オーディオドラマ「五の線」リメイク版

35,12月20日 日曜日 17時20分 古田宅


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県警本部から車で10分離れた金沢駅の近くに古田が住むアパートがあった。築15年。古田は離婚後、この木造二階建ての質素な作りのアパートに引っ越してきた。2DK、畳式の間取りは、古田ひとりが生活するには充分のスペースである。このうちの一部屋は古田の趣味でもある仕事部屋に割り当てられている。
捜査に関する資料を外部に持ち出すことは禁じられているが、個人的に書き留めたメモ類であるとして古田はそれらを自宅に保管していた。無論このメモを見ることができる者は彼以外にない。
古田のメモ魔ぶりは県警内部の一部では有名だった。聴取する古田の手には必ずメモ帳があり、話し手の一言一句も逃さぬように書き留めた。捜査に対する執念深さもそうだが、このメモ魔ぶりが彼をスッポンの異名を持たせる所以でもあろう。古田は部屋に吊り下げられた電灯のひもを引っ張ってその部屋の電気をつけた。
「こらぁすげぇわ。」
灯りによって明らかになった室内の畳に散乱するメモ帳やノートの量に片倉は立ちつくして驚嘆した。
「トシさん。これ、どれから手ぇ付ければいいんや。」
片倉は半ばあきらめ口調で古田にいった。
「先ずは今回のガイシャから行ってみようか。」
そう言うと古田は畳の上にどっかと腰をおろし、一枚の分厚いノートを片倉に差し出した。ノートの表紙には7月備忘と記されている。古田のメモは今まで誰も読んだことがない。門外不出の捜査資料だった。片倉と古田は旧知の仲ではあるが、今回初めて古田の虎の巻を読むこととなった。
「三年前のことがここに書いてある。」
「レイプのことか。」
「ほうや。7月19日あたりを読んでみぃ。」
片倉は古田に言われたとおり、ページを捲りその部分を読み始めた。
「なんかわからんが、とにかくそのあたりの部長は様子がおかしかったんや。部下に出す指示も精彩を欠いとった。捜査らしい捜査もされとらん有様やった。ほやから、こっちからちょっと休憩でもしましょうかと誘ってみた。」
「トシさんがか。」
片倉は驚いた。協調性という言葉からは縁遠い存在であった一色が、部下である古田の呼びかけに応じて休憩をとるなど彼の常識からは考えられない行動だった。
手元のメモを読むと場所は県警本部喫煙所とある。
「は?喫煙所?」
「ほうや。」
「え?喫煙所って、あいつタバコ吸うんか?」
「まぁ読んでみぃま。」
そう言うと古田は自分のタバコに火を付けだした。
三年前 7月19日 雨 16時13分
最近の一色の様子がおかしいことを気にしていた古田は、彼に休憩を勧めた。いつもなら大きなお世話だ、そんなことを気にする暇があるなら仕事をしろというのが一色という男だ。しかしこのときは違っていた。彼は古田の勧めにすんなりと応じた。
「トシさん、ちょっと喫煙所にでも行かないか。」
「え?ワシ…もですか?」
「ああ。」
「っちゅうか…課長、タバコ吸うんですか?」
「そんなに驚くなよ。」
今まで一色がタバコを吸う姿を見たことがなかった古田に、驚くなというのは無理な話だ。二人は県警本部内にある喫煙所に入った。中には二人以外の誰もいなかった。
「悪いがトシさん。一本恵んでくれないか。」
古田はタバコの箱をそのまま一色に渡した。一色はその中から一本抜き取り、何のためらいもなくそれを咥えた。古田はすかさずライターで火を起こす。一色は右手でその火を囲いながら自分の顔を近づけ、二度ほど吸ったり吐いたりして火がついたことを確認し、おもいっきり紫煙を吸い込んで吐き出した。古田はその慣れた仕草に再度驚いた。
「それにしても一体どうしたんですか課長、最近様子が変ですよ。らしくない。」
