LeoN Radio Sunrise レオンラジオ日の出

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By 楠元純一郎&レオーEducationLanguage Learning
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LeoN Radio Sunrise レオンラジオ日の出 episodes

  • 15 游戏迷和游戏冷淡 青空文库 夏目漱石 こころ 上 27+28 @ LeoN Radio 我らの文学
    オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
    エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
    作詞作曲 楠元純一郎
    編曲 山之内馨
    二十七
    私(わたくし)
    はすぐその帽子を取り上げた。所々(ところどころ)
    に着いている赤土を爪(つめ)で弾(はじ)きながら先生を呼んだ。
    「先生帽子が落ちました」
    「ありがとう」
    身体(からだ)を半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、変な事を私に聞いた。
    「突然だが、君の家(うち)には財産がよっぽどあるんですか」
    「あるというほどありゃしません」
    「まあどのくらいあるのかね。失礼のようだが」
    「どのくらいって、山と田地(でんぢ)が少しあるぎりで、金なんかまるでないんでしょう」
    先生が私の家(いえ)の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑(うたぐ)った。その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えていた。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
    「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」
    「私は財産家と見えますか」
    先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内(かない)は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広くはなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは贅沢(ぜいたく)といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
    「そうでしょう」と私がいった。
    「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家(うち)でも造るさ」
    この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖(つえ)の先で地面の上へ円のようなものを描(か)き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直(まっすぐ)に立てた。
    「これでも元は財産家なんだがなあ」
    先生の言葉は半分独(ひと)り言(ごと)のようであった。それですぐ後(あと)に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
    「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むしろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
    「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」
    私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替(かわせ)と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟(しゅせき)であったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少しも筆の運(はこ)びを乱していなかった。
    「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」
    「好(よ)ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」
    「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」
    「そうですか」
    私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない私は無論そこに気が付くはずがなかった。
    二十八
    「君のうちに財産があるなら、今のうちによく始末をつけてもらっておかないといけないと思うがね、余計なお世話だけれども。君のお父さんが達者なうちに、貰(もら)うものはちゃんと貰っておくようにしたらどうですか。万一の事があったあとで、一番面倒の起るのは財産の問題だから」
    「ええ」
    私(わたくし)は先生の言葉に大した注意を払わなかった。私の家庭でそんな心配をしているものは、私に限らず、父にしろ母にしろ、一人もないと私は信じていた。その上先生のいう事の、先生として、あまりに実際的なのに私は少し驚かされた。しかしそこは年長者に対する平生の敬意が私を無口にした。
    「あなたのお父さんが亡くなられるのを、今から予想してかかるような言葉遣(ことばづか)いをするのが気に触(さわ)ったら許してくれたまえ。しかし人間は死ぬものだからね。どんなに達者なものでも、いつ死ぬか分らないものだからね」
    先生の口気(こうき)は珍しく苦々しかった。
    「そんな事をちっとも気に掛けちゃいません」と私は弁解した。
    「君の兄弟(きょうだい)は何人でしたかね」と先生が聞いた。
    先生はその上に私の家族の人数(にんず)を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父(おじ)や叔母(おば)の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。
    「みんな善(い)い人ですか」
    「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者(いなかもの)ですから」
    「田舎者はなぜ悪くないんですか」
    私はこの追窮(ついきゅう)に苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。
    「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚(しんせき)なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
    先生のいう事は、ここで切れる様子もなかった。私はまたここで何かいおうとした。すると後(うし)ろの方で犬が急に吠(ほ)え出した。先生も私も驚いて後ろを振り返った。
    縁台の横から後部へ掛けて植え付けてある杉苗の傍(そば)に、熊笹(くまざさ)が三坪(みつぼ)ほど地を隠すように茂って生えていた。犬はその顔と背を熊笹の上に現わして、盛んに吠え立てた。そこへ十(とお)ぐらいの小供(こども)が馳(か)けて来て犬を叱(しか)り付けた。小供は徽章(きしょう)の着いた黒い帽子を被(かぶ)ったまま先生の前へ廻(まわ)って礼をした。
    「叔父さん、はいって来る時、家(うち)に誰(だれ)もいなかったかい」と聞いた。
    「誰もいなかったよ」
    「姉さんやおっかさんが勝手の方にいたのに」
    「そうか、いたのかい」
    「ああ。叔父さん、今日(こんち)はって、断ってはいって来ると好(よ)かったのに」
    先生は苦笑した。懐中(ふところ)から蟇口(がまぐち)を出して、五銭の白銅(はくどう)を小供の手に握らせた。
    「おっかさんにそういっとくれ。少しここで休まして下さいって」
    小供は怜悧(りこう)そうな眼に笑(わら)いを漲(みなぎ)らして、首肯(うなず)いて見せた。
    「今斥候長(せっこうちょう)になってるところなんだよ」
    小供はこう断って、躑躅(つつじ)の間を下の方へ駈け下りて行った。犬も尻尾(しっぽ)を高く巻いて小供の後を追い掛けた。しばらくすると同じくらいの年格好の小供が二、三人、これも斥候長の下りて行った方へ駈けていった。
    55 min
  • 14 酸奶不能一次喝太多 青空文库 夏目漱石 こころ 上 25+26 @ LeoN Radio 我らの文学
    オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
    エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
    作詞作曲 楠元純一郎
    編曲 山之内馨
    二十五
    その年の六月に卒業するはずの私(わたくし)は、ぜひともこの論文を成規通(せいきどお)り四月いっぱいに書き上げてしまわなければならなかった。二、三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、私は少し自分の度胸を疑(うたぐ)った。他(ほか)のものはよほど前から材料を蒐(あつ)めたり、ノートを溜(た)めたりして、余所目(よそめ)にも忙(いそが)しそうに見えるのに、私だけはまだ何にも手を着けずにいた。私にはただ年が改まったら大いにやろうという決心だけがあった。私はその決心でやり出した。そうして忽(たちま)ち動けなくなった。今まで大きな問題を空(くう)に描(えが)いて、骨組みだけはほぼでき上っているくらいに考えていた私は、頭を抑(おさ)えて悩み始めた。私はそれから論文の問題を小さくした。そうして練り上げた思想を系統的に纏(まと)める手数を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに相当な結論をちょっと付け加える事にした。
