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今日の論語は、八佾篇 第二十一章。
原文では、王孫賈が「奥に媚ぶるよりは寧ろ竈に媚ぶれとは何の謂いぞ」と問うたところ、孔子は「然らず。天に罪を獲れば、禱ぐ所無し」と答えています。これは、奥の神に媚びるよりも台所の神に媚びたほうがいい、という考えに対し、孔子が否定的に応じた場面です。
この章では、「目先の利益にとらわれず、物事の本質を見極めよ」という教えが伝わります。天に対する罪はどこでも祈りの効果がなくなるということから、人は誠実に生きることが大切だと教えてくれます。
今日の論語は、八佾篇 第二十章。
「祭ること在るが如く、祭神は神在るが如し。子曰く、吾は祭に与せざれば、祭らざるがごとし。」
この章は、祭りごとには心を込めて、本当に神がそこにいるかのように敬うべきだ、という教えを示しています。孔子は、心から参加しない祭りは、祭りをしたことにはならないと語ります。心を込めた行動の大切さを学びましょう。
みなさん、こんにちは!「アホでも分かる論語ラジオ」、今日は八佾篇の第十九章をお届けします。
今回の論語は、「或る人、禘の説を問う。子曰く、知らず。その説を知る者は天下に於いて、斯を示すがごときか、と其の掌を指さる。」です。
孔子が「禘の祭り」について質問され、その答えを知ることの難しさを語ります。
この章のポイントは、「知識を持つことの大切さと、それを理解することの難しさ」です。一見シンプルな問いかけに、奥深い知識の探求が隠されていますよ。それでは、今日も楽しく学びましょう!
今日の論語は、八佾篇 第十八章。
「子曰く、禘既に灌より往く者は、吾観るを欲せず。」
簡単に言うと、孔子は形式だけで心がこもっていない祭祀を見ることに興味がない、ということです。
今回のエピソードでは、形式と本質の違いについて、孔子の言葉を通じて考えてみましょう。伝統や儀式の中で本当に大切なものは何か、一緒に探っていきましょう!
今日の論語は、八佾篇 第十七章。
「子曰く、文王は百官の臣を有し、これを文に及ぼす。周に武士ありて、これを武に及ぼす。」
この章では、文王が文治を、周の武士が武治を広めたことについて語られています。文の力と武の力、それぞれの価値を考えてみましょう。
今日は『論語』の八佾篇第十六章を取り上げます。
「子、魯の大師に語りて曰く、亡ぶるかな命なり。『呂』を『呂』とせずんば、文を成さず。」
孔子は、音楽の本質を理解しないとその価値を失うということを教えています。
今日の論語は、八佾篇 第十五章。
「子曰く、管仲に三帰あり。官事に攝らず。焉んぞ仁を得ん。」
孔子は、管仲が三度も同じ失敗を繰り返し、そのたびに役職にしがみついていたことを批判しています。仁を得るためには、失敗から学び、同じ過ちを繰り返さないことが大切だと教えます。
今日の論語は、八佾篇 第十四章。
「子曰く、成事は説かず、遂事は諫めず、既往は咎めず。」
この章では、過去の出来事はすでに終わったものであり、成功したことは説明せず、進行中のことには口出しせず、過ぎ去ったことは咎めないことが大切だと説かれています。未来に目を向けて、前向きに進むことの大切さを孔子先生が教えてくれます。
こんにちは、アホでも分かる論語ラジオへようこそ!今日は『八佾篇 第十三章』を取り上げます。この章では、孔子が音楽や人選について語ります。
論語の原文をご紹介します:
「子曰く、『関雎』の作るや、蓋し三百年。其の政闢け、其の辞微なり。鄭声を放ち、佞人を遠ざくべし。鄭声は淫、佞人は殆し。」
この章の簡単な解説:
孔子は、健全な音楽を選び、信頼できない人物を遠ざけることが大切だと教えています。音楽や人間関係が、私たちの生活に与える影響について考えさせられますね。
皆さん、こんにちは!今日の「アホでも分かる論語ラジオ」は、八佾篇の第十二章をお届けします。儀封人が語る、君子がどんなところにも欠かせない存在であるというお話です。
「儀封人、見えんことを請う。曰く、君子至る所、吾未嘗て見えざること無し。従者これを見せしむ。出でて曰く、二三子、何ぞ喪を患えん。天下道無きこと久し、天将に夫子を木鐸とせんとす。」
この章では、君子がどんな場面でも重要な存在として必要とされることを伝えています。孔子が人々を道に導く存在として、天から選ばれているという考えを示しています。
それでは、ロボシと一緒にこの章を深掘りし、君子としての道を学んでいきましょう!
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