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あなたへ
こんばんは。冷たく澄んだ冬の夜空に、イルミネーションの光が華やかに咲く季節になりました。おかわりありませんか。
今日は、ちょっと気が重い用事を、やっと終えた帰り道、小さな光が散りばめられたケヤキ並木を歩きました。私がひと呼吸するよりも、ゆっくり点滅するきらめきのなか、この1年をほっと振り返りました。それはまるで、今年のフィナーレへと続く花道のようで「一年間、おつかれさまでしたね」と語りかけてくるようでした。なんだか感傷的になり、ちょっと涙ぐんでしまいました。
あなたは、どんな一年を過ごしましたか。
私は暮らしに、とても大きな変化がありました。ライフステージが変わる時は、心の状態や身体の調子、人との関係や何かとの距離感、これまでうまく保ってきたバランスを崩しがちです。気をつけなくちゃと分かっていたのに、よろけて、転んで、倒れたまま、しばらく起き上がることができない日々が続きました。
そんな時、車で30分ほどの、少し遠くのパン屋さんに連れて行ってもらいました。このお店は数年前に、家族のザ・ベストオブパン屋を見つけようと、あらゆるお店を巡って見つけたお気に入りのお店です。
ここは、店内の雰囲気だけでなく、パン自体に弾けるような活気があります。トレーとトングを手に、店の入り口に立つと、にこやかなパンたちが一斉に「いらっしゃいませぇ!」と迎えてくれるようなのです。 種類も豊富で、パンそれぞれが、自らのテーマソングを持っていそうなほど個性的でもあります。 よくある定番のアンパンですら、艶やかで存在感があり、あの有名なマーチを歌い出しそうです。
どうしてもお腹に力が入らない時、口にふくむと、ふんわりあたたかく、ひと口ごと、おへその辺りから、まさに愛と勇気が満ちてゆくようでした。悲しい気持ちから抜け出せない時、心配ごとに絡まってしまった時、その時の気持ちに添うように、味が変わるようにも思えました。
パンは、食べられる手紙のよう。でも、その手紙へは返事の書きようもなく「ありがとう」のかわりに、いくつもの「ごちそうさま」を重ねました。
パンに励まされたり、イルミネーションに労われたり、私たちは、目の前を浮遊する無数のメッセージに、生かされているのかもしれません。
「さあ、これからどうしていこうか」。長く降り続いた涙がやみ、心が傘をとじるころ、今度は次の一歩を選ぶ時です。まだぬかるんだ道をゆく頼りないつま先には、期待と、同時に、迷いも生まれます。そんな時には、目についたものから、必要以上に意味深くメッセージを受け取ってしまいがちで、困ったものです。
道すがら、赤や黄色信号ばかりに当たると「やめておけってことかな」と、ためらいます。 古着屋さんで、パッと手にしたTシャツに’’ALL IS WELL’’と書いてあれば、「うまくいくかな」と、勢いに乗っかろうとします。
受け取るメッセージは、その時の自分次第で変わってゆくのだと思うと、目の前の景色が自身を映し出す壮大なモニターのように見えてきます。
世界が自分の同一線上にあるものなのだとすれば、こうして書いているあなたへの手紙も、実は自分への手紙なのかもしれません。
自分を、自分の日々を、よりよくすることで、あなたと分け合う世界もよくなると思えば、
一方で、自分では、どうにもならない、いいことも、よくないこともある毎日です。
1日の終わりに、1年の終わりに、
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
こんにちは。
暮れゆく秋のため息が、街路樹を赤や黄色、橙(だいだい)に染めてゆきます。丘の上まで続く「いろは坂」も、カラフルな葉っぱのグラデーションに縁取られました。坂道のカーブの途中で振り返ると、深く色づいた町を一望できます。もう少し背が高かったら、あなたの町のいちょう並木も見つけられそうです。おかわりありませんか。
今日は、いろは坂をのぼりきったところにある、丘の上の喫茶店で手紙を書いています。
私の住む町は、アニメ映画の舞台になったことがあります。休日には、いろは坂や丘の上で、カメラをさげた映画のファンの方とよくすれ違います。この喫茶店は、多くの方が旅の羽休めに立ち寄る場所となっています。