    私の選択した問題は先生の専門と縁故の近いものであった。私がかつてその選択について先生の意見を尋ねた時、先生は好(い)いでしょうといった。狼狽(ろうばい)した気味の私は、早速(さっそく)先生の所へ出掛けて、私の読まなければならない参考書を聞いた。先生は自分の知っている限りの知識を、快く私に与えてくれた上に、必要の書物を、二、三冊貸そうといった。しかし先生はこの点について毫(ごう)も私を指導する任に当ろうとしなかった。
    「近頃(ちかごろ)はあんまり書物を読まないから、新しい事は知りませんよ。学校の先生に聞いた方が好いでしょう」
    先生は一時非常の読書家であったが、その後(ご)どういう訳か、前ほどこの方面に興味が働かなくなったようだと、かつて奥さんから聞いた事があるのを、私はその時ふと思い出した。私は論文をよそにして、そぞろに口を開いた。
    「先生はなぜ元のように書物に興味をもち得ないんですか」
    「なぜという訳もありませんが。……つまりいくら本を読んでもそれほどえらくならないと思うせいでしょう。それから……」
    「それから、まだあるんですか」
    「まだあるというほどの理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥のようにきまりが悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥でないように見え出したものだから、つい無理にも本を読んでみようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い込んだのです」
    先生の言葉はむしろ平静であった。世間に背中を向けた人の苦味(くみ)を帯びていなかっただけに、私にはそれほどの手応(てごた)えもなかった。私は先生を老い込んだとも思わない代りに、偉いとも感心せずに帰った。
    それからの私はほとんど論文に祟(たた)られた精神病者のように眼を赤くして苦しんだ。私は一年前(ぜん)に卒業した友達について、色々様子を聞いてみたりした。そのうちの一人(いちにん)は締切(しめきり)の日に車で事務所へ馳(か)けつけて漸(ようや)く間に合わせたといった。他の一人は五時を十五分ほど後(おく)らして持って行ったため、危(あやう)く跳(は)ね付けられようとしたところを、主任教授の好意でやっと受理してもらったといった。私は不安を感ずると共に度胸を据(す)えた。毎日机の前で精根のつづく限り働いた。でなければ、薄暗い書庫にはいって、高い本棚のあちらこちらを見廻(みまわ)した。私の眼は好事家(こうずか)が骨董(こっとう)でも掘り出す時のように背表紙の金文字をあさった。
    梅が咲くにつけて寒い風は段々向(むき)を南へ更(か)えて行った。それが一仕切(ひとしきり)経(た)つと、桜の噂(うわさ)がちらほら私の耳に聞こえ出した。それでも私は馬車馬のように正面ばかり見て、論文に鞭(むち)うたれた。私はついに四月の下旬が来て、やっと予定通りのものを書き上げるまで、先生の敷居を跨(また)がなかった。
    二十六
    私(わたくし)の自由になったのは、八重桜(やえざくら)の散った枝にいつしか青い葉が霞(かす)むように伸び始める初夏の季節であった。私は籠(かご)を抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目(ひとめ)に見渡しながら、自由に羽搏(はばた)きをした。私はすぐ先生の家(うち)へ行った。枳殻(からたち)の垣が黒ずんだ枝の上に、萌(もえ)るような芽を吹いていたり、柘榴(ざくろ)の枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔らかそうに日光を映していたりするのが、道々私の眼を引き付けた。私は生れて初めてそんなものを見るような珍しさを覚えた。
    先生は嬉(うれ)しそうな私の顔を見て、「もう論文は片付いたんですか、結構ですね」といった。私は「お蔭(かげ)でようやく済みました。もう何にもする事はありません」といった。
    実際その時の私は、自分のなすべきすべての仕事がすでに結了(けつりょう)して、これから先は威張って遊んでいても構わないような晴やかな心持でいた。私は書き上げた自分の論文に対して充分の自信と満足をもっていた。私は先生の前で、しきりにその内容を喋々(ちょうちょう)した。先生はいつもの調子で、「なるほど」とか、「そうですか」とかいってくれたが、それ以上の批評は少しも加えなかった。私は物足りないというよりも、聊(いささ)か拍子抜けの気味であった。それでもその日私の気力は、因循(いんじゅん)らしく見える先生の態度に逆襲を試みるほどに生々(いきいき)していた。私は青く蘇生(よみがえ)ろうとする大きな自然の中に、先生を誘い出そうとした。
    「先生どこかへ散歩しましょう。外へ出ると大変好(い)い心持です」
    「どこへ」
    私はどこでも構わなかった。ただ先生を伴(つ)れて郊外へ出たかった。
    一時間の後(のち)、先生と私は目的どおり市を離れて、村とも町とも区別の付かない静かな所を宛(あて)もなく歩いた。私はかなめの垣から若い柔らかい葉を挘(も)ぎ取って芝笛(しばぶえ)を鳴らした。ある鹿児島人(かごしまじん)を友達にもって、その人の真似(まね)をしつつ自然に習い覚えた私は、この芝笛というものを鳴らす事が上手であった。私が得意にそれを吹きつづけると、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いた。
    やがて若葉に鎖(と)ざされたように蓊欝(こんもり)した小高い一構(ひとかま)えの下に細い路(みち)が開(ひら)けた。門の柱に打ち付けた標札に何々園とあるので、その個人の邸宅でない事がすぐ知れた。先生はだらだら上(のぼ)りになっている入口を眺(なが)めて、「はいってみようか」といった。私はすぐ「植木屋ですね」と答えた。
    植込(うえこみ)の中を一(ひと)うねりして奥へ上(のぼ)ると左側に家(うち)があった。明け放った障子(しょうじ)の内はがらんとして人の影も見えなかった。ただ軒先(のきさき)に据えた大きな鉢の中に飼ってある金魚が動いていた。
    「静かだね。断わらずにはいっても構わないだろうか」
    「構わないでしょう」
    二人はまた奥の方へ進んだ。しかしそこにも人影は見えなかった。躑躅(つつじ)が燃えるように咲き乱れていた。先生はそのうちで樺色(かばいろ)の丈(たけ)の高いのを指して、「これは霧島(きりしま)でしょう」といった。
    芍薬(しゃくやく)も十坪(とつぼ)あまり一面に植え付けられていたが、まだ季節が来ないので花を着けているのは一本もなかった。この芍薬畠(ばたけ)の傍(そば)にある古びた縁台のようなものの上に先生は大の字なりに寝た。私はその余った端(はじ)の方に腰をおろして烟草(タバコ)を吹かした。先生は蒼(あお)い透(す)き徹(とお)るような空を見ていた。私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺(なが)めると、一々違っていた。同じ楓(かえで)の樹(き)でも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。細い杉苗の頂(いただき)に投げ被(かぶ)せてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。
    1 hr 11 min
  • 13 有没有更好的办法呢 青空文库 夏目漱石 こころ 上 23+24 @ LeoN Radio 我らの文学
    オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
    エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
    作詞作曲 楠元純一郎
    編曲 山之内馨
    二十三
    私(わたくし)は退屈な父の相手としてよく将碁盤(しょうぎばん)に向かった。二人とも無精な性質(たち)なので、炬燵(こたつ)にあたったまま、盤を櫓(やぐら)の上へ載(の)せて、駒(こま)を動かすたびに、わざわざ手を掛蒲団(かけぶとん)の下から出すような事をした。時々持駒(もちごま)を失(な)くして、次の勝負の来るまで双方とも知らずにいたりした。それを母が灰の中から見付(みつ)け出して、火箸(ひばし)で挟(はさ)み上げるという滑稽(こっけい)もあった。
    「碁(ご)だと盤が高過ぎる上に、足が着いているから、炬燵の上では打てないが、そこへ来ると将碁盤は好(い)いね、こうして楽に差せるから。無精者には持って来いだ。もう一番やろう」
    父は勝った時は必ずもう一番やろうといった。そのくせ負けた時にも、もう一番やろうといった。要するに、勝っても負けても、炬燵にあたって、将碁を差したがる男であった。始めのうちは珍しいので、この隠居(いんきょ)じみた娯楽が私にも相当の興味を与えたが、少し時日が経(た)つに伴(つ)れて、若い私の気力はそのくらいな刺戟(しげき)で満足できなくなった。私は金(きん)や香車(きょうしゃ)を握った拳(こぶし)を頭の上へ伸ばして、時々思い切ったあくびをした。
    私は東京の事を考えた。そうして漲(みなぎ)る心臓の血潮の奥に、活動活動と打ちつづける鼓動(こどう)を聞いた。不思議にもその鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められているように感じた。
    私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。両方とも世間から見れば、生きているか死んでいるか分らないほど大人(おとな)しい男であった。他(ひと)に認められるという点からいえばどっちも零(れい)であった。それでいて、この将碁を差したがる父は、単なる娯楽の相手としても私には物足りなかった。かつて遊興のために往来(ゆきき)をした覚(おぼ)えのない先生は、歓楽の交際から出る親しみ以上に、いつか私の頭に影響を与えていた。ただ頭というのはあまりに冷(ひや)やか過ぎるから、私は胸といい直したい。肉のなかに先生の力が喰(く)い込んでいるといっても、血のなかに先生の命が流れているといっても、その時の私には少しも誇張でないように思われた。私は父が私の本当の父であり、先生はまたいうまでもなく、あかの他人であるという明白な事実を、ことさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのごとくに驚いた。
