「不易の庭らじお」には、3つのシリーズがあります。
シリーズ① 「40年目のホームルーム」40年前に書いた学級通信をもとに、当時の教室を振り返りながら、今の教育や子どもたちについて考えるシリーズ。
シリーズ② 「縁側だより」学校を取り巻く地域の方々や家庭など、学校の周りにいる人々の子どもへの関わりに目を向け、学校と地域、人と人とのつながりについてお話しするシリーズ。
そして今回、新しく始まるシリーズ③が、「不易の種」です。
教員生活の中で出会った出来事や実践、本、言葉などを手がかりに、次の世代へ「恩送り」として残しておきたい教育のよさや、子どもの素晴らしさを、小さな「種」として拾い、お話ししていきます。
第1回のテーマは、「『勉強嫌い』は、本当に勉強が嫌いなのか」
きっかけは、16年間大切に残してきた一枚の新聞記事です。
学校の勉強にはなかなか気持ちが向かなくても、自分の好きなことなら夢中になって調べ、観察し、誰かに伝えたくなる。そんな子どもの姿から、
「先生と子どもが、人と人として出会うこと」「子どもの世界に招待してもらうこと」「教師もまた、子どもによって育ててもらっていること」
という三つのことを考えました。
一見「勉強嫌い」に見える子も、学ぶ力がないのではなく、その子の中にある「学びへの入り口」が、まだ見つかっていないだけなのかもしれない。
今日の一粒は、
「子どもの中にある、学びへの入り口を見つける」
16年前の記事から、今になって芽を出した小さな種です。
これから「不易の種」では、昔の出来事や一冊の本、誰かの言葉などから、時代が変わっても大切にしておきたいものを一粒ずつ拾っていきます。
その種が、いつか、どこかで、誰かの幸せの種になるといいなと思います。
【今回のお話のきっかけとなった記事】静岡新聞 2010年10月10日掲載「子供の感覚見取る目を」浅川陽子先生の教育実践を紹介した記事
【不易の種】のテキストはこちらからどうぞ ⇨ https://fueki-niwa.com/tsurezure-17/