参照テキスト: 青空文庫図書カード№1813
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第三部
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(三月×日)
烏(からす)が光る
都会の上にも光る
烏が白く光る
花粉の街 電信柱のいただき
ゆれますよ ゆれてるよ
停るところがない
肺が歌う 短い景色の歌なの。
茶色の雨の中を
私は耳をおさえて歩く
耳が痛い 痛いのよ
雨中の烏が光る
もがきながら飛ぶ
杳(はる)かな荒野の風の夢
肺が歌う 短い景色の歌なの。
私は何故歩くのだろう
烏の命数だ
烏のようにどこかで私は生れた
停るところのない夜
光って飛ぶ
自分が光るのではない
四囲の光線がわっと笑うのだ
私の肺が歌う それだけなの……。
独り住いの猫 独り住いの犬
誰もいない路(みち)の石ころ
露が消える
烏の空 光る烏
釘(くぎ)を抜くようなすべっこい光
よろめき よろめき 只光る烏
肺が歌う 肺だけが歌うだけなのよ。
二つの肺の袋だけが私のような気かする。郵便がもどって来たので、ああそうかと思う。
読売新聞に送った「肺が歌う」と云う詩、清水さんと云うお方が長くて載せられぬと云う手紙だ。花柳病の薬の広告はいやにでっかく出ているけれども、貧乏な女の詩は長くて新聞には載せられないのだ。
たった八頁の新聞は馬鹿な詩なぞよちがないのだ。
ピアレスベッドの広告が出ている。私はこんな丈夫な、ハイカラなベッドに一度も寝たことがない。タイガー美人女給募集。白いエプロンをかけて、長い紐(ひも)を蝶々のように背中で結んで、ビールの栓抜きに鈴をつけた洒落(しゃれた)女給さんが眼に浮ぶ。新聞を見ていると、どろんこの轍(わだち)の中へ、牛の糞(ふん)をにじりつけたような気持ちの悪さになって来る。
さて、どっこいしょ!
いやに躯(からだ)が重たいな。バナナのたたき売りが一山十銭。ずるずるにくさりかけたのを食べたせいか躯中に虫がわいたようになる。朝っぱらから、何処(どこ)かで大正琴を無茶苦茶にかきならしている。
肺が歌うなぞと云う、たわけた詩が金になるとは思わないけれども、それでも、世間には一人位はものずきな人間がありそうなものだ。
寝床をかたづけて髪結いに行く。
金鶴香水を一瓶(びん)もつけたような、大柄な女が髪を結ってもらっていた。あんまり匂いがはげしいので、袖で鼻をおさえていたいような気がする。頭が痛くなる。奥では髪結さん一家が、そうがかりで桜の造花つくりの内職だ。眼がさめるようだ。
もうじき花見なのだ。
桃割れに結って貰う。安いかもじなので、どうにも工合が悪く、眉も眼尻も吊(つ)りあがるほどだ。二階で、急に、女の声で、「助平だねえッ」と云った。みんなびっくりして、天井をみあげる。
「また昼間っからやってるよ。どったんばったん角力(すもう)ばかりやってンですよ。――なあにね、酔っぱらって、おかみさんをいじめるのが癖なンで……」
髪結さんがびんまどに、筋槍をつきたてながらくすくす笑っている。みんなも笑った。御亭主は株屋で、細君は牛屋(ぎゅうや)の女中だそうだ。朝から酒を飲んで、寝床をたたんだ事がないと云う夫婦だそうだ。
白いたけながをかけてもらう。結い賃が三十銭、たけながが二銭、三十五銭払う。
まるで頭の上は果物籠をのっけたような感じ、十五日ぶりでさっぱりとする。
肺が歌うがつっかえされたのだから、今度は品をかえて童話を持って行く事にする。