    私がのつそつし出すと前後して、父や母の眼にも今まで珍しかった私が段々陳腐(ちんぷ)になって来た。これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持だろうと思うが、当座の一週間ぐらいは下にも置かないように、ちやほや歓待(もてな)されるのに、その峠を定規通(ていきどお)り通り越すと、あとはそろそろ家族の熱が冷めて来て、しまいには有っても無くっても構わないもののように粗末に取り扱われがちになるものである。私も滞在中にその峠を通り越した。その上私は国へ帰るたびに、父にも母にも解(わか)らない変なところを東京から持って帰った。昔でいうと、儒者(じゅしゃ)の家へ切支丹(キリシタン)の臭(にお)いを持ち込むように、私の持って帰るものは父とも母とも調和しなかった。無論私はそれを隠していた。けれども元々身に着いているものだから、出すまいと思っても、いつかそれが父や母の眼に留(と)まった。私はつい面白くなくなった。早く東京へ帰りたくなった。
    父の病気は幸い現状維持のままで、少しも悪い方へ進む模様は見えなかった。念のためにわざわざ遠くから相当の医者を招いたりして、慎重に診察してもらってもやはり私の知っている以外に異状は認められなかった。私は冬休みの尽きる少し前に国を立つ事にした。立つといい出すと、人情は妙なもので、父も母も反対した。
    「もう帰るのかい、まだ早いじゃないか」と母がいった。
    「まだ四、五日いても間に合うんだろう」と父がいった。
    私は自分の極(き)めた出立(しゅったつ)の日を動かさなかった。
    二十四
    東京へ帰ってみると、松飾(まつかざり)はいつか取り払われていた。町は寒い風の吹くに任せて、どこを見てもこれというほどの正月めいた景気はなかった。
    私(わたくし)は早速(さっそく)先生のうちへ金を返しに行った。例の椎茸(しいたけ)もついでに持って行った。ただ出すのは少し変だから、母がこれを差し上げてくれといいましたとわざわざ断って奥さんの前へ置いた。椎茸は新しい菓子折に入れてあった。鄭寧(ていねい)に礼を述べた奥さんは、次の間(ま)へ立つ時、その折を持って見て、軽いのに驚かされたのか、「こりゃ何の御菓子(おかし)」と聞いた。奥さんは懇意になると、こんなところに極(きわ)めて淡泊(たんぱく)な小供(こども)らしい心を見せた。
    二人とも父の病気について、色々掛念(けねん)の問いを繰り返してくれた中に、先生はこんな事をいった。
    「なるほど容体(ようだい)を聞くと、今が今どうという事もないようですが、病気が病気だからよほど気をつけないといけません」
    先生は腎臓(じんぞう)の病(やまい)について私の知らない事を多く知っていた。
    「自分で病気に罹(かか)っていながら、気が付かないで平気でいるのがあの病の特色です。私の知ったある士官(しかん)は、とうとうそれでやられたが、全く嘘(うそ)のような死に方をしたんですよ。何しろ傍(そば)に寝ていた細君(さいくん)が看病をする暇もなんにもないくらいなんですからね。夜中にちょっと苦しいといって、細君を起したぎり、翌(あく)る朝はもう死んでいたんです。しかも細君は夫が寝ているとばかり思ってたんだっていうんだから」
    今まで楽天的に傾いていた私は急に不安になった。
    「私の父(おやじ)もそんなになるでしょうか。ならんともいえないですね」
    「医者は何というのです」
    「医者は到底(とても)治らないというんです。けれども当分のところ心配はあるまいともいうんです」
    「それじゃ好(い)いでしょう。医者がそういうなら。私の今話したのは気が付かずにいた人の事で、しかもそれがずいぶん乱暴な軍人なんだから」
    私はやや安心した。私の変化を凝(じっ)と見ていた先生は、それからこう付け足した。
    「しかし人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆(もろ)いものですね。いつどんな事でどんな死にようをしないとも限らないから」
    「先生もそんな事を考えてお出(いで)ですか」
    「いくら丈夫の私でも、満更(まんざら)考えない事もありません」
    先生の口元には微笑の影が見えた。
    「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間(ま)に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
    「不自然な暴力って何ですか」
    「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
    「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」
    「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
    その日はそれで帰った。帰ってからも父の病気はそれほど苦にならなかった。先生のいった自然に死ぬとか、不自然の暴力で死ぬとかいう言葉も、その場限りの浅い印象を与えただけで、後(あと)は何らのこだわりを私の頭に残さなかった。私は今まで幾度(いくたび)か手を着けようとしては手を引っ込めた卒業論文を、いよいよ本式に書き始めなければならないと思い出した。
    1 hr 3 min
  • 12 你也买不到口罩了? 青空文库 夏目漱石 こころ 上 21+22 @ LeoN Radio 我らの文学
    オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
    エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
    作詞作曲 楠元純一郎
    編曲 山之内馨
    二十一
    冬が来た時、私(わたくし)は偶然国へ帰らなければならない事になった。私の母から受け取った手紙の中に、父の病気の経過が面白くない様子を書いて、今が今という心配もあるまいが、年が年だから、できるなら都合して帰って来てくれと頼むように付け足してあった。
    父はかねてから腎臓(じんぞう)を病んでいた。中年以後の人にしばしば見る通り、父のこの病(やまい)は慢性であった。その代り要心さえしていれば急変のないものと当人も家族のものも信じて疑わなかった。現に父は養生のお蔭(かげ)一つで、今日(こんにち)までどうかこうか凌(しの)いで来たように客が来ると吹聴(ふいちょう)していた。その父が、母の書信によると、庭へ出て何かしている機(はずみ)に突然眩暈(めまい)がして引ッ繰り返った。家内(かない)のものは軽症の脳溢血(のういっけつ)と思い違えて、すぐその手当をした。後(あと)で医者からどうもそうではないらしい、やはり持病の結果だろうという判断を得て、始めて卒倒と腎臓病とを結び付けて考えるようになったのである。
    冬休みが来るにはまだ少し間(ま)があった。私は学期の終りまで待っていても差支(さしつか)えあるまいと思って一日二日そのままにしておいた。するとその一日二日の間に、父の寝ている様子だの、母の心配している顔だのが時々眼に浮かんだ。そのたびに一種の心苦しさを嘗(な)めた私は、とうとう帰る決心をした。国から旅費を送らせる手数(てかず)と時間を省くため、私は暇乞(いとまご)いかたがた先生の所へ行って、要(い)るだけの金を一時立て替えてもらう事にした。
    先生は少し風邪(かぜ)の気味で、座敷へ出るのが臆劫(おっくう)だといって、私をその書斎に通した。書斎の硝子戸(ガラスど)から冬に入(い)って稀(まれ)に見るような懐かしい和(やわ)らかな日光が机掛(つくえか)けの上に射(さ)していた。先生はこの日あたりの好(い)い室(へや)の中へ大きな火鉢を置いて、五徳(ごとく)の上に懸けた金盥(かなだらい)から立ち上(あが)る湯気(ゆげ)で、呼吸(いき)の苦しくなるのを防いでいた。
    「大病は好(い)いが、ちょっとした風邪(かぜ)などはかえって厭(いや)なものですね」といった先生は、苦笑しながら私の顔を見た。
    先生は病気という病気をした事のない人であった。先生の言葉を聞いた私は笑いたくなった。
    「私は風邪ぐらいなら我慢しますが、それ以上の病気は真平(まっぴら)です。先生だって同じ事でしょう。試みにやってご覧になるとよく
    解(わか)ります」
    「そうかね。私は病気になるくらいなら、死病に罹(かか)りたいと思ってる」
    私は先生のいう事に格別注意を払わなかった。すぐ母の手紙の話をして、金の無心を申し出た。
    「そりゃ困るでしょう。そのくらいなら今手元にあるはずだから持って行きたまえ」
    先生は奥さんを呼んで、必要の金額を私の前に並べさせてくれた。それを奥の茶箪笥(ちゃだんす)か何かの抽出(ひきだし)から出して来た奥さんは、白い半紙の上へ鄭寧(ていねい)に重ねて、「そりゃご心配ですね」といった。
    「何遍(なんべん)も卒倒したんですか」と先生が聞いた。
    「手紙には何とも書いてありませんが。――そんなに何度も引ッ繰り返るものですか」
    「ええ」
    先生の奥さんの母親という人も私の父と同じ病気で亡くなったのだという事が始めて私に解った。
    「どうせむずかしいんでしょう」と私がいった。
    「そうさね。私が代られれば代ってあげても好(い)いが。――嘔気(はきけ)はあるんですか」
    「どうですか、何とも書いてないから、大方(おおかた)ないんでしょう」
    「吐気さえ来なければまだ大丈夫ですよ」と奥さんがいった。
    私はその晩の汽車で東京を立った。
    二十二
    父の病気は思ったほど悪くはなかった。それでも着いた時は、床(とこ)の上に胡坐(あぐら)をかいて、「みんなが心配するから、まあ我慢してこう凝(じっ)としている。なにもう起きても好(い)いのさ」といった。しかしその翌日(よくじつ)からは母が止めるのも聞かずに、とうとう床を上げさせてしまった。母は不承無性(ふしょうぶしょう)に太織(ふとお)りの蒲団(ふとん)を畳みながら「お父さんはお前が帰って来たので、急に気が強くおなりなんだよ」といった。
    私(わたくし)には父の挙動がさして虚勢を張っているようにも思えなかった。
