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駅前支店の前にあるホテルの喫茶店に陣取ってかれこれ二時間が経過する。古田がここから観察したところ、佐竹らしい男は一時間ほど前に駅前支店に帰ってきていた。それ以降、彼は店から出ていない。古田はこれで何杯目かわからない珈琲を口につけて手元のメモ帳をパラパラとめくり出した。さすがに珈琲が胃を痛めつけている。古田は自分の腹をさすった。
「古田課長補佐。」
古田は声のする方を向いた。そこには背広を着た四十代の男が立っていた。
「お前が岡田か?」
「はい。」
岡田はこう言ってそのまま古田と向かい合うように椅子に座って、テーブルに古田の車の鍵を差し出した。
「これどうぞ。車は裏の駐車場に停めてあります。」
「すまん。無理言ったな。」
「古田課長補佐は片倉課長と合流し、捜査を継続してください。」
「なんやって?」
「課長と捜査の詰めをお願いします。」
古田は頭を掻いた。
「朝倉本部長からの命令か。」
「ええ。」
「松永は何て?」
「理事官ですか?」
「ほうやわいや。あいつがすんなり指揮権を渡すわけねぇやろ。」
岡田は苦笑いした。
「やれやれ…古田さんには何も隠せませんな。」
「あったりめぇやわ。っちゅうか何ねんてヒトハチマルマル(18時)をもって指揮権移譲って。無線で聞いたぞ。」
「まぁ私も詳しいことはよく分からんのですよ。ただね、あなたには片倉さんととにかく詰めをやって欲しいそうなんです。ヒトハチマルマルをもって朝倉本部長に指揮権が移譲されるんで、それからはあなた方の捜査は、極秘扱いでなくなりますがそれはそれでほかの捜査員にはわからんように継続して欲しいんですよ。」
古田は頭を掻いた。
「捜査は佳境っちゅうことか。」
「ええ。あとは課長補佐と課長とでホンボシを検挙してください。」
「ホンボシ?」
「はい。」
「一色を?」
「誰がホシかは課長補佐がよくご存知でしょう。」
「なんや…。まさか本部長も松永もひょっとしてグルか?」
岡田は口元を緩めるだけで彼の問いかけには返事をしなかった。
「いいですか。リミットは明日です。」
「具体的に。」
「ロクマルマル。」
古田は自分の腕時計に目を落とした。時刻は17時58分である。
「あと10時間か。」
「できますか。」
「…県境の検問体制は維持のままやな。」
「はい。」
「もしも村上が越境しそうになったら止めてくれ。その場で確保や。」
「了解。」
「しかし時間がねぇな。えらい急転直下な展開やな。」
「なんかいろいろと事情があるようですよ。」
この時、左耳に装着したイヤホンから無線の音声が入ってきた。捜査本部の朝倉からである。
「片倉。トシさん。聞こえるか。朝倉だ。」
「こちら片倉聞こえます。」
「こちら古田聞こえます。」
古田と向かい合って座っている岡田も無線の対象なのか、彼は左耳に装着したイヤホンを指で押さえ、険しい目つきをして古田を見た。古田は岡田に向かって頷いた。
「本多慶喜が金沢銀行の本店で死んだ。首吊りのようだ。」
古田は絶句した。無線の向こう側の片倉も古田と同様なのだろう、しばしの間無言となった。
「いま捜査員を金沢銀行本店に向かわせている。これは報告だ。片倉課長とトシさんは引き続き捜査を継続せよ。」
「こちら片倉。遺書などは。」
「今のところない。詳しい状況は追って報告する。これもひょっとするとあいつお得意の操作撹乱かもしれん。」
「こちら古田。あいつとは。」
少しの間をおいて無線の向こう側の朝倉はこう答えた。
「村上隆二。」
「村上は今どこにいるか、捜査本部は把握していないんですか。」
片倉が尋ねる。
「わからん。本多事務所を出たきりだ。しかし県境検問には引っかかってないところから、まだ越境していないと見える。」