茅町(かやちょう)から上野へ出て、須田町行きの電車に乗る。埃(ほこり)がして、まるで夕焼みたいな空。何だか生きている事がめんどうくさくなる。黒門町からピエロの赤い服を着たちんどん屋の連中が三人乗り込んで来る。車内はみんなくすくす笑い出した。若いピエロが切符を切って貰っている。青と紅のだんだら縞の繻子(しゅす)の服で、顔だけは化粧をしていないので、なおさら妙だ。
あんなかっこうをして生きてゆく人もある。日当はいくら位になるのかしら……。私は知らん顔をして窓の外を見ていたけれど、段々、むちゃくちゃになってもいいような気がしてきた。一人位、私と連れ添う男はないものかと思う。
私を好きだと云うひとは、私と同じようにみんな貧乏だ。風に吹かれる雨戸のようにふわふわしている。それっきりだ。
銀座へ出て滝山町の朝日新聞に行く。中野秀人と云うひとに逢う。花柳はるみと云う髪を剪(き)ったはいからな女のひとと暮しているひとだと風評にきいていたので、胸がどきどきした。世間のひとと云うものは、なかなかひとの貧乏な事情なぞ判ってはもらえない。詩をそのうち見ていただきますと云って戸外へ出る。
中野さんの赤いネクタイが綺麗(きれい)だった。
紹介状も何もない女の詩なんか、どこの新聞社だって迷惑なのだ。銀座通りを歩く。
広告に出ていたタイガーと云う店があった。並んで松月と云う店もある。みとれるように綺麗なひとがきどった小さい白まえだれをしてのぞいている。胸まであるエプロンはもう流行(はやら)ないのかしら。
砂まじりの強い風が吹いた。
四丁目で、コック風な男が、通りすがりの人に広告マッチを一つずつくれている。私も貰った。後がえりして二つも貰った。
ものを書いて金にしようなぞと考えた事が、まるで夢みたいに遠い事に思える。表通りの暮しは、裏通りの生活とはまるきり違うのだ。十銭の牛飯も食えないなんて……。
(三月×日)
ハイネとはどんな西洋人か知らない。
甘い詩を書く。
恋の詩も書く。ドイツのお母さんの詩も書く。そして詩が売れる。生田春月と云うひとはどんなおじさんかな……。ホンヤクと云う事は飯を煮なおして、焼飯にする事かな。ハイネと生田春月はどんなカンケイなのか知らないけれど、本屋の棚にハイネが生れた。ぽつんと立っている。
私は無政府主義者だ。
こんなきゅうくつな政冶なんてまっぴらごめんだ。人間と自然がたわむれて、ひねもす生殖のいとなみ……それでよいではございませんか。猫も夜々を哀れにないて歩いている。私もあんなにして男がほしいと云って歩きたい。
箒(ほうき)で掃きすてるほど男がいる。
婆羅門(バラモン)大師の半偈(はんげ)の経とやら、はんにゃはらみとは云わないかな……。
蛆(うじ)が湧わくのだ。私の躯に蛆が湧くのだ。
朝から水ばかり飲んでいる。盗人にはいる空想をする。どなたさまも戸締りに御用心。いまのところ、私は立派な無政府主義者を自任している。ひどいことをしてみせようと思っている。
夜。牛めしを食べて、ロート眼薬を買う。
(五月×日)
夜、牛込の生田長江(ちょうこう)と云うひとをたずねる。
このひとはらい病だと聞いていたけれど、そんな事はどうでもいい。詩人になりたいと云ったら、何とか筋道をつけてくれるかもしれない。
私はもう七十銭しか持っていないのだ。
蒼馬(あおうま)を見たりと云う題をつけて、詩の原稿を持ってゆく。古ぼけた浪人のいるような家だ。電燈が馬鹿にくらい。どんなおばけが出て来るかと思った。
部屋の隅っこに小さくなっていると、生田氏がすっと奥から出て来た。何の変哲もない大島の光った着物を着ている、痩やせた人だった。顔の皮膚がばかにてらてら光っている。
声の小さい、優しいひとであった。
何も云わないで、原稿を見ていただきたいと云ったら、いま、すぐには見られないと云う。