「さあ、どうぞ」といつも開かれた扉に入ると、アニメの主人公がお世話になりそうな愛らしい雰囲気のおかみさんが出迎えてくれます。
テーブルの上には手書きの町歩きマップ、壁には映画のポスターが飾られています。棚には、原作漫画やノベライズ本、そして、訪れた人たちから贈られた手書きの絵なども並べられています。
2階の席は一面大きな窓ガラスで、丘の上をよく見渡せます。景色の真ん中にあるのは小さな円盤のバスロータリーで、盆栽のようによく手入れされた植え込みになっています。春は桜、夏にはセミの声、秋は紅葉、冬は雪に染まり、季節ごとにその装いをガラリと変えます。
ロータリーの周りを、車やタクシーが秒針のようにくるくると、そして、20分おきにバスが長針
のようにぐるーりと巡ります。丘の上のロータリーは、この町の時計のようなのです。
「次のバスが来るまで、本の続きを読もうかな」と20分タイマーが時を刻み始めたところで、おかみさんが頼んだコーヒーを持って来てくれました。そして「お客様からいただいたの。よかったら召し上がってね」とメニューにないおやつを出してもらえました。
常連さんや、ここを気に入った旅の方が、お土産を持って再び来られることが多いそうです。運がいいと、こうしてコーヒーにおともが付いて来るのです。今日は、お芋のパイでした。
ちなみに前回は、コーヒーゼリーでした。パフェグラスに乗せられた、ぷるぷるの黒いゼリーに、ほんのり甘いクリーム。時計盤から踊り出るように咲く桜を眺めながら、小さな銀のスプーンでひと口。それは、ほろ苦く甘く、混ざり合った黒と白が、互いに引き合うような濃密な味でした。これを機に「大人のそっけないデザート」というコーヒーゼリー観は、すっかり変わってしまいました。そして、食べものとも、一期一会があることを知りました。
帰り際に、差し入れてくださった方にお礼を言おうとしたのですが、「今、あのバスでお帰りになったところです!」と、ロータリー脇の停留所から、ちょうどバスが出発したところでした。
バスは、コーヒーゼリーの旅人を乗せ、桜吹雪の向こうへ、ゆっくりと消えてゆきました。
丘の時計の針は、どれほどの旅人を運んで来たのでしょう。
目を閉じて、時計の真ん中から、
旅する自分を眺めてみたくなる。
今日は、そんな詩を送ります。
> The Road was lit with Moon and star -
> The Trees were bright and still -
> Descried I - by the distant Light
> A Traveller on a Hill -
> To magic Perpendiculars
> Ascending, though Terrene -
> Unknown his shimmering ultimate -
> But he indorsed the sheen -
>
> 月と星の灯りが 道を照らし
> 木々はきらめき 佇んでいた
> 遥かな光のなか
> 丘の上に旅人がひとり
> 魔法にかけられたような急な坂道を
> 地を踏みしめ 登ってゆく
> 向かう先はゆらめき 果ては知れない
> ただ その光を感じながら
この町の丘を訪れるのは、人間だけではありません。
今年の夏には、新たな旅人の存在に気づきました。
毎年、夏の夜に「ワンワン!ワンワン!」と犬が一定のリズムで鳴くのです。ずっと犬の夜鳴きだと疑わなかったのですが、今年はふいに「あれは犬ではないのでは」という話になりました。
「次、鳴いたら、声の方へ行ってみよう」と待ち受け、ある夜、その時が来ました。濡れた髪でパジャマのまま、夜空に遠く響く声を辿り、できるだけ音を立てずに夏の夜を走りました。
声は、私たちを丘の上に抜ける竹やぶの通路へと誘(いざな)いました。息を潜め、耳を澄ますと、一本の大きな木の上から、「ワンワン!ワンワン!」とはっきり聞こえてきました。
調べてみると、声の主はアオバズクでした。アオバズクは、夏になると日本を訪れる旅の鳥です。
