哲学・憲法学の研究者である、イルカさんの研究室から。 「lookism(ルッキズム)」ボクらのコミュニティにおいての。(2回目/全3回)
人間は他者の外見に対して快不快を感じるのだから、人間関係の構築において他者の外見が影響するのは当然かつ正当ではないか。
← 外見はいかなる人間関係に対しても影響があるのか?
「しかし、その評価の仕方は、商業主義によって歪められているのでは? 」
← “GMPD等がかっこいい”という規範を押し付けられてきた覚えはない…
「あると考えている人は、性的関係を結ぶ可能性のある人を「友達」のカテゴリーに入れてる?そもそも、友達の枠組/定義が違う? 」
人間関係の構築の際に、他者のどのような点を重視するかは、人によって異なるし、そうあってもよいのではないか
← 人間関係の構築は他者に対して影響を与えるのだから、不当な不利益を与えてはいけないの では
→ 相手に対して精神的苦痛を(積極的に近い形で)与える
問い: 無視というのは他者に対する敬意を全く欠いている点で不当では
問い: とりわけゲイバーではだれとでも仲良くするべきなのでは
もし仮に外見至上主義に何か悪いところがあるとしても、それは我々の思考様式に分かちがたく組み込まれている以上は、それを克服しようとするのは無益な試みではないか。そもそも低く評価される外見を持っているのが悪いのではないか。
i. 我々の外見の評価の仕方を問いなおす …… 多様な外見の美を評価する方法を考える
ii. 他者に対して不当に不利益を与えないように留意する
単純に、姿かたちの美しさだけで考えるといろいろ問題がある。
・ 商業主義に押し付けれらた細くて白い人よい、みたいな規範の再生産 ← ただしゲイにこれは通用しない。
身体を単なる支持体としてではなく、素材として捉える。
→ 身体の生得性・特殊性を肯定しつつも、美的資源の分配をより公平に
→ 少なくともかなりの部分は身につく(という個人的経験)
・ おしゃれ磨きにコストをかけられない人の存在
・ コストをかけても無意味だと思いこんでいる人の存在
→ おしゃれってもっと簡単で、だれでもできてより良い自分になるための手段だよ! と伝えていきたい。
ほかの人のおしゃれ度を測れるので、多様な美を評価できる