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・織田信長に仕えていた前田利家は信長が気にいる人物を斬り捨てたことで、信長から怒りを買い解雇になってしまう。
・復帰を願う利家は、翌年起こった桶狭間の戦いに陣借り、信長軍として勝手に参戦して3人の首をとって武功を上げた。
・それでも許されず、さらに森部の戦いでも陣借りして武功をあげ、ようやく信長の許しをえることが出来た。
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・初代内閣総理大臣の伊藤博文は、大の女性好きで、「ほうき」と呼ばれるくらい掃いても捨てるほど愛人がたくさんいた。
・西洋の近代文明や技術を学びに英国へ密航した長州ファイブの一人だった博文は、もっぱら風俗街の調査に熱を入れた。
・初めて女体盛りをしたのが博文。広島の店の娘に「紅葉みたいな手、食べたいねー」と言った事から「もみじ饅頭」が誕生。
・女性にお金を使い過ぎて、一文無しとなって家まで失くしてしまって出来たのが首相官邸。
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・織田信長に仕える細川忠興の妻・細川ガラシャは、父である明智光秀が起こした本能寺の変によって、丹後に幽閉された。
・幽閉中の苦しみを救ったのがキリスト教の教えでガラシャは入信することになった。
・関ヶ原の戦いで東軍についた夫のために、ガラシャは西軍の人質にはなるまいと自害し、奮起した忠興ら東軍が勝利した。
・これによって細川忠興は39万9千石の小倉藩初代藩主となれたので、ガラシャの自害によって今の北九州市民がある。
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・インドに布教で来ていたフランシスコ・ザビエルは、そこで日本人のヤジロウに出会い、予定になかった日本へ布教に。
・薩摩ではインドから来た僧侶と紹介され布教の許可をもらったザビエルだったが、山口ではそうは行かなかった。
・山口で大内義隆の男色を全否定したことで、布教を許されるどころか追放されてしまった。
・あきらめなかったザビエルが再び山口を訪れる際にヨーロッパ土産として渡した眼鏡が気に入られて布教を許された。
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・北里柴三郎は病気から人々を守ることは、軍人になるより多くの人々を救えると教わり、東京大学医学部に進学する。
・東大卒業後ドイツに渡った細菌学を研究する北里は、破傷風菌が熱に強いことを知り破傷風菌だけの抜き取りに成功。
・破傷風菌の取り出しに成功するものの、すぐに死んでしまうので悩んでいた北里は、友人の誘いで食事をすることに。
・友人のガールフレンドがドイツ風茶碗蒸しが作る様子を見て、破傷風菌が酸素に弱いのではないかと気づき、培養に成功。
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・仏様は4つのグループにランク付けされていて、修行を終え悟りを得た如来グループ(釈迦、薬師、阿弥陀、大日)がトップ。
・如来の弟子で修行中の菩薩グループ(地蔵、観音、弥勒)の中で、弥勒菩薩は如来になることを確約されている。
・力で悪をねじ伏せ守護を司る明王グループ(不動、愛染、孔雀)の中で、不動明王は実は大日如来の化身である。
・仏教以前の神々で構成される天グループ(帝釈、弁財、毘沙門、大国、韋駄)は、言わば出向組。
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・大奥には、徳川幕府全体予算の2割、今の価値で200億円が使われていた。
・大奥には最盛期、1000人から2000人の女中が居た。その大奥における階級ピラミッドの頂点にいたのが「老女」。
・「老女」は、老中などと連絡を取り合い、交渉や情報共有を行っていて、老中をも動かす裏のボスだった。
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・武市半平太は、土佐藩主への絶対的な忠誠心を示し、自らの無実と武士の誇りを証すために三文字切腹をした。
・備中高松城主清水宗治は、本能寺の変で毛利との和平を急ぐ羽柴秀吉との交渉で、家臣を守るため切腹を受け入れた。
・喘息だった豊臣秀次と食あたりの天皇に同時に呼ばれた医者が秀次を選んだことで、謀反と見られた秀次は無念の切腹。
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・豊臣秀吉は文禄の役で150の戦国大名が名護屋城に集結して朝鮮に出兵するが、一年で撤退。その理由は病気だった。
・医学天正記によれば、秀吉が頼りにし軍全体の5分の1を率いていた毛利輝元はライター症候群で活躍出来なかった。
・蒲生氏郷の死因は、下血、黄疸などの症状から大腸がんから肝臓がんへのステージ4だったと推測される。
・他にも、藤堂高虎は風邪、加藤清正と黒田長政は二日酔い、小早川秀秋はアルコール中毒と戦っていたとの記述が残る。
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・推古天皇と聖徳太子が遣隋使として派遣した小野妹子に持たせた手紙「日出る処の天子、日没する処の天子に致す」。
・この内容に激怒した隋の皇帝煬帝が天皇に宛てた手紙・国書を小野妹子は日本に戻る途中で失くしてしまう大失態!
・ところが推古天皇は、大事な隋からの国書を失くした妹子を咎めるどころか、許して大出世させた。
・これは戦争を避けるために妹子が敢えて国書を捨てたのではないか?と読み取った推古天皇の計らいによるもの。
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