見上げた木に、アオバズクの姿を捉えることはできませんでした。ただ、木々の隙間に、白い三日月がぷかりと浮かんでいました。 あの月から見たら、私たちとアオバズクは、同じ木に佇んでいるように見えるだろうな。そう、アオバズクと自分を、遥か遠くから眺めた夜でした。
丘の上の時計が、月が、
今日も旅する者を、迎えては、見送っています。
長い目で見れば、私たちもみんな、
ある一時期、この世を訪れ、いずれ去る旅人です。
旅のあいだ、互いに、近づいたり、遠ざかったり。
時に、言葉を交わしたり、交わさなかったり。
でも、
出会わなかった出会いが、心にずっと残ることがあるのです。
外は、冷たい風が吹き始めたようです。
赤茶色の葉っぱが一枚、窓に張り付いて、ひらひらと手を振るように飛んでゆきました。
行く先は、冬でしょうか。
あなたが、暖かく過ごしていますように。
また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣
あなたへ
こんばんは。
秋の夕暮れに、どの星よりも早く、強く輝く金星を見つけると、友達の黒猫を思い出します。
10年ほど前のこの時期に、猫が苦手な友人が、猫と暮らし始めました。
猫を迎えてひと月ほど経った頃、彼女の家に遊びに行く機会がありました。新しい家族、黒猫のイクリプスに会えるのを楽しみにしていたのですが、会うことはできませんでした。 彼女の家に来た日からずっと、ベットの下から出て来なかったのです。
聞けば、多頭飼育がうまくいかなかった家の隅で、ひどく痩せ細り、うずくまっているところを保護されたそうです。警戒心が強く、保護されている間はゲージ奥のドーム型ベッドに篭り、誰にも姿を見せることはありませんでした。 ある日、彼女が施設を訪れ、ゲージの前を通りかかった時のことでした。何気なく奥を覗き込んでみると、かすかに「にゃあ」という鳴き声が。それが、彼女には「やあ」という言葉に聞こえたのだと言います。 それから、しばらく会いに通ったのち、スタッフの方に「ずっとゲージから出てこないかもしれない」と言われても、受け入れを申し出たそうです。
彼女の家に来て、ゲージを出たのはよかったものの、すぐベット下に姿を消したイクリプス。私が訪れた時、半分開いた扉の隙間から部屋を覗くと、ベットの下からじっとこちらを伺っているのが分かりました。
扉が大きく開いて明かりが差し込むと、目の奥にある丸い瞳が、キュっと縦に細くなり、身構えるのが分かりました。でも、扉を完全に閉めてしまおうとすると、「にゃー」とひと鳴き。それはまるで「いやー」と言っているようで、「そこは開けておいて。ひとりにしないで」という言葉が、闇の奥から聞こえてくるようでした。
それでも彼女はイクリプスが来てから、夜よく眠れるようになったと言っていました。
あれから、彼女とイクリプスに、いくつもの季節が訪れました。
徐々にベットの下から顔を出すようになり、扉の向こうから、じーっと彼女を観察し続けたイクリプス。数ヶ月経ったある日、台所に立つ彼女の足に、黒く滑らかな身体を寄せて来たそうです。
相変わらず、私には姿を見せません。でも、お泊まりに行くと、闇夜にその気配を感じます。電気を消してしばらくすると動き出し、そのうち、おもちゃで遊びはじめ、家中を走り回ります。
彼女にそう言ってみると、「何か願っていいよ、2つ」とちょっと得意げな返事が返って来ました。不吉だなんて言っていたのは誰だっけ。流れ星2つ分の願いごとを考えながら、いつの間にか眠りにつきました。
開くか分からない扉を、そっとノックし続けた彼女。
誰の心にもある「開かずの扉」。
また、手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
あなたへ
こんにちは。夏の炎を吹き消すような、涼しい風が吹く季節になりました。おかわりありませんか。
思い出したように火照る日はまだありますが、燃え盛る夏の間には出来なかったことに、やっと手を伸ばしています。
今日は、海外に住む友人に手紙を出しました。エアメールを書くのは数十年ぶりで、宛名の書き方を思い出そうとしていたら、学生時代の色あせかけた記憶も一緒に引き出されてきました。
高校時代に、アメリカで寮暮らしをしていた時のことです。