私は七十銭しか持っていないので、躯中がかあと熱くなる。
「どんなひとの詩を読みましたか?」
「はい、ハイネを読みました。ホイットマンも読みました」
高級な詩を読むと云う事を、云っておかないと悪いような気がした。だけど、本当はハイネもホイットマンも私のこころからは千万里も遠いひとだ。
「プウシュキンは好きです」
私はいそいで本当の事を云った。
あなたも御病気で悲惨のきわみだけれど、私も貧乏で、悲惨のきわみなのです。四百四病の病より、貧よりつらいものはないと、うちのおっかさんが口癖に云います。だから、私はころされた大杉栄(さかえ)が好きなのです。
広い部屋。暗い床の間に切り口の白い本が少し積み重ねてある。シタンの机が一つ。暑くるしいのに障子が閉めてある。傘のない電燈が馬鹿にくらい。
遠くに離れて坐っているので、生田さんは馬鹿に細っこく見える。四十位のひとだと思う。
何と云う事もなく、生田春月と云うひとを尋ねるべきだったと思う。婆やさんみたいなひとがお茶を持って来たので、私はがぶりと飲んだ。
病気のひとをぶじょくしてはいけないと思った。
詩の原稿をあずけて帰る。
どうにかなるだろう。どうにもならないでもそれきり。
上野広小路のビールのイルミネーションが暗い空に泡(あわ)を吹いている。宝丹の広告燈もまばゆい。
おしる粉一ぱいあがったよのだみ声にさそわれて、五銭のおしる粉を食べた。夜店が賑(にぎ)やかだ。
水中花、ナフタリンの花、サスペンダー、ロシヤパン、万能大根刻み、玉子の泡立器、古本屋の赤い表紙のクロポトキン、青い表紙の人形の家。ぱらぱらと頁をめくると、松井須磨子の厚化粧の舞台姿の写真が出て来る。
福神漬屋の酒悦(しゅえつ)の前は黒山のような人だかり。インド人がバナナのたたきうりをしている。
十三屋の櫛屋(くしや)の前に、艶歌師がヴァイオリンを弾いていた。みどりもふかきはくようの……ほととぎすの歌だ。随分古めかしい歌をうたっている。
いっとき立ちどまってきく。年増(としま)のいちょうがえしの女がそばに立っていた。昔、佐世保にいた頃、私はこの歌をきいた事がある。誘われるようななつかしさを感じる。
艶歌師がうたってくれるようないい小説が書きたい。だけど、小説は長ったらしくてめんどうくさい。ルパシカを着て、紐を前で長く結んでいる艶歌師の四角い顔が、文章倶楽部(クラブ)の写真で見た、室生犀星(むろうさいせい)と云うひとに似ている。
路地をはいってゆくと、湯がえりの階下のおばさんに逢った。おばさんは洗濯物を夜干していた。
「部屋代、何とかして下さいよ。本当に困るンですからね……」
はいはい、私だって本当に困るンですよ。じっさいのところ、私だって苦労しつづけたのですよと云いたかった。
明日は玉の井に身売りでもしようかと思う。
(五月×日)
地虫が鳴いている。
ぷちぷち音をたてて青葉が萌(も)えてゆくような気がする。夜中だ。おいなりさんを売りに来る。声が近くになり、また遠くなってゆく。狐寿司はうまいだろうな。甘辛い油揚げの中にいっぱいつまった飯、じとじと汁がたれそうなかんぴょうの帯。
階下ではばくちが始っている。
魚の骨の骨
水流に滴(したた)る岸辺の草
魚の骨の骨
蕨色(わらびいろ)の雲間に浮ぶ灰
今日(こんち)はと河下のあいさつ
悶(もん)と云う字 女の字
悶は股(また)の中にある
嫋々(じょうじょう)と匂う股の中にある
悶と云う字よ。
魚の骨の骨
弓をひいて奉る一筆
魚の骨の骨
還(また)かえってくる情愛
愁(しゅう)と云う字 その字
天下の人々が口にする
腸(はらわた)のなかにある
愁いの海に沈む舟よ。
一切無我!
