更新ができませんでしたが、
    第2回バイブル・スタディの続きの音源です。

    悔い改めの大切な説明です。
    以前にも悔い改めの説明をしましたが、
    別の角度から説明しています。
    前回の録音と伴わせて聴いてもらえたら幸いです。

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    18 min
  • 第2回バイブル・スタディ11救いを受け取るための罪の告白は不要な説明の復習
    福音をもうすでに信じた人が、今度は1人でも多くの人に、正しく福音を宣べ伝えられるようにという思いでこの配信をしています。

    救いを受け取るための祈りの文句にまず罪の告白が入っているものを見かけたりします。

    救われるためには、自分が自分の力で修理不可能は罪人だと気がつく事が必要ですが、しかし、神様が用意されている救いを受け取るための条件には、罪の告白は入っていないことを聖書から説明します。

    第1回バイブル・スタディの時の罪の告白の記事と音源はこちら

    メッセージノート↓
    https://drive.google.com/file/d/1ayvyncqAL4agoA2BfHuNr1I3HJ5_c0cF/view?usp=sharing

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