車で1時間は走らないと町に出られない田舎町での日々に、日本から送られてくる荷物や手紙は、一番の楽しみでした。
毎日、カフェテリアで朝食が終わるころ、手紙や荷物が届いている人の名前が呼ばれます。名前を呼ばれた人は嬉しそうに取りに行き、呼ばれなかった人は羨ましそうにその様子を眺めます。
自分宛の手紙があった日は、そそくさと部屋に持ち帰り、ひと息つきます。そして、青と赤の縞模様に縁取られた封筒を丁寧に開くと、まずは一気に読み、それから一字一字ゆっくり読みます。すると、手紙の内容はもちろんですが、筆圧で出来た文字のでこぼこや、インクのにじみ、手の湿気で少しよれた、薄く柔らかな便箋そのものが愛しく感じられるのです。
あんなに待ち遠しく、嬉しかったエアメール。あの小鳥の羽のような便箋と封筒の生産を、今はもう終了したメーカーがあるそうです。電子の手紙にその居場所を譲っていたことを知った時は、とても残念で寂しく、同時に、ちょっと後ろめたい気持ちにもなりました。
それは、去りゆく季節への、惜別の感情に似ていました。
今日は、静かに去った夏に、残された者が想いをしたためた日記のような詩をおくります。
> As imperceptibly as Grief
> The Summer lapsed away-
> Too imperceptible at last
> To seem like Perfidy-
>
> A Quietness distilled
> As Twilight long begun,
> Or Nature spending with herself
> Sequestered Afternoon-
>
> The Dusk drew earlier in-
> The Morning foreign shone-
> A courteous, yet harrowing Grace,
> As GUEST, that would be gone-
>
> And thus, without a Wing
> Or service of a Keel
> Our Summer made her light escape
> Into the Beautiful.
>
> かなしみのように ひっそりと
> 夏は過ぎ去った
> 背を向けられたことに
> 最後まで 誰も気づかないほど
>
> 夜のとばりが ゆっくり降りるように
> 静けさの雫が にじみ出て来る
> 窓の外の午後は 誰に邪魔されることなく
> 静かに自然の時を刻む
>
> 夕闇は ますます足早に深まり
> 朝日は 今までとは違う輝きを見せる
> それはまるで
> ともに過ごした人が去っていくよう
> こちらを気遣いながら
> でも 切なくなるほど優雅に
>
> そうやって 翼も
> 船の便もないのに
> 私たちの夏は 軽やかにすり抜けて行った
> 美しき彼方へと
日本からのエアメールは、隠したホームシックを優しく包んでくれたものでした。また、外国から届いたものは、居ながらに異国の遠い空へと連れ出してくれるものでした。
大学生の頃、ヨーロッパへ放浪のひとり旅に出た友達から、1週間ごとに旅の記録が送られてきたことがありました。そこには、写真や記憶には残しきれないことが淡々と、紙いっぱいに書かれていました。放浪の旅なので返事を書きようもなく、一方通行の手紙は、空から届く旅の本のようになりました。
恋人ではなく、なぜ私に託すのかと当時は不思議に思いましたが、今なら分かるような気がします。恋は、やがては消えて去る、ひとつの季節ようです。儚い風が吹くことのない誰かに、孤独な旅の歩みを知っていて欲しかったのかもしれません。
今も手紙を保管していることを、照れ屋の友に伝えられずにいます。いつか大人になったら箱ごと渡そうと思っていたのですが、どれほど大人になったら、青い春が残した旅の手紙を、恥ずかしい気持ちにならずに読めるでしょうか……我が身に置き換えては、計り兼ねています。
私たちのもとを去った季節は、今も意外な姿で眠ったまま、
いつか箱のふたが開く、その時を待っているかもしれません。
あなたとの、このやりとりも、
私たちが生きた日々の足跡になってゆくのかなと思いながら、