    私の兄はある職を帯びて遠い九州にいた。これは万一の事がある場合でなければ、容易に父母(ちちはは)の顔を見る自由の利(き)かない男であった。妹は他国へ嫁(とつ)いだ。これも急場の間に合うように、おいそれと呼び寄せられる女ではなかった。兄妹(きょうだい)三人のうちで、一番便利なのはやはり書生をしている私だけであった。その私が母のいい付け通り学校の課業を放(ほう)り出して、休み前に帰って来たという事が、父には大きな満足であった。
    「これしきの病気に学校を休ませては気の毒だ。お母さんがあまり仰山(ぎょうさん)な手紙を書くものだからいけない」
    父は口ではこういった。こういったばかりでなく、今まで敷いていた床(とこ)を上げさせて、いつものような元気を示した。
    「あんまり軽はずみをしてまた逆回(ぶりかえ)すといけませんよ」
    私のこの注意を父は愉快そうにしかし極(きわ)めて軽く受けた。
    「なに大丈夫、これでいつものように要心(ようじん)さえしていれば」
    実際父は大丈夫らしかった。家の中を自由に往来して、息も切れなければ、眩暈(めまい)も感じなかった。ただ顔色だけは普通の人よりも大変悪かったが、これはまた今始まった症状でもないので、私たちは格別それを気に留めなかった。
    私は先生に手紙を書いて恩借(おんしゃく)の礼を述べた。正月上京する時に持参するからそれまで待ってくれるようにと断わった。そうして父の病状の思ったほど険悪でない事、この分なら当分安心な事、眩暈も嘔気(はきけ)も皆無な事などを書き連ねた。最後に先生の風邪(ふうじゃ)についても一言(いちごん)の見舞を附(つ)け加えた。私は先生の風邪を実際軽く見ていたので。
    私はその手紙を出す時に決して先生の返事を予期していなかった。出した後で父や母と先生の噂(うわさ)などをしながら、遥(はる)かに先生の書斎を想像した。
    「こんど東京へ行くときには椎茸(しいたけ)でも持って行ってお上げ」
    「ええ、しかし先生が干した椎茸なぞを食うかしら」
    「旨(うま)くはないが、別に嫌(きら)いな人もないだろう」
    私には椎茸と先生を結び付けて考えるのが変であった。
    先生の返事が来た時、私はちょっと驚かされた。ことにその内容が特別の用件を含んでいなかった時、驚かされた。先生はただ親切ずくで、返事を書いてくれたんだと私は思った。そう思うと、その簡単な一本の手紙が私には大層な喜びになった。もっともこれは私が先生から受け取った第一の手紙には相違なかったが。
    第一というと私と先生の間に書信の往復がたびたびあったように思われるが、事実は決してそうでない事をちょっと断わっておきたい。私は先生の生前にたった二通の手紙しか貰(もら)っていない。その一通は今いうこの簡単な返書で、あとの一通は先生の死ぬ前とくに私宛(あて)で書いた大変長いものである。
    父は病気の性質として、運動を慎まなければならないので、床を上げてからも、ほとんど戸外(そと)へは出なかった。一度天気のごく穏やかな日の午後庭へ下りた事があるが、その時は万一を気遣(きづか)って、私が引き添うように傍(そば)に付いていた。私が心配して自分の肩へ手を掛けさせようとしても、父は笑って応じなかった。
    1 hr 5 min
  • 11 东日本大地震9周年 青空文库 夏目漱石 こころ 上 19+20 @ LeoN Radio 我らの文学
    オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
    エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
    作詞作曲 楠元純一郎
    編曲 山之内馨
    十九
    始め私(わたくし)は理解のある女性(にょしょう)として奥さんに対していた。私がその気で話しているうちに、奥さんの様子が次第に変って来た。奥さんは私の頭脳に訴える代りに、私の心臓(ハート)を動かし始めた。自分と夫の間には何の蟠(わだか)まりもない、またないはずであるのに、やはり何かある。それだのに眼を開(あ)けて見極(みきわ)めようとすると、やはり何(なん)にもない。奥さんの苦にする要点はここにあった。
    奥さんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的(えんせいてき)だから、その結果として自分も嫌われているのだと断言した。そう断言しておきながら、ちっともそこに落ち付いていられなかった。底を割ると、かえってその逆を考えていた。先生は自分を嫌う結果、とうとう世の中まで厭(いや)になったのだろうと推測していた。けれどもどう骨を折っても、その推測を突き留めて事実とする事ができなかった。先生の態度はどこまでも良人(おっと)らしかった。親切で優しかった。疑いの塊(かたま)りをその日その日の情合(じょうあい)で包んで、そっと胸の奥にしまっておいた奥さんは、その晩その包みの中を私の前で開けて見せた。
    「あなたどう思って?」と聞いた。「私からああなったのか、それともあなたのいう人世観(じんせいかん)とか何とかいうものから、ああなったのか。隠さずいって頂戴(ちょうだい)」
    私は何も隠す気はなかった。けれども私の知らないあるものがそこに存在しているとすれば、私の答えが何であろうと、それが奥さんを満足させるはずがなかった。そうして私はそこに私の知らないあるものがあると信じていた。
    「私には解(わか)りません」
    奥さんは予期の外(はず)れた時に見る憐(あわ)れな表情をその咄嗟(とっさ)に現わした。私はすぐ私の言葉を継ぎ足した。
    「しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらない事だけは保証します。私は先生自身の口から聞いた通りを奥さんに伝えるだけです。先生は嘘(うそ)を吐(つ)かない方(かた)でしょう」
    奥さんは何とも答えなかった。しばらくしてからこういった。
    「実は私すこし思いあたる事があるんですけれども……」
    「先生がああいう風(ふう)になった源因(げんいん)についてですか」
    「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれるんですが、……」
    「どんな事ですか」
    奥さんはいい渋って膝(ひざ)の上に置いた自分の手を眺めていた。
    「あなた判断して下すって。いうから」
    「私にできる判断ならやります」
    「みんなはいえないのよ。みんないうと叱(しか)られるから。叱られないところだけよ」
    私は緊張して唾液(つばき)を呑(の)み込んだ。
    「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好(い)いお友達が一人あったのよ。その方(かた)がちょうど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」
    奥さんは私の耳に私語(ささや)くような小さな声で、「実は変死したんです」といった。それは「どうして」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。
    「それっ切りしかいえないのよ。けれどもその事があってから後(のち)なんです。先生の性質が段々変って来たのは。なぜその方が死んだのか、私には解らないの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれどもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」
    「その人の墓ですか、雑司ヶ谷(ぞうしがや)にあるのは」
    「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪(たま)らないんです。だからそこを一つあなたに判断して頂きたいと思うの」
    私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。
    二十
    私(わたくし)
    は私のつらまえた事実の許す限り、奥さんを慰めようとした。奥さんもまたできるだけ私によって慰められたそうに見えた。それで二人は同じ問題をいつまでも話し合った。けれども私はもともと事の大根(おおね)を攫(つか)んでいなかった。奥さんの不安も実はそこに漂(ただよ)う薄い雲に似た疑惑から出て来ていた。事件の真相になると、奥さん自身にも多くは知れていなかった。知れているところでも悉皆(すっかり)は私に話す事ができなかった。したがって慰める私も、慰められる奥さんも、共に波に浮いて、ゆらゆらしていた。ゆらゆらしながら、奥さんはどこまでも手を出して、覚束(おぼつか)ない私の判断に縋(すが)り付こうとした。
    十時頃(ごろ)になって先生の靴の音が玄関に聞こえた時、奥さんは急に今までのすべてを忘れたように、前に坐(すわ)っている私をそっちのけにして立ち上がった。そうして格子(こうし)を開ける先生をほとんど出合(であ)い頭(がしら)に迎えた。私は取り残されながら、後(あと)から奥さんに尾(つ)いて行った。下女(げじょ)だけは仮寝(うたたね)でもしていたとみえて、ついに出て来なかった。
    先生はむしろ機嫌がよかった。しかし奥さんの調子はさらによかった。今しがた奥さんの美しい眼のうちに溜(たま)った涙の光と、それから黒い眉毛(まゆげ)の根に寄せられた八の字を記憶していた私は、その変化を異常なものとして注意深く眺(なが)めた。もしそれが詐(いつわ)りでなかったならば、(実際それは詐りとは思えなかったが)、今までの奥さんの訴えは感傷(センチメント)を玩(もてあそ)ぶためにとくに私を相手に拵(こしら)えた、徒(いたず)らな女性の遊戯と取れない事もなかった。もっともその時の私には奥さんをそれほど批評的に見る気は起らなかった。私は奥さんの態度の急に輝いて来たのを見て、むしろ安心した。これならばそう心配する必要もなかったんだと考え直した。
    先生は笑いながら「どうもご苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」と私に聞いた。それから「来ないんで張合(はりあい)
    が抜けやしませんか」といった。