そういうと古田もタバコ咥え火をつけた。
「トシさんあんた、大事な人がレイプされたらどう思う。」
「え?」
唐突な質問に古田は困惑した。そしてその意図を測りかねたので、一般的な切り返しをした。
「課長、捜査に私情は禁物なのは、あなたが一番ご存知のはずですよ。」
「あぁ…そうだな…。」
「ええ。」
「だが捜査じゃないんだ。」
「捜査じゃない?」
「ああ。」
「え…?」
古田は一色の意図が分からなかった。一色は背広のポケットからおもむろに二枚の顔写真を取り出して、目の前のテーブルの上に並べた。
「ひとりは穴山和也。もう一人は井上昌夫。こいつらがホシだってことはもう調べが付いている。」
古田はその写真を手にとって穴山と井上の顔を見た。そしてしばらく考えた。
「あの…課長。このホシはどの事件と関連しているんですか。」
「事件にはなっていない。」
「は?」
「俺の交際相手をレイプした野郎だ。」
「え…。」
古田は絶句した。そしていつものように自分の感情を表に出すことなく、淡々と古田に話しかける一色の様子が非情にも感じられた。
「それは…。」
「被害者は親告していない。だから事件にもなっていない。だがホシは割れている。おれはこのやり場のない怒りをどこに向ければいいんだ。」
一色に掛ける言葉を古田は見いだせなかった。
「ったく…。被害者保護って何なんだ。法治国家って何なんだ。なぁトシさん…。」
こんなに感情を顕にした一色を古田は見たことがなかった。普段は雄弁に物事を語らない一色だったが、この時ばかりは違っていた。古田が話を聞き出そうとする前に、彼の方から言葉を発する。古田は相づちを打つ程度のことしかできない。
「強姦は性の殺人のようなもんだ。殺された人間がどうやって私はヤラれたって言うってんだ。死人に口なしなんだよ。」
「おっしゃるとおりです…。」
「で、殺した当の本人は普通に生活を営んでいる。なんの咎めを受けることなくだ。一方ヤラれた人間は生涯殺され続ける。…不条理だ…世の中は。」
「…何とかして被害者からの親告をうけるということはできないんでしょうか。そうすれば、そいつらに法の裁きを…。」
「無理だ。被害者は今とてもそんな状態にない。それにトシさんもこの手の事件のことは知ってるだろ。」
知っている。警察の仕事をやっていればそれぐらいのことは常識だ。取り調べや裁判の過程において当時の状況を克明にされることで、忌まわしい記憶を呼び覚ますなどのセカンドレイプの問題もある。
「考えてみてくれ、そもそもこの国の性犯罪の刑事罰が軽すぎるんだ。今回のような集団強姦罪でもせいぜいで4,5年だ。それにブタ箱に放り込んだところであいつらは再犯率が高い。ムショから出ることは飢えた狼を再び羊の群れに放つのと同じことだ。」
「ええ、おっしゃるとおりです…。」
「ゴミクズめ。」
古田は感情が昂ぶりつつある一色の様子を見て、もう一本のタバコを差し出した。一色は軽く手で頂く合図をして再びそれを咥えて火をつけた。大きく煙を吐き出した彼は少し落ち着きを取り戻したようだった。
「泣き寝入りはさせない。」
「しかし、課長。現状の法体系では被害者による親告がないことには、この手の犯罪に警察としては打つ手がありません。」
「知ってる。でも親告は無理だ。」
「んならこの腐った法律を変えるとかせんとどうにもなりません。」
「それじゃあ時間がかかるんだよ、時間がかかると証拠もなくなる。しかも結果が出るとは限らない。」
「ではどういう方法が?」
「方法はある。やるかやらないかそれだけが問題だ。」
ここで一色の携帯電話が鳴った。古田の記録はここで止まっていた。
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