また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣
## 小谷ふみコメント:エミリー・ディキンソンの私訳によせて
最近、友人と絵はがきのやりとりしているのですが、彼女が選んだ絵はがきとカラフルな文字から、その暮らしぶりや家族のようす、さらには彼女の内側に広がる世界そのものまでもが、切手が貼られた小さな窓から伝わってくるようです。
「手紙は、肉体は伴わず、精神だけを伝えるという点で、私にはいつも不滅そのもののように思われるのです」という言葉を残したアメリカの詩人 エミリー・ディキンソンは、今から150年ほど前、南北戦争の時代に生き、生前は無名でしたが、1700編もの詩を残していました。
その暮らしは、いつも白いドレスを身にまとい、自宅からほとんど外に出ることはありませんでした。そして社会と世界と、彼女なりの距離を取りながら、詩をひそやかに書き続け、限られた人と手紙のやりとりをして過ごしました。
彼女の詩や手紙には、閉じた窓の向こうに彼女が見つけた、いつまでも失われることのない世界が広がっています。“stay home” ”keep distance” この閉ざされた日々に、彼女の「詩」という窓の向こうを、一緒に眺めてみませんか。
2020年 秋 小谷ふみ
あなたへ
こんにちは。太陽が直接吹きかけてくるような熱い風が、町を真夏の色に染めてゆくような日々ですね。おかわりありませんか。
先日、一足早く父とお墓参りに行き、暮らしを共にしていた動物たちが眠る場所へも行きました。昼間でも薄暗い通路を渡り、ずらりと並んだ扉の一つを開けると、時が止まったような愛犬たちの写真が出迎えてくれます。
これから、父の言葉を思い出しつつ、ホオズキを収穫してお盆の準備をします。
帰ってきた魂は、空洞のホオズキの中に宿ると言われています。
今日は、夏のたび少しずつ近づいている「秘密の通路」の向こう側、その存在を感じる詩をおくります。
今年は祖母の新盆でもあります。大往生だった祖母の葬儀は、涙と笑顔のお別れ会でした。帰宅後、疲れてベッドになだれ込むと夢を見ました。
それは、クルクル回る光の輪の夢でした。
その中にひとり、知らない女の子がいました。
光はあまりにも眩しく、顔はよく見えないけれど、それはまちがいなく少女に戻った祖母でした。私はただじっとクルクル回り続ける光の輪を、目が覚めるその瞬間まで見つめていました。
人は、「秘密の通路」を抜けて、
今年は、ホオズキキャンドルに、祖母の好きだった甘納豆も用意するつもりです。いつか、私の番が来たら、玄米多めのフルーツグラノーラがあると嬉しいです。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
あなたへ
昆虫や動物を保護することは、彼らの日常に足を踏み入れ、自然の摂理に逆らうことになるのではないかといつも躊躇うのですが、コンクリートの上で命が絶えるのはやはり忍びなく、ひとまず連れて帰ることにしました。家に帰るとすぐにプラスチックの箱に穴を開け、新聞を敷き、餌には……楽しみに取っておいた頂き物の桃を入れ、そして最後に、放心状態のカブトムシを高級桃の上に乗せました。私もその桃、食べたかったんだけどなと羨ましさをこらえて。
「ブーン、ボン!ブーン、ボン!」夜中になんだろう。
森は、夜もまだ続く蝉しぐれ。肌に触れてきそうなほどに降りそそぐ蝉の羽音が、森の入り口のカーテンのようでした。それは静かな月に照らされて、向こう側へ二本足の生き物が立ち入ることを、少し恐ろしく思わせました。
箱の蓋を開けると、コンビニの蛍光灯では弱々しかったカブ子の背中が、力強く月明かりを受けとめていました。そして、桃にも、私たちにも振り返りもせず、カーテンの向こうへと消えて行きました。
A Bird, came down the Walk -
And then, he drank a Dew
He glanced with rapid eyes,
Like one in danger, Cautious,
小鳥が小道におりて来た
それから そばの草葉から
キョロキョロと見渡して
何か起こるかと身がまえて
