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-------Lesson Dialog-------
----Formal ----
「高校野球」とは、単なる「ベースボール・ゲーム」ではない。
毎年酷暑の8月、しかも国内でも連日熱中症注意の喚起がなされるほどに気温が上がる西日本。
そんなところにわざわざ全国から地域を代表する高校生が集まって、炎天下、野球の試合に興じ、その結果に日本人は一喜一憂する。
まさに国民の祭典。それが、日本の「高校野球」である。
1915(大正4)年に始まった高校野球は、第二次世界大戦中に中断を余儀なくされたものの、1946(昭和21)年に復活、現在まで途切れることなく続いており、2018(平成30)年には100回目を迎える。
最近はサッカーに押されつつあるが、日本人は野球が好きである。
だが、日本人がこれほどまでに「高校野球」に熱狂するのは、そこに日本人が「美徳」とする理想が集約されているからといえるだろう。
高校生という「若者」の清々しさと潔さは、常に人々の心を打つ。
努力と忍耐を貴ぶ精神、勝者は勝利に奢ることなく敗者を労り、敗者は勝者へ心からの賛辞を贈るという「武士道」。
さらに、応援に華やぎを添える女子高校生や、選手を鼓舞するブラスバンドなど、何かに熱中するという高校生らしい「情熱」が至るところにあふれている。
何より、代表校は「ふるさと」の象徴だ。
どんな過酷な試合展開でも、決してあきらめずに最後までチームワークで全力を尽くす「不撓不屈」の姿に、困難な自分たちの状況を重ね合わせ、気持ちを奮い立たせる人も多い。
一方、そんな美しい「甲子園」に対して、現実社会はあまりにも厳しい。
価値観の相違から生まれる世代間の対立、負けることは許されない競争社会、自分の力ではどうしようもない災難、諦めることしかできない無力感等々、辛くむなしいことも多い。
「甲子園」で演じられる「美徳」は、大切なものだとは分かっていても、あまりに「きれいごと」過ぎて、日々の生活にはそぐわない。
しかし、だからこそ日本人は、「甲子園」にさまざまな美しい夢を描く。
日本人の美しい夢が体現される瞬間こそが、聖地「甲子園」であり、祭典「高校野球」なのである。
----Formal Vowelled----
「こうこうやきゅう」とは、たんなる「ベースボール・ゲーム」ではない。
まいとしこくしょの8がつ、しかもこくないでもれんじつねっちゅうしょうちゅういのかんきがなされるほどにきおんがあがるにしにほん。
そんなところにわざわざぜんこくからちいきをだいひょうするこうこうせいがあつまって、えんてんか、やきゅうのしあいにきょうじ、そのけっかににほんじんはいっきいちゆうする。
まさにこくみんのさいてん。それが、にっぽんの「こうこうやきゅう」である。1915(たいしょう4)ねんにはじまったこうこうやきゅうは、だいにじせかいたいせんちゅうにちゅうだんをよぎなくされたものの、1946(しょうわ21)ねんにふっかつ、げんざいまでとぎれることなくつづいており、2018(へいせい30)ねんには100かいめをむかえる。
さいきんはサッカーにおされつつあるが、にほんじんはやきゅうがすきである。
だが、にほんじんがこれほどまでに「こうこうやきゅう」にねっきょうするのは、そこににほんじんが「びとく」とするりそうがしゅうやくされているからといえるだろう。
こうこうせいという「わかもの」のすがすがしさといさぎよさは、つねにひとびとのこころをうつ。
どりょくとにんたいをたっとぶせいしん、しょうしゃはしょうりにおごることなくはいしゃをいたわり、はいしゃはしょうしゃへこころからのさんじをおくるという「ぶしどう」。
さらに、おうえんにはなやぎをそえるじょしこうこうせいや、せんしゅをこぶするブラスバンドなど、なにかにねっちゅうするというこうこうせいらしい「じょうねつ」がいたるところにあふれている。
なにより、だいひょうこうは「ふるさと」のしょうちょうだ。
どんなかこくなしあいてんかいでも、けっしてあきらめずにさいごまでチームワークでぜんりょくをつくす「ふとうふくつ」のすがたに、こんなんなじぶんたちのじょうきょうをかさねあわせ、きもちをふるいたたせるひともおおい。
いっぽう、そんなうつくしい「こうしえん」にたいして、げんじつしゃかいはあまりにもきびしい。
かちかんのそういからうまれるせだいかんのたいりつ、まけることはゆるされないきょうそうしゃかい、じぶんのちからではどうしようもないさいなん、あきらめることしかできないむりょくかんとうとう、つらくむなしいこともおおい。
「こうしえん」でえんじられる「びとく」は、たいせつなものだとはわかっていても、あまりに「きれいごと」すぎて、ひびのせいかつにはそぐわない。
しかし、だからこそにほんじんは、「こうしえん」にさまざまなうつくしいゆめをえがく。
にほんじんのうつくしいゆめがたいげんされるしゅんかんこそが、せいち「こうしえん」であり、さいてん「こうこうやきゅう」なのである。
----Formal English----
High school baseball is not just a game.
(That takes place) every year in August, during the most intense heat, in Western Japan, where the temperatures get so high during the days that people are warned about heat strokes all over the country.
Representatives of high school students gather from all over the country in such a place to play in baseball games under the scorching sun. That's what makes Japanese people swing from joy to sorrow.
That is high school baseball in Japan. It's a real national celebration. Although high school baseball that began in 1915 (Taisho 4), it was interrupted during the Second World War, but it revived in 1946 (Showa 21) and continues until now. In 2018 (Heisei 30), it will be played for the 100th time.
Recently soccer is getting more supporters, but Japanese people still like baseball.
It's probably because it holds the ideal Japanese virtues that Japanese people are so enthusiastic about high school baseball.
The image of a high school student, as fresh and clean youth, always strikes the hearts of people.
The spirit of respecting effort and patience, the winner giving a pat on the back of the loser, being modest about their victory, and the losers giving heartfelt tribute to the winners is Bushido (or the "samurai code of chivalry").
In addition, high school students' passion for devoting themselves to something, such as high school girls cheering or brass bands inspiring players, is everywhere.
More than anything, the representative school is a symbol of Furusato ("home").
Many peop [...]