「ちょっと待ってください本部長。その検問データを管理しているのはどこですか。」
「本来警備部だ。」
「本来?」
「本件に関する検問データは松永理事官が統括管理している。」
古田は勢いよく立ち上がった。
「本部長。それはまずい。あいつは察庁の人間。宇都宮とか長官側の人間ですよ。そんな奴にデータを管理させっと、いくらでも都合いいように改竄される。」
岡田は窓から外の金沢銀行を眺めた。職員通用口からひとりの男が慌ただしい様子で外に出てきた。岡田は古田の肩を叩いてその様子を指さし、あれは佐竹かと古田に聞いた。古田は手を横に振り、佐竹の顔写真を1枚岡田に手渡した。その写真を見た岡田はそれと目の前に見える男を見比べて納得するように頷いた。
「トシさん。心配するな。それが無いように松永には残ってもらっている。」
「はぁ?」
「本部長。意味がわかりません。」
片倉も古田同様、事情を飲み込めないようだ。
「いいか。片倉もトシさんもこっちの事情には構うな。お前たちはとにかく村上の確保と事件の真相解明に全力を注げ。時間はない。」
「時間がないとは?」
「本件捜査は明日をもって終結させる。2人は何としても明日の朝までにことを成し遂げてほしい。」
「朝って。」
「ロクマルマル。」
「ロクマルマル〓︎」
「泳がしはここで終わりだ。2人はホンボシがカンモクできないように徹底的に詰めてくれ。ヒトフタ フタフタ ロク マルマル(12月22日6時)をもって村上をパクる。」
片倉は捜査に時間を区切る朝倉の意図を理解できなかった。しかし古田がすんなりとこの朝倉の命令に従ったため、片倉もそれに準じ朝倉からの無線はここで切れることとなった。
ここで古田の携帯がなった。片倉からである。
「トシさん。まだ金沢銀行の前か。」
「おう。」
「ちょい母屋(県警)に行かんか。」
「何や。」
「気になることがあれんて。」
「なんねんて。」
「とにかく俺は母屋に向かう。あと少しで着く。トシさんも来てくれ。」
「わかった。ほやけどワシらの捜査がいくら極秘じゃなくなったと言っても、あからさまな動きはだめねんぞ。」
「わかっとる。佐竹は岡田に任せて俺らは母屋や。」
「わかった。」
携帯をしまった古田は岡田を見た。
「課長補佐。頼みましたよ。」
この岡田の言葉に古田はただ頷いて、彼から渡された鍵を握りしめて駆け足でその場から立ち去って行った。岡田は古田がいなくなった席に座り窓の外に見える金沢銀行を眺めた。先ほど男がひとり出て行った職員通用口からまた男が姿を見せた。岡田は古田に手渡された写真とその男の顔を照らし合わせて見た。
「あれが、佐竹…。」
男は通用口に立ってタバコを加えて携帯電話を見ている。何やらソワソワしているようにも見えた。
専務の本多が自死したとの報が本部からもたらされたことにより、佐竹は動揺を隠せないようだった。次長の橘は山県が不在なため、先ほど彼の代わりに今後の対応について協議するため本部に向かった。本多死亡の報は支店長代理以上の役席のみに伝えられた情報であったため、支店内の他の連中はその情報を得ていない。そのため店内はいつも通りの時間が流れていた。橘からは普段通りに振る舞って業務を終えた者から帰宅させよと指示を受けていた。時刻は18時をまわり、何名かの行員が帰り始めていた。
「これが制裁ってやつなのか…。」
そう言いながら佐竹は携帯を開いてメールを打ち始めた。送り先は山内である。18時過ぎであれば体が空くと彼女は言っていた。しかし留守となってしまった金沢駅前支店を放って自分だけ先に帰るわけにもいかない。山内には急用が入ったのでこちらの仕事終わりは19時を過ぎそうだとメールを打った。折角思いのほかトントン拍子で彼女との距離を縮めていたというのに、ここで一気にペースが落ちてしまったことを嘆きつつ、彼はタバコを吸いながら天を仰いだ。
ーそういや今晩は警察にも会わないといけなかった。