水面(みなも)に跡ものこさずに
そっと庭のベリーの実を、小鳥が代わる代わるついばみに来るので、試しにひとつ食べてみたら、ふっくらと甘く、想像以上に美味しくて驚きました。そこで、私たちも収穫することに。
ひとつの木を、ひとつの実を、
近くにいても、離れていても。
あなたのいない夕暮れに。
追伸
あなたへ
こんにちは。草木がみずみずしく潤う季節になりました。おかわりありませんか。
カエルたちは、私が近づくと足音か気配を察知してピタリと鳴き止みます。通り過ぎてしばらくすると、また鳴き始めます。どんなカエルが鳴いているのか、姿を目にとらえたくてそっと近づいてみるのですが、いつも同じところで気づかれてしまいます。青い闇の中で、カエルとの「ダルマさんが転んだ」を繰り返すうち、田んぼ全体が巨大なカエルのように思えてきます。
昔、近所の池に大量に発生したおたまじゃくしを捕まえて帰ったことがあります。数日経ったある朝、小さな手足を生やしたおたまじゃくしたちは、カエルと呼ばれるにふさわしい姿になり、蓋をしていなかった水槽から飛び出していました。小さなカエルだらけになった玄関で、半泣きになりながら、一匹、一匹、捕まえ、水槽に入れ、蓋を閉めて池に戻しに行きました。水槽は、おたまじゃくしの時よりも重く感じられ、カエルたちが道路に飛び出さないよう、ぎゅっと力を込めて蓋を押さえた手の痺れを、今も覚えています。
今日は、そんな、名もなきカエルの自問自答のような詩をおくります。
名前の「名」という漢字の由来には、夕刻の暗闇で「あなたは誰?」と尋ねることからきているものがあります。
カエルは鳴き声で、その存在をアピールします。好きな相手を引き付けるため、敵を遠ざけるため、その時々に鳴き声を変えながら。
夜の散歩の帰りに寄ったコーヒー店、入り口の棚の上にカエルが一匹ちょこんと座っていました。店員さん曰く「この時間になると現れて、いつの間にか居なくなるんです」。出入りする人はみな、その存在を認めていて、いないと心配になり、いるとほっとするそうです。
今夜も、自分の内から外から鳴きやまぬ、名もなきカエルの大合唱。
また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
あなたへ
春の新生活のざわめきも遠ざかり、日常が静かに落ち着いてきました。
おかわりありませんか。木々の緑が日を追うごとに濃くなり、散歩をするのに気持ちのいい朝も多くなりました。最近は、少し荷物になってもカメラを持って歩くようにしています。
今、私の元には、大中小3つのカメラがあります。ひとつは、祖父から受け継いだ古いお爺ちゃんカメラ、もうひとつはコンパクトなデジタルカメラ、そして文字通りおもちゃのようなトイカメラ。棚の上に、黒とシルバー、合わせて3つの相似形が並ぶ様子は、三兄弟のようでとても可愛らしいです。
特に末っ子のトイカメラはネックレスのようにいつも首から下げています。本体は片手のひらに包まれてしまうサイズで、「それで本当に撮れるの?」とみんな驚きます。確かに、小さいだけでなく、よく見るとレンズも歪んでいるし、シャッターボタンを押しても音がしないので、撮れているのか不安になります。
でも、ちょっと残しておきたい瞬間に、小さな付箋を付けるようにカチッとボタンを押しておく。撮られる方も、おもちゃのウインクに構えることなく、ありのままでファインダーに収まります。
後日、パソコンにつないで撮った写真を開いてみると、これが驚くほど……ひどい写りなのです。手ぶれは当たり前、笑顔など横に縦に歪んで、いつどこで撮ったのかも思い出せないような、ちょっと笑ってしまうような写真がたくさん。でも、それがとてもよいのです。いびつになった世界は、妙に安らぎます。
結局のところ、カメラに映るものも、私たちの瞳に映るものも、光りを反射しただけのよく似た虚構に過ぎなくて、真実の形や姿など誰も見ることができないのかもしれません。
それでも、人は真実に近づこうとします。
最近は、携帯電話のカメラの画質も性能も驚くほどよくなりました。でも、鮮明になり過ぎた世界に、少し疲れを感じる時があります。
今日はそんな眩しすぎる真実を見つめる時のヒントになるような詩をおくります。