    帰る時、奥さんは「どうもお気の毒さま」と会釈した。その調子は忙しいところを暇を潰(つぶ)させて気の毒だというよりも、せっかく来たのに泥棒がはいらなくって気の毒だという冗談のように聞こえた。奥さんはそういいながら、先刻(さっき)出した西洋菓子の残りを、紙に包んで私の手に持たせた。私はそれを袂(たもと)へ入れて、人通りの少ない夜寒(よさむ)の小路(こうじ)を曲折して賑(にぎ)やかな町の方へ急いだ。
    私はその晩の事を記憶のうちから抽(ひ)き抜いてここへ詳(くわ)
    しく書いた。これは書くだけの必要があるから書いたのだが、実をいうと、奥さんに菓子を貰(もら)って帰るときの気分では、それほど当夜の会話を重く見ていなかった。私はその翌日(よくじつ)午飯(ひるめし)を食いに学校から帰ってきて、昨夜(ゆうべ)机の上に載(の)せて置いた菓子の包みを見ると、すぐその中からチョコレートを塗った鳶色(とびいろ)のカステラを出して頬張(ほおば)った。そうしてそれを食う時に、必竟(ひっきょう)この菓子を私にくれた二人の男女(なんにょ)は、幸福な一対(いっつい)として世の中に存在しているのだと自覚しつつ味わった。
    秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。私は先生の宅(うち)へ出(で)はいりをするついでに、衣服の洗(あら)い張(は)りや仕立(した)て方(かた)などを奥さんに頼んだ。それまで繻絆(じゅばん)というものを着た事のない私が、シャツの上に黒い襟のかかったものを重ねるようになったのはこの時からであった。子供のない奥さんは、そういう世話を焼くのがかえって退屈凌(たいくつしの)ぎになって、結句(けっく)身体(からだ)の薬だぐらいの事をいっていた。
    「こりゃ手織(てお)りね。こんな地(じ)の好(い)い着物は今まで縫った事がないわ。その代り縫い悪(にく)いのよそりゃあ。まるで針が立たないんですもの。お蔭(かげ)で針を二本折りましたわ」
    こんな苦情をいう時ですら、奥さんは別に面倒(めんどう)くさいという顔をしなかった。
    1 hr 18 min
  • 10 39verymuch 青空文库 夏目漱石 こころ 上 17+18 @ LeoN Radio 我らの文学
    オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
    エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
    作詞作曲 楠元純一郎
    編曲 山之内馨
    十七
    私(わたくし)はまだその後(あと)にいうべき事をもっていた。けれども奥さんから徒(いたず)らに議論を仕掛ける男のように取られては困ると思って遠慮した。奥さんは飲み干した紅茶茶碗(こうちゃぢゃわん)の底を覗(のぞ)いて黙っている私を外(そ)らさないように、「もう一杯上げましょうか」と聞いた。私はすぐ茶碗を奥さんの手に渡した。
    「いくつ? 一つ? 二ッつ?」
    妙なもので角砂糖をつまみ上げた奥さんは、私の顔を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の数(かず)を聞いた。奥さんの態度は私に媚(こ)びるというほどではなかったけれども、先刻(さっき)の強い言葉を力(つと)めて打ち消そうとする愛嬌(あいきょう)に充(み)ちていた。
    私は黙って茶を飲んだ。飲んでしまっても黙っていた。
    「あなた大変黙り込んじまったのね」と奥さんがいった。
    「何かいうとまた議論を仕掛けるなんて、叱(しか)り付けられそうですから」と私は答えた。
    「まさか」と奥さんが再びいった。
    二人はそれを緒口(いとくち)にまた話を始めた。そうしてまた二人に共通な興味のある先生を問題にした。
    「奥さん、先刻(さっき)の続きをもう少しいわせて下さいませんか。奥さんには空(から)な理屈と聞こえるかも知れませんが、私はそんな上(うわ)の空(そら)でいってる事じゃないんだから」
    「じゃおっしゃい」
    「今奥さんが急にいなくなったとしたら、先生は現在の通りで生きていられるでしょうか」
    「そりゃ分らないわ、あなた。そんな事、先生に聞いて見るより外(ほか)に仕方がないじゃありませんか。私の所へ持って来る問題じゃないわ」
    「奥さん、私は真面目(まじめ)ですよ。だから逃げちゃいけません。正直に答えなくっちゃ」
    「正直よ。正直にいって私には分らないのよ」
    「じゃ奥さんは先生をどのくらい愛していらっしゃるんですか。これは先生に聞くよりむしろ奥さんに伺っていい質問ですから、あなたに伺います」
    「何もそんな事を開き直って聞かなくっても好(い)いじゃありませんか」
    「真面目くさって聞くがものはない。分り切ってるとおっしゃるんですか」
    「まあそうよ」
    「そのくらい先生に忠実なあなたが急にいなくなったら、先生はどうなるんでしょう。世の中のどっちを向いても面白そうでない先生は、あなたが急にいなくなったら後でどうなるでしょう。先生から見てじゃない。あなたから見てですよ。あなたから見て、先生は幸福になるでしょうか、不幸になるでしょうか」
    「そりゃ私から見れば分っています。(先生はそう思っていないかも知れませんが)。先生は私を離れれば不幸になるだけです。あるいは生きていられないかも知れませんよ。そういうと、己惚(おのぼれ)になるようですが、私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。どんな人があっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだからこうして落ち付いていられるんです」
    「その信念が先生の心に好(よ)く映るはずだと私は思いますが」
    「それは別問題ですわ」
    「やっぱり先生から嫌われているとおっしゃるんですか」
    「私は嫌われてるとは思いません。嫌われる訳がないんですもの。しかし先生は世間が嫌いなんでしょう。世間というより近頃(ちかごろ)では人間が嫌いになっているんでしょう。だからその人間の一人(いちにん)として、私も好かれるはずがないじゃありませんか」
    奥さんの嫌われているという意味がやっと私に呑(の)み込めた。
    十八
    私(わたくし)は奥さんの理解力に感心した。奥さんの態度が旧式の日本の女らしくないところも私の注意に一種の刺戟(しげき)を与えた。それで奥さんはその頃(ころ)流行(はや)り始めたいわゆる新しい言葉などはほとんど使わなかった。
    私は女というものに深い交際(つきあい)をした経験のない迂闊(うかつ)な青年であった。男としての私は、異性に対する本能から、憧憬(どうけい)の目的物として常に女を夢みていた。けれどもそれは懐かしい春の雲を眺(なが)めるような心持で、ただ漠然(ばくぜん)と夢みていたに過ぎなかった。だから実際の女の前へ出ると、私の感情が突然変る事が時々あった。私は自分の前に現われた女のために引き付けられる代りに、その場に臨んでかえって変な反撥力(はんぱつりょく)を感じた。奥さんに対した私にはそんな気がまるで出なかった。普通男女(なんにょ)の間に横たわる思想の不平均という考えもほとんど起らなかった。私は奥さんの女であるという事を忘れた。私はただ誠実なる先生の批評家および同情家として奥さんを眺めた。
    「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといって、あなたに聞いた時に、あなたはおっしゃった事がありますね。元はああじゃなかったんだって」
    「ええいいました。実際あんなじゃなかったんですもの」
    「どんなだったんですか」
    「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです」
    「それがどうして急に変化なすったんですか」
    「急にじゃありません、段々ああなって来たのよ」
    「奥さんはその間(あいだ)始終先生といっしょにいらしったんでしょう」
    「無論いましたわ。夫婦ですもの」
    「じゃ先生がそう変って行かれる源因(げんいん)がちゃんと解(わか)るべきはずですがね」
    「それだから困るのよ。あなたからそういわれると実に辛(つら)いんですが、私にはどう考えても、考えようがないんですもの。私は今まで何遍(なんべん)あの人に、どうぞ打ち明けて下さいって頼んで見たか分りゃしません」
    「先生は何とおっしゃるんですか」
    「何にもいう事はない、何にも心配する事はない、おれはこういう性質になったんだからというだけで、取り合ってくれないんです」
    私は黙っていた。奥さんも言葉を
    途切とぎ
    らした。
    下女部屋げじょべや
    にいる下女はことりとも音をさせなかった。私はまるで泥棒の事を忘れてしまった。
    「あなたは私に責任があるんだと思ってやしませんか」と突然奥さんが聞いた。
    「いいえ」と私が答えた。
    「どうぞ隠さずにいって下さい。そう思われるのは身を切られるより辛いんだから」と奥さんがまたいった。「これでも私は先生のためにできるだけの事はしているつもりなんです」
    「そりゃ先生もそう認めていられるんだから、大丈夫です。ご安心なさい、私が保証します」
    奥さんは火鉢の灰を掻(か)き馴(な)らした。それから水注(みずさし)の水を鉄瓶(てつびん)に注(さ)した。鉄瓶は忽(たちま)ち鳴りを沈めた。
    「私はとうとう辛防(しんぼう)し切れなくなって、先生に聞きました。私に悪い所があるなら遠慮なくいって下さい、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点はおれの方にあるだけだというんです。そういわれると、私悲しくなって仕様がないんです、涙が出てなおの事自分の悪い所が聞きたくなるんです」
    奥さんは眼の中(うち)に涙をいっぱい溜(た)めた。
    1 hr
  • 9 三八妇女节快乐! 青空文库 夏目漱石 こころ 上 15+16 @ LeoN Radio 我らの文学
    オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
    エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
    作詞作曲 楠元純一郎
    編曲 山之内馨
    十五