○
この街にいろいろな人が集ってくる
飢えによる堕落の人々
萎縮(いしゅく)した顔 病める肉体の渦
下層階級のはきだめ
天皇陛下は狂っておいでになるそうだ
患っているもののみの東京!
一層怖(おそ)ろしい風が吹く
ああ、何処(どこ)から吹く風なのだ!
情事ははびこる かびが生える
美しい思想とか
善良な思想と云うものがない
おびえて暮している
みんな何かにおびえている。
隙間から見える蒼(あお)ざめたる天使
不思議な無限……
神秘なことには陛下は狂っておいでになると云う。
貧弱な行為と汎神論(はんしんろん)者の鍋(なべ)
りくぞくと集ってくる人々
何かを犯しに来る人々の群
街の大時計も狂いはじめた。
(五月×日)
雨。
ユーゴーの惨めな人々を読む。
ナポレオンは英雄で、ワーテルローの背景をすぐ眼に浮べるほど立派なおかたと思っていたのだけれど、共和制をくつがえして、ナポレオン帝国をたてた矛盾が、変に気にかかって来る。こうした世の中で、たった一片のパンを盗んだ男が十九年も牢ろうへはいっている事も妙だ。
たった一片のパンで、十九年の牢獄生活に耐えてゆく、人間も人間。世の中も世の中なりか。
駄菓子屋へ行って一銭の飴玉(あめだま)を五ツ買って来る。
鏡を見る。愛らしいのだが、どうにもならぬ。
急に油をつけて髪をかきつけてみる。十日あまりも髪を結わないので、頭の地肌がのぼせて仕方がない。
脚がずくずくにふくらんできた。穴があく。麦飯をどっさりたべるといい。どっさり食べると云う事が問題だ。どっさりとね……。
ナポレオンのような戦術家が生れて、どいつにもこいつにも十年以上の牢獄を与える。人民はまるでそろばん玉みたいだ。不幸な国よ。朝から晩まで食べる事ばかり考えている事も悲しい生き方だ。いったい、私は誰なの? 何なのさ。どうして生きて動いているんだろう。
うで玉子飛んで来い。
あんこの鯛焼(たいやき)飛んで来い。
苺(いちご)のジャムパン飛んで来い。
蓬莱軒(ほうらいけん)のシナそば飛んで来い。
ああ、そばやのゆで汁でもただ飲みして来ようか。ユーゴー氏を売る事にきめる。五十銭もむつかしいだろう……。
良心に必要なだけの満足を汲くみ取りか、食慾に必要なだけの金を工面して生きてゆくことにも閉口トンシュでございます。
ナポレオン帝政下の天才について。
或る薬屋が軍隊のために、ボール紙の靴底を発明し、それを革として売出して四十万リーブルの年金を得たのだそうだ。或る僧侶(そうりょ)が、只、鼻声だと云うために大司教となり、行商人が金貸しの女と結婚して、七八百万の金を産ませた。十九世紀のさなかにある、フランスの修道院は、日に向っている梟(ふくろう)に過ぎないなんて……三度の革命を経てパリーはまた喜劇のむしかえし。
私は今日はこれから、この偉大なユーゴーの「みぜらぶる」と別れなければならない。
天才とは……ちっぽけな日本にはございません。気違いがいるだけ。だあれも、天才なんて見たことがない。天才とはぜいたく品みたいなものだ。日本人は狂人ばかりを見馴れて葬ることしか出来ない。
おいたわしや、気が狂ったと云う陛下も、本当は天才なのかもしれない。くるくるとおちょくごをお巻きになって、眼鏡にして臣下をごらんになったと云う伝説ごとだけれど、哀れな陛下よ。あなたは哀(かな)しいばかりに正直な天才です。
終日雨なり。飴玉と板昆布(いたこんぶ)で露命をつなぐ。
(五月×日)
蒼馬を見たりを生田氏より送りかえして貰う。日光にさらす。陽にあたると、紙はすぐくるりと弾はねあがる。