Tell all the Truth but tell it slant —
Success in Circuit lies
Too bright for our infirm Delight
The Truth's superb surprise
As Lightning to the Children eased
With explanation kind
The Truth must dazzle gradually
Or every man be blind —
真実をありのまま語って でも目を合わせずに
まわり道に そっと横たえて
日々のささやかな悦びには 眩しすぎるから
真実の秘めたる 息をのむような驚きは
子どもたちが稲妻を恐れなくなるように
やさしく説いて
真実はゆっくりと その光りを放つといい
そうでないと みんな目が眩んでしまうから
中学生の頃、遊園地で鏡の迷路に入ったことがありました。そこでは、すべての壁が鏡でできていて、本物の歩ける道と、鏡に映っただけの道を見分けながらゴールを目指します。
最初は友達とはしゃいで歩き回っては、鏡にゴツンゴツンぶつかって、また別の道を歩きまわって……を繰り返していました。そのうち、少しもうまく先に進めないことに疲れ始め、ふと、立ち止まり、鏡の自分を眺めてみました。必要以上に明るく振る舞いがちな自分は、鏡の中でも笑顔でした。でも、鏡を映す鏡のまたその奥を覗きこむと、そこに立っていたのは、ムスッとした見たことのない自分でした。
笑顔と笑顔の鏡の隙間に、本当の姿を見た気がしてドキッとし目を逸らしてしまいました。
ゴールを出る頃に、私だけでなく一緒に入った友達も少し泣きそうになっていたのは、迷路からなかなか出られなかったから、それだけではなかったように思います。
楽しさに混じる、真実に似たものの正体は、しじみの味噌汁に混じった一粒の砂のようでした。
私たちはさいごまで、自分の本当の姿すら自らの目で見ることができないのなら、心に触れてくるものの感触や温度で、その存在を確かめてゆくしかないのですね。
鏡のようなこの世界で、
しじみの砂のような真実ではなく、トイカメラのようなかわいい嘘を、
あなたへの言葉にしのばせて、また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣
あなたへ
こんにちは。
春は出会いと別れの季節ですね。でも、新しい出会いとはすぐに仲良くなれるわけではなく、私には別れのインパクトの方が強いようです。川に流れる花びらを見送りながら、この胸の奥からなかなか出て行かない切ない気持ちをぼんやり感じて過ごしています。それでも、時間は、私の感情などお構いなしに、前へ、前へと進み続けてゆきます。
海と言えば、私が最初に就職した会社は、船会社でした。「物は動くことで価値が生まれる」という就職活動中に出会った物流業界の言葉に胸を打たれ、海を越え価値を生み出す仕事に憧れて、希望いっぱいに社会へと漕ぎ出したのでした。
入社してすぐに、巨大なコンテナ船に乗り、船や港湾について学ぶ乗船研修がありました。キラキラ光る果ての見えない海に浮かぶ大きな船は、港から見上げると大海にそびえる高層ビルのようでした。また、何も積まれていない船の底は、覗き込めば深い谷のようで、冷たく暗い空気に吸い込まれそうで足がすくみました。
こんなに巨大な船の底も、大きな海に浮かべてみれば、銀紙一枚ほどの厚さなのだと聞いて、海の、世界の深さと広さに圧倒されたものでした。私たちの暮らしや、誰かの思いを運んでいるのは、大海原に浮かぶ銀紙の小舟なのですね。
今日はそんな、まだ見ぬ景色への憧れと喜びに輝く船出の詩をおくります。
私の社会人としての初めての航海は、うまく行かないことや失敗続きで、会社や社会にというよりも、自分自身にがっかりし、不甲斐なさに打ちのめされることばかりでした。今思い出しても恥ずかしく、苦い思いがします。
「物は動くことで価値が生まれる」その言葉の意味と同じように、泣いたり、がっかりしたり、それでも前を向こうと踏ん張ったり、...踏ん張れなかったり、揺れ動く心そのものが、その人がその人たる所以となる、そう思えるようになったのはつい最近のことです。