    その後(ご)私(わたくし)は奥さんの顔を見るたびに気になった。先生は奥さんに対しても始終こういう態度に出るのだろうか。もしそうだとすれば、奥さんはそれで満足なのだろうか。
    奥さんの様子は満足とも不満足とも極(き)めようがなかった。私はそれほど近く奥さんに接触する機会がなかったから。それから奥さんは私に会うたびに尋常であったから。最後に先生のいる席でなければ私と奥さんとは滅多(めった)に顔を合せなかったから。
    私の疑惑はまだその上にもあった。先生の人間に対するこの覚悟はどこから来るのだろうか。ただ冷たい眼で自分を内省したり現代を観察したりした結果なのだろうか。先生は坐(すわ)って考える質(たち)の人であった。先生の頭さえあれば、こういう態度は坐って世の中を考えていても自然と出て来るものだろうか。私にはそうばかりとは思えなかった。先生の覚悟は生きた覚悟らしかった。火に焼けて冷却し切った石造(せきぞう)家屋の輪廓(りんかく)とは違っていた。私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれどもその思想家の纏(まと)め上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。自分と切り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脈が止まったりするほどの事実が、畳み込まれているらしかった。
    これは私の胸で推測するがものはない。先生自身すでにそうだと告白していた。ただその告白が雲の峯(みね)のようであった。私の頭の上に正体の知れない恐ろしいものを蔽(おお)い被(かぶ)せた。そうしてなぜそれが恐ろしいか私にも解(わか)らなかった。告白はぼうとしていた。それでいて明らかに私の神経を震(ふる)わせた。
    私は先生のこの人生観の基点に、或(あ)る強烈な恋愛事件を仮定してみた。(無論先生と奥さんとの間に起った)。先生がかつて恋は罪悪だといった事から照らし合せて見ると、多少それが手掛(てがか)りにもなった。しかし先生は現に奥さんを愛していると私に告げた。すると二人の恋からこんな厭世(えんせい)に近い覚悟が出ようはずがなかった。「かつてはその人の前に跪(ひざまず)いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載(の)せさせようとする」といった先生の言葉は、現代一般の誰彼(たれかれ)について用いられるべきで、先生と奥さんの間には当てはまらないもののようでもあった。
    雑司ヶ谷(ぞうしがや)にある誰(だれ)だか分らない人の墓、――これも私の記憶に時々動いた。私はそれが先生と深い縁故のある墓だという事を知っていた。先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のできない私は、先生の頭の中にある生命(いのち)の断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。けれども私に取ってその墓は全く死んだものであった。二人の間にある生命(いのち)の扉を開ける鍵(かぎ)にはならなかった。むしろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった。
    そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差し向いで話をしなければならない時機が来た。その頃(ころ)は日の詰(つま)って行くせわしない秋に、誰も注意を惹(ひ)かれる肌寒(はださむ)の季節であった。先生の附近(ふきん)で盗難に罹(かか)ったものが三、四日続いて出た。盗難はいずれも宵の口であった。大したものを持って行かれた家(うち)はほとんどなかったけれども、はいられた所では必ず何か取られた。奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空(あ)けなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外(ほか)の二、三名と共に、ある所でその友人に飯(めし)を食わせなければならなくなった。先生は訳を話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ。私はすぐ引き受けた。
    十六
    私(わたくし)の行ったのはまだ灯(ひ)の点(つ)くか点かない暮れ方であったが、几帳面(きちょうめん)な先生はもう宅(うち)にいなかった。「時間に後(おく)れると悪いって、つい今しがた出掛けました」といった奥さんは、私を先生の書斎へ案内した。
    書斎には洋机(テーブル)と椅子(いす)の外(ほか)に、沢山の書物が美しい背皮(せがわ)を並べて、硝子越(ガラスごし)に電燈(でんとう)の光で照らされていた。奥さんは火鉢の前に敷いた座蒲団(ざぶとん)の上へ私を坐(すわ)らせて、「ちっとそこいらにある本でも読んでいて下さい」と断って出て行った。私はちょうど主人の帰りを待ち受ける客のような気がして済まなかった。私は畏(かしこ)まったまま烟草(タバコ)を飲んでいた。奥さんが茶の間で何か下女(げじょ)に話している声が聞こえた。書斎は茶の間の縁側を突き当って折れ曲った角(かど)にあるので、棟(むね)の位置からいうと、座敷よりもかえって掛け離れた静かさを領(りょう)していた。ひとしきりで奥さんの話し声が已(や)むと、後(あと)はしんとした。私は泥棒を待ち受けるような心持で、凝(じっ)としながら気をどこかに配った。
    三十分ほどすると、奥さんがまた書斎の入口へ顔を出した。「おや」といって、軽く驚いた時の眼を私に向けた。そうして客に来た人のように鹿爪(しかつめ)らしく控えている私をおかしそうに見た。
    「それじゃ窮屈でしょう」
    「いえ、窮屈じゃありません」
    「でも退屈でしょう」
    「いいえ。泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません」
    奥さんは手に紅茶茶碗(こうちゃぢゃわん)を持ったまま、笑いながらそこに立っていた。
    「ここは隅っこだから番をするには好(よ)くありませんね」と私がいった。
    「じゃ失礼ですがもっと真中へ出て来て頂戴(ちょうだい)。ご退屈(たいくつ)だろうと思って、お茶を入れて持って来たんですが、茶の間で宜(よろ)しければあちらで上げますから」
    私は奥さんの後(あと)に尾(つ)いて書斎を出た。茶の間には綺麗(きれい)な長火鉢(ながひばち)に鉄瓶(てつびん)が鳴っていた。私はそこで茶と菓子のご馳走(ちそう)になった。奥さんは寝(ね)られないといけないといって、茶碗に手を触れなかった。
    「先生はやっぱり時々こんな会へお出掛(でか)けになるんですか」
    「いいえ滅多(めった)に出た事はありません。近頃(ちかごろ)は段々人の顔を見るのが嫌(きら)いになるようです」
    こういった奥さんの様子に、別段困ったものだという風(ふう)も見えなかったので、私はつい大胆になった。
    「それじゃ奥さんだけが例外なんですか」
    「いいえ私も嫌われている一人なんです」
    「そりゃ嘘(うそ)です」と私がいった。「奥さん自身嘘と知りながらそうおっしゃるんでしょう」
    「なぜ」
    「私にいわせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」
    「あなたは学問をする方(かた)だけあって、なかなかお上手(じょうず)ね。空(から)っぽな理屈を使いこなす事が。世の中が嫌いになったから、私までも嫌いになったんだともいわれるじゃありませんか。それと同(おん)なじ理屈で」
    「両方ともいわれる事はいわれますが、この場合は私の方が正しいのです」
    「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空(から)の盃(さかずき)でよくああ飽きずに献酬(けんしゅう)ができると思いますわ」
    奥さんの言葉は少し手痛(てひど)かった。しかしその言葉の耳障(みみざわり)からいうと、決して猛烈なものではなかった。自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出(みいだ)すほどに奥さんは現代的でなかった。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。
    52 min
  • 8 把贞子重温了一遍 青空文库 夏目漱石 こころ 上 13+14 @ LeoN Radio 我らの文学
    オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
    エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
    作詞作曲 楠元純一郎
    編曲 山之内馨
    十三
    我々は群集の中にいた。群集はいずれも嬉(うれ)しそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。
    「恋は罪悪ですか」と私(わたくし)がその時突然聞いた。
    「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。
    「なぜですか」
    「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」
    私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何にもなかった。
    「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」
    「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」
    「今それほど動いちゃいません」
    「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」
    「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」
    「恋に上(のぼ)る楷段(かいだん)なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」