彼は指先を再び動かしてメールに加筆した。こちらの仕事のめどがついたら直ぐに連絡するので、何処かで待っていて欲しい旨を入力した。
ー何処か?何処かって丸投げだな…。
佐竹は気にかかったくだりを削除して考えた。
ーどこだよ。どこで待ち合わせればいいんだ。
彼女が金沢市南部の四十万あたりに住んでいることは聞いていたが、その正確な住所を佐竹は知らなかった。今晩食事をする予定の店は街中の家庭的イタリア料理店である。なので片町や香林坊あたりの商業施設で山内に待っていてもらえれば、お互いが最も効率良く出会うことができる。しかしこちらは待たせる身である。待たせるというだけで引け目を感じるのに、店の近くの何処かで待っていてくれと依頼するのは、更なる引け目を感じてしまう。
ーそうだ。俺があの子の家の近くまで迎えに行けばいいじゃないか。
山県からは注意しろと言われた。何が何でも山内を守れと言われた。山県の忠告を心のどこかで大袈裟だと思っていた佐竹は、本多死亡の報を聞いて彼の予想を信じるようにもなっていた。
ー人混みは危険だ。あの子にはとりあえず自宅で待機してもらおう。それが一番安全だ。
メールでのやりとりにもどかしさを覚えていた佐竹はここでその文章を全て削除し、山内に電話をかけた。何度か呼び出し音がなって彼女は電話に出た。
「もしもし。」
「あ、佐竹さん。」
「仕事終わった?」
「え、ええ。」
「こっちはちょっと6時半までに仕事が終わらなさそうなんだ。」
「そ、そうですか…。」
「いまどこ?」
「あの…。」
山内は口籠った。
「ああごめんごめん移動中かな。」
「佐竹。残念だな。」
急に男が電話口に出た。
「だ、誰だお前。」
「はあ?俺だよ俺。なに浮かれた声だしてんだよ。」
「…まさか…村上。」
「おう。そうだ。」
「何でお前が山内さんと。」
「山内さん?なんでこの子はさん付けなんだよ。たまには俺にもさんぐらいつけろよ。」
「何だと?」
「山内さんは俺とデート中。お前はそのまま仕事でもしてろ。じゃあな。」
「ま、待て〓︎」
「あん?」
「お前、山内さんに手出してみろ。ぜってぇ許さんからな。」
「ほう。勇ましいね佐竹くん。でもね山内さんはもう俺にデレデレなんですよ。」
「え…そんな…。」
ガサガサっと音をたてて山内が電話口に出た。
「違います〓︎佐竹さん助けてください〓︎」
「山内さん!! 今どこだ。」
「この人の車の中にいます。北へ向かって走っています。」
再び物音がした。山内の声が聞こえなくなった。
「山内さん〓︎山内さん〓︎」
「おいでけェ声出すなよ。心配すんな。この子には何もしていない。」
「村上…てめえ…。」
「おっとお怒りあそばされるな。俺はお前と二人っきりで話がしたいんだ。」
「何だ…話って…。」
「込み入った話だ。今すぐ内灘まで来い。」
「内灘?」
「ああ。内灘大橋のたもとで待ってる。この娘ははそれまでこっちで預かっとくよ。」
「何でだ。彼女は関係ないだろう〓︎」
「関係ないけど、こうでもしないとお前動かんだろ。あ、そうそう俺が用事があるのはお前だ。お前ひとりで来い。一時間だけ待つ。じゃあな。」
そう言って村上は一方的に電話を切った。
「佐竹。俺はお前にひとつだけ言いたいことがある。」
「…なんですか。」
「お前、女おれんろ。」
「まだそこまでじゃないですが…。」
「気をつけろ。」
「は?」
「念のため気をつけろ。俺は久美子とカミさんを事件の後から別の場所に匿っとる。もし何かのことがあるとヤバいからな。」
電話を切った佐竹の頭には山県とのやりとりが再生されていた。
「まさか…村上が…。」
手にしていた携帯電話を力なく落とし、そのまま膝から崩れ落ちる様子を岡田は遠くから見つめていた。
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