そうやって、自分を知りながら、世界を知りながら、銀紙の小舟は海をゆきます。ある海でうまくいかなくても大丈夫、海は7つもあるのです。
あなたの小舟が、銀色に輝く意志のもとに、風の吹くまま帆の向くままに、心地よい然るべき場所へ、導かれてゆきますように。
また手紙を書きます。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
あなたへ
こんにちは。
吹く風に柔らかな春を感じられるようになりました。おかわりありませんか。
まだ寒の戻りもあり、厚手の衣類をしまったり、また引っ張り出したり、身にまとうものも定まらない日々です。
町の桜もまた、冷たい風に膨らみかけたツボミを固くし、ほっとほころべるその時を、じっと待っているようです。
桜が咲きそうなこの時期になると、私には「桜の音」が聴こえます。正確には聴こえるような気がして、木のそばに寄ると耳の奥がむずむずザワザワするのです。
桜は咲く直前になると、あの茶色いゴツゴツとした木の皮や枝から、「桜色の水」が採れるそうです。冬のあいだ、ひっそりと木の幹に蓄えられてきた「桜の水」は、春の日差しや南風を合図にツボミへと向かい、花となって咲くのです。
そして桜は、花びらや葉を散らしてからも「桜」であり続け、次の春に花咲くその時を、全身に「桜の水」を抱きながら待ちわびるのだそうです。
この時期、私に聴こえる「桜の音」は、木の幹を流れる桜色の水が、花びらに向かう音なのかもしれません。
冬のあいだ、すべてが枯れたように見えた木々や草花、姿を消した虫や生き物たちも、幹の奥で、土の底で、静かに春の準備を重ねていたのですね。南風に小さく目覚めても、寒さに引き戻されながらも、やがて芽吹き、花咲き、春にほころんでゆくのだなと感じます。
一方、私は春の光の元に照らされる準備がまだ出来ていません。毎日着込んだ冬着はクタクタになり、肌はカサカサ、髪もボサボサ。コタツの安らぎともお別れしなければならないのかと、冬の眠りから覚めたくないような気持ちにもなります。
南風が吹くだけでは、なかなか起き上がれない心もあります。
今日はそんな、まだ立ち上がれない私たちへの、春の詩をおくります。
"Spring comes on the World -
I sight the Aprils -
Hueless to me, until thou come
As, till the Bee
Blossoms stand negative,
Touched to Conditions
By a Hum -
世界に春が芽吹いたら
あらゆる4月の姿が目に映る
でも あなたがいないと
私にとっては彩りのない世界
それはまるで
ミツバチがやって来るまでは
立ち尽くすだけの花のように
その羽音に心ときめかせながら"
この心を揺り起こし、コタツの外へ引っ張り出してくれる誰かにとってのミツバチは、ずっと会いたかった友人だったり、新しく始める趣味だったり、枯れた庭に顔を出す新芽だったり。
私には「あの人は元気かな」と思い出すように、春が来るたびに「あの桜は咲いたかな」と心に浮かぶ木があります。それは古いお城の跡地に立つ大きな桜の木で、ある眠れない夜、散歩に出かけた時に出会いました。
その満開の桜は、少し肌寒い、月も星もない夜空の下で、暗闇のなかボウッと浮かび上がって見えました。桜色の炎をつけた、大きなタイマツのように。
誰もいない静かな場所で、いっぱいに広げた枝、その枝の先の先まで、可憐にも力強く花咲く姿。誰が見ていても、見ていなくても、誰のためでもなく、桜は「桜」でした。
毎年、あの古城跡の桜はどんなに豊かな流れを抱いているのだろうかと、耳を澄まし、春を迎える気持ちを高めています。
時に、冷たい風に引き戻されながらも、あなたの新しい季節が立ち上がり、前へと歩みを進めますように。
あの遠くの桜を想うように、あなたにほころぶ春を想い、ここでそっと耳を澄ましています。
あなたのいない夕暮れに。
文:小谷ふみ
朗読:天野さえか
絵:黒坂麻衣
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