詩は死に通じると云うところでしょうね。ええ御返事がないところはひきょうみれん……。
「少女」と云う雑誌から三円の稿料を送って来る。半年も前に持ちこんだ原稿が十枚、題は豆を送る駅の駅長さん。一枚三十銭も貰えるなんて、私は世界一のお金持ちになったような気がした。――詩集なぞ誰だってみむきもしない。
間代二円入れておく。
おばさんは急に、にこにこしている。手紙が来て判を押すと云う事はお祭のように重大だ。三文判の効用。生きていることもまんざらではない。
急にせっせと童話を書く。
みかん箱に新聞紙を張りつけて、風呂敷を鋲(びょう)でとめたの。箱の中にはインクもユーゴー様も土鍋も魚も同居。あいなめ一尾買う。米一升買う。風呂にもはいる。
豚の王様、紅(あか)い靴、どっちも六枚ずつ。風呂あがりのせいか、安福せっけんの匂いが、肌にぷんぷん匂う。何と云う事もなく、せっけんの匂いをかいでいたら、フランスと云う国へ行ってみたいなと思う。
日本よりは住み心地のいいところではないかしら……。夢にみるほど恋いこがれてみたところで仕方がない。猫が汽車に乗りたいと思うようなものだ。
私のペンは不思議なペン。
私は地図のようなものを書いてみる。まず、朝鮮まで渡って、それから、一日に三里ずつ歩けば、何日目には巴里(パリー)に着くだろう。その間、飲まず食わずではいられないから、私は働きながら行かなければならない。
一寸ちょっと疲れて来る。
夜、あいなめを焼いて久しぶりに御飯をたべる。涙があふれる。平和な気持ちになった。
(五月×日)
なまぐさい風が吹く
緑が萌え立つ
夜明のしらしらとした往来が
石油色に光っている
森閑とした五月の朝。
多くの夢が煙立つ
頭蓋骨(ずがいこつ)が笑う
囚人も役人も 恋びとも
地獄の門へは同じ道づれ
みんな苛(いじ)めあうがいい
責めあうがいい
自然が人間の生活をきめてくれるのよ
ねえ そうなんでしょう?
夢の中で、わけもわからぬひとに逢う。宿屋の寝床で白いシーツの上に、頭蓋骨の男が寝ている。私をみるなり手をひっぱる。私はちっとも怖わがらないで、そばへ行って横になった。私は、なまめかしくさえしている。
眼がさめてから厭(いや)な気持ちだった。
寝床の中で詩を書く。
納豆売りのおばさんが通る。あわてて納豆売りのおばさんを二階から呼びとめて、階下へ降りてゆくと、雨あがりのせいか、ぱあっと石油色に道が光っている。まだあまり起きている家もない。雀だけが忙(せわ)しそうに石油色の道におりて遊んでいる。何処からか、鳩も来ている。栗の花が激しく匂う。
納豆に辛子をそえて貰う。
私はこのごろ、もう自分の事だけしか考えない。家族のある、あたたかい家庭と云うものは、何万里もさきの事だ。
こころのなかで、ひそかに、私は神様を憎悪する。こころやすく死んでしまいたいと唇(くち)にするような女がいる。それが私だ。本当に死にたいなんて考えないのだけれど、私はまるで、兎がひとねむりするみたいに、死にたいと云うことをこころやすく云ってみる。それで、何となく気が済むのだ。気が済むと云う事は一番金のかからない愉しみだ。
死ぬと云えば、すぐ哀しくなってきて、何となくやりきれなくなる。
何でも出来るような気がしてくる。勇気で頭が風船のようにふくらんで来る。
昼から万朝報に行く。
まだ係りのひとが来ていないと云うので、社の前の小さいミルクホールで牛乳を一杯飲む。人力車が行く。自動車が行く。自転車が行く。お昼なので、赤い塗りの箱を山のように肩にかついで、そばやが行く。かあっと照りつける往来を見ていると、肺が歌うなぞと云う詩を持ちあるいている自分が厭になって来た。誰も知らないところで、一人でもがいている必要はない。第一、大した駄作で、いまどき、肺のことなぞ誰も考えているものか……。空気を吸うことなぞどうでもいいのだ。