    「私には二つのものが全く性質を異(こと)にしているように思われます」
    「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」
    私は変に悲しくなった。
    「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方がありませんが、私にそんな気の起った事はまだありません」
    先生は私の言葉に耳を貸さなかった。
    「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」
    私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった。いずれにしても先生のいう罪悪という意味は朦朧(もうろう)としてよく解(わか)らなかった。その上私は少し不愉快になった。
    「先生、罪悪という意味をもっと判然(はっきり)いって聞かして下さい。それでなければこの問題をここで切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然解るまで」
    「悪い事をした。私はあなたに真実(まこと)を話している気でいた。ところが実際は、あなたを焦慮(じら)していたのだ。私は悪い事をした」
    先生と私とは博物館の裏から鶯渓(うぐいすだに)の方角に静かな歩調で歩いて行った。垣の隙間(すきま)から広い庭の一部に茂る熊笹(くまざさ)が幽邃(ゆうすい)に見えた。
    「君は私がなぜ毎月(まいげつ)雑司ヶ谷(ぞうしがや)の墓地に埋(うま)っている友人の墓へ参るのか知っていますか」
    先生のこの問いは全く突然であった。しかも先生は私がこの問いに対して答えられないという事もよく承知していた。私はしばらく返事をしなかった。すると先生は始めて気が付いたようにこういった。
    「また悪い事をいった。焦慮(じら)せるのが悪いと思って、説明しようとすると、その説明がまたあなたを焦慮せるような結果になる。どうも仕方がない。この問題はこれで止(や)めましょう。とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」
    私には先生の話がますます解(わか)らなくなった。しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった。
    十四
    年の若い私(わたくし)はややともすると一図(いちず)になりやすかった。少なくとも先生の眼にはそう映っていたらしい。私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであった。とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただ独(ひと)りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。
    「あんまり逆上(のぼせ)ちゃいけません」と先生がいった。
    「覚(さ)めた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があった。その自信を先生は肯(うけ)がってくれなかった。
    「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめると厭(いや)になります。私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります」
    「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」
    「私はお気の毒に思うのです」
    「気の毒だが信用されないとおっしゃるんですか」
    先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿(つばき)の花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよく眺(なが)める癖があった。
    「信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しないんです」
    その時生垣(いけがき)の向うで金魚売りらしい声がした。その外(ほか)には何の聞こえるものもなかった。大通りから二丁(ちょう)も深く折れ込んだ小路(こうじ)は存外(ぞんがい)静かであった。家(うち)の中はいつもの通りひっそりしていた。私は次の間(ま)に奥さんのいる事を知っていた。黙って針仕事か何かしている奥さんの耳に私の話し声が聞こえるという事も知っていた。しかし私は全くそれを忘れてしまった。
    「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。
    先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。
    「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪(のろ)うより外(ほか)に仕方がないのです」
    「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」
    「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常に怖(こわ)くなったんです」
    私はもう少し先まで同じ道を辿(たど)って行きたかった。すると襖(ふすま)の陰で「あなた、あなた」という奥さんの声が二度聞こえた。先生は二度目に「何だい」といった。奥さんは「ちょっと」と先生を次の間(ま)へ呼んだ。二人の間にどんな用事が起ったのか、私には解(わか)らなかった。それを想像する余裕を与えないほど早く先生はまた座敷へ帰って来た。
    「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺(あざむ)かれた返報に、残酷な復讐(ふくしゅう)をするようになるものだから」
    「そりゃどういう意味ですか」
    「かつてはその人の膝(ひざ)の前に跪(ひざまず)いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載(の)せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥(しりぞ)けたいと思うのです。私は今より一層淋(さび)しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己(おの)れとに充(み)ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」
    私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった。
    1 hr
  • 7 你喜欢矢量图吗? 青空文库 夏目漱石 こころ 上 11+12 @ LeoN Radio 我らの文学
    オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
    エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
    作詞作曲 楠元純一郎
    編曲 山之内馨
    十二
    奥さんは東京の人であった。それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて知っていた。奥さんは「本当いうと合(あい)の子(こ)なんですよ」といった。奥さんの父親はたしか鳥取(とっとり)かどこかの出であるのに、お母さんの方はまだ江戸といった時分(じぶん)の市ヶ谷(いちがや)で生れた女なので、奥さんは冗談半分そういったのである。ところが先生は全く方角違いの新潟(にいがた)県人であった。だから奥さんがもし先生の書生時代を知っているとすれば、郷里の関係からでない事は明らかであった。しかし薄赤い顔をした奥さんはそれより以上の話をしたくないようだったので、私の方でも深くは聞かずにおいた。
    先生と知り合いになってから先生の亡くなるまでに、私はずいぶん色々の問題で先生の思想や情操に触れてみたが、結婚当時の状況については、ほとんど何ものも聞き得なかった。私は時によると、それを善意に解釈してもみた。年輩の先生の事だから、艶(なま)めかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざと慎(つつし)んでいるのだろうと思った。時によると、またそれを悪くも取った。先生に限らず、奥さんに限らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人したために、そういう艶(つや)っぽい問題になると、正直に自分を開放するだけの勇気がないのだろうと考えた。もっともどちらも推測に過ぎなかった。そうしてどちらの推測の裏にも、二人の結婚の奥に横たわる花やかなロマンスの存在を仮定していた。
    私の仮定ははたして誤らなかった。けれども私はただ恋の半面だけを想像に描(えが)き得たに過ぎなかった。先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨(みじめ)なものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。
    私は今この悲劇について何事も語らない。その悲劇のためにむしろ生れ出たともいえる二人の恋愛については、先刻(さっき)いった通りであった。二人とも私にはほとんど何も話してくれなかった。奥さんは慎みのために、先生はまたそれ以上の深い理由のために。
    ただ一つ私の記憶に残っている事がある。或(あ)る時花時分(はなじぶん)に私は先生といっしょに上野(うえの)へ行った。そうしてそこで美しい一対(いっつい)の男(女なんにょ)を見た。彼らは睦(むつ)まじそうに寄り添って花の下を歩いていた。場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼を峙(そば)だてている人が沢山あった。
    「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。
