流れのほとりに

自覚を新たに(ヨシュア記5章1節~12節)


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序)自覚の大切さ

・自覚…自分が何者であるかをわきまえること。

・神様を土台にして、自分の自覚を新たにすることが、 人生やグループの未来に決定的な影響を与える。

1)イスラエルが新たにした自覚

・割礼とは、神様に信頼しない不信仰の罪を捨て、神様により頼むことが一番良いと信じて生きる決心をし、新しく生まれたことを告白する儀式

・アブラハムから始まり、子々孫々と受け継がれたが、出エジプト後の荒野で中断されてしまった。荒野でイスラエルは、神より自分の考えを第一にし、神を信頼しなかった。その結果、不毛な堂々巡りに陥った。

・割礼という儀式が、神の民にさせるのではなく、神の民になったことを 自覚するために割礼があった。

2)ギルガルで割礼を受けたことで見えてくること

・割礼はただの儀式以上に、実際に神様にいのちを預ける行為であった。 常識的な安全保障の観点からいえば、ギルガルでの集団割礼はもっとも愚かな行為である。5 章 1 節の情報を民は知る由もない。

・ヨルダン川をせきとめる力のある神様がいるので、弱くなっても大丈夫だという信仰が割礼に向かわせた。この信仰には女性も加わっている。

・本質は、肉体の割礼ではなく「心の割礼」であることはモーセによって語られていた。(申命記 30 章 6 節参照)

3)儀式のもつ力~割礼から洗礼へ、過越しから聖餐へ~

・心だけが大事で、肉体の儀式はただの形ということではない。目に見えるしるしは、自分が何者であるのかということに立ち戻らせ、自覚にふさわしい生き方へと促し、励ます力をもつ。

・古い契約における「割礼」は新しい契約において「洗礼」に対応する。

・「割礼」における自覚を新たにし、深めるために「過越し」があったように、洗礼における自覚を新たにし、深めるために聖餐がある。

・月毎の聖餐は、古い生き方と決別し、神様にいのちを預ける大胆な生き方に生きる決意をもって進む、新しい出発のマイルストーンである。

結)幼児・嬰児洗礼について

・心の割礼が、子どもにも与えられるという親と教会の信仰が、嬰児洗礼の根拠である。洗礼の水の量も、洗礼の記憶も本質ではない。嬰児洗礼を受けた者は、信仰告白式を経て、聖餐の恵みに招かれる。

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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