ああ、金さえあれば、千頁の詩集を出版してやりたい。友達もない、金もない、只、亀の子のように、のこのこ日向(ひなた)を歩きまわっている。まるで私は乞食のような哀れさだ。だれもめぐんでなんかくれない。洟(はな)もひっかけやしない。ああ、わっと云うような景色のなかからお札は降って来ないかな。千頁の詩集を出してやる! 題は男の骨、もっとむざんな題でもいい。
名もない女の詩なぞ買ってもらわなくてもいい。いまに千頁の詩集を出版しましょう。まるで仏壇のような金ピカ詩集! でこんでこんに塗りたくって、美しい絵を入れて、もう一つおまけに、詩集用のオルゴオルもつけてね、まず、きれいな音の中から、詩が飛び出して来るやつ……奇想天外詩集と云うものを出したい。どこかに、色気の深い金持ちの紳士はいないものかしら。千貢の詩集を出してくれれば、私は裸になってさかだちをしてみせてもいい。
私はいつも、新聞社のかえり、悲しくなる。広い沙漠に迷いこんだみたいに頼りどころがないのだ。ぴゅうぴゅうと風の吹くなかを、私一人が歩いているような気がする。
鬼でもいいから逢いたいものだ。慄(ふる)えてくる。歩きながら泣いている。涙と云うものは妙なものだ。ただの水、なまぬるい水、ぞっこん心がしびれてくる水、人の情のようになぐさめてくれる水、誇張の水、歩きながら泣くのはまことに工合がいい。風がすぐ乾かしてくれる。ハンカチもいらない。袂(たもと)も汚れない。
鍋町の文房具屋でハトロンの封筒も買って、郵便局で封を書いて、肺は歌うを朝日新聞に送る。何とかなるだろうと云う空想だけの勇気だ。
泣きながら歩いたので頬がつっぱるような気がする。匂いのいい文学的なクリームと云うやつはないかな。長い事、クリームもおしろいも塗った事がない。
果物屋は桜んぼうの出さかり、皿に盛って金十銭。
浅草に行く。
やたらに食物店ばかりが眼につく。ひょうたん池のところで、茄(う)で玉子を二つ買って食べる。ハムスンの飢えと云う小説を思い出した。昼間からついているイルミネーションと楽隊、色さまざまなのぼりの賑(にぎ)わい。三館共通十銭也で、オペラに、活動に、浪花節(なにわぶし)。ここだけは大入満員のセイキョウだ。
私は急に役者になりたいと思った。
白いマントを着たイヴァン・モジュウヒン。なかなかよい男だ。泥絵具で、少々、イヴァン・モジュウヒンはにやけている。活動は久しくみた事がない。
玉子のげっぷが出る。
郵便局から出した詩はまだとどかないだろう。取りかえしに行きたくなった。詩を書くと云う事が、人生に何の必要があるのだろう……。早くかたづきそうらえ。何も云う事これなく候。ぽおっといつまでも明るい空。私は夜が好きだ。私は夜のように早く年をとりたい。早く三十になりたい。葬儀屋の女房になって、線香くさい飯を食うようになっているかもしれない。それとも、私は貧乏な外科医の若い学生と同棲(どうせい)して、もう生きたまま解剖してもらってもいい。私はねえ、この世が辛くなってしまったのよ。腹のなかを十文字に割って腸をつかみ出したら、蛆が行列していたって。私はどうせ、どぶのなかから誕生したのです。哀れまれる事はないのよ。何処にでもいる女なのよ。つまみぐいが好きで、悲劇が好きで、きどってる人間がしんからきらいで……だって、きどってる人間だって、女とも寝てるじゃないの。同じような事なんだけど、衣食