    「仲が好(よ)さそうですね」と私が答えた。
    先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線の外(ほか)に置くような方角へ足を向けた。それから私にこう聞いた。
    「君は恋をした事がありますか」
    私はないと答えた。
    「恋をしたくはありませんか」
    私は答えなかった。
    「したくない事はないでしょう」
    「ええ」
    「君は今あの男と女を見て、冷評(ひやか)しましたね。あの冷評(ひやかし)のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交(まじ)っていましょう」
    「そんな風(ふう)に聞こえましたか」
    「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解(わか)っていますか」
    私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。
    1 hr 7 min
  • 6 开头结尾曲好听吗 青空文库 夏目漱石 こころ 上 9+10 @ LeoN Radio 我らの文学
    オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
    エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
    作詞作曲 楠元純一郎
    編曲 山之内馨
    九
    私(わたくし)の知る限り先生と奥さんとは、仲の好(い)い夫婦の一対(いっつい)であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論解(わか)らなかったけれども、座敷で私と対坐(たいざ)している時、先生は何かのついでに、下女(げじょ)を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静(しず)といった)。先生は「おい静」といつでも襖(ふすま)の方を振り向いた。その呼びかたが私には優(やさ)しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子も甚(はなは)だ素直であった。ときたまご馳走(ちそう)になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間(あいだ)に描(えが)き出されるようであった。
    先生は時々奥さんを伴(つ)れて、音楽会だの芝居だのに行った。それから夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二、三度以上あった。私は箱根(はこね)から貰った絵端書(えはがき)をまだ持っている。日光(にっこう)へ行った時は紅葉(もみじ)の葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。
    当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。そのうちにたった一つの例外があった。ある日私がいつもの通り、先生の玄関から案内を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声がした。よく聞くと、それが尋常の談話でなくって、どうも言逆(いさか)いらしかった。先生の宅は玄関の次がすぐ座敷になっているので、格子(こうし)の前に立っていた私の耳にその言逆(いさか)いの調子だけはほぼ分った。そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。相手は先生よりも低い音(おん)なので、誰だか判然(はっきり)しなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられた。泣いているようでもあった。私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿へ帰った。
    妙に不安な心持が私を襲って来た。私は書物を読んでも呑(の)み込む能力を失ってしまった。約一時間ばかりすると先生が窓の下へ来て私の名を呼んだ。私は驚いて窓を開けた。先生は散歩しようといって、下から私を誘った。先刻(さっき)帯の間へ包(くる)んだままの時計を出して見ると、もう八時過ぎであった。私は帰ったなりまだ袴(はかま)を着けていた。私はそれなりすぐ表へ出た。
    その晩私は先生といっしょに麦酒(ビール)を飲んだ。先生は元来酒量に乏しい人であった。ある程度まで飲んで、それで酔えなければ、酔うまで飲んでみるという冒険のできない人であった。
    「今日は駄目(だめ)です」といって先生は苦笑した。
    「愉快になれませんか」と私は気の毒そうに聞いた。
    私の腹の中には始終先刻(さっき)の事が引(ひ)っ懸(かか)っていた。肴(さかな)の骨が咽喉(のど)に刺さった時のように、私は苦しんだ。打ち明けてみようかと考えたり、止(よ)した方が好(よ)かろうかと思い直したりする動揺が、妙に私の様子をそわそわさせた。
    「君、今夜はどうかしていますね」と先生の方からいい出した。「実は私も少し変なのですよ。君に分りますか」
    私は何の答えもし得なかった。
    「実は先刻(さっき)妻(さい)と少し喧嘩(けんか)をしてね。それで下(くだ)らない神経を昂奮(こうふん)させてしまったんです」と先生がまたいった。
    「どうして……」
    私には喧嘩という言葉が口へ出て来なかった。
    「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」
    「どんなに先生を誤解なさるんですか」
    先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。
    「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」
    先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。
    十
    二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一丁(ちょう)も二丁もつづいた。その後(あと)で突然先生が口を利(き)き出した。
    「悪い事をした。怒って出たから妻(さい)はさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀(かわい)そうなものですね。私(わたくし)の妻などは私より外(ほか)にまるで頼りにするものがないんだから」
    先生の言葉はちょっとそこで途切(とぎ)れたが、別に私の返事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移って行った。
    「そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽(こっけい)だが。君、私は君の眼にどう映りますかね。強い人に見えますか、弱い人に見えますか」
    「中位(ちゅうぐらい)に見えます」と私は答えた。この答えは先生にとって少し案外らしかった。先生はまた口を閉じて、無言で歩き出した。
    先生の宅(うち)へ帰るには私の下宿のつい傍(そば)を通るのが順路であった。私はそこまで来て、曲り角で分れるのが先生に済まないような気がした。「ついでにお宅(たく)の前までお伴(とも)しましょうか」といった。先生は忽(たちま)ち手で私を遮(さえぎ)った。
    「もう遅いから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、妻君(さいくん)のために」
    先生が最後に付け加えた「妻君のために」という言葉は妙にその時の私の心を暖かにした。私はその言葉のために、帰ってから安心して寝る事ができた。私はその後(ご)も長い間この「妻君のために」という言葉を忘れなかった。
    先生と奥さんの間に起った波瀾(はらん)が、大したものでない事はこれでも解(わか)った。それがまた滅多(めった)に起る現象でなかった事も、その後絶えず出入(でい)りをして来た私にはほぼ推察ができた。それどころか先生はある時こんな感想すら私に洩(も)らした。
    「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻(さい)以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対(いっつい)であるべきはずです」
    私は今前後の行(ゆ)き掛(がか)りを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか、判然(はっきり)いう事ができない。けれども先生の態度の真面目(まじめ)であったのと、調子の沈んでいたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。私は心の中(うち)で疑(うたぐ)らざるを得なかった。けれどもその疑いは一時限りどこかへ葬(ほうむ)られてしまった。
    私はそのうち先生の留守に行って、奥さんと二人差向(さしむか)いで話をする機会に出合った。先生はその日横浜(よこはま)を出帆(しゅっぱん)する汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋(しんばし)
    へ送りに行って留守であった。横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃(ころ)の習慣であった。私はある書物について先生に話してもらう必要があったので、あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九時に訪問した。先生の新橋行きは前日わざわざ告別に来た友人に対する礼義(れいぎ)としてその日突然起った出来事であった。先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。それで私は座敷へ上がって、先生を待つ間、奥さんと話をした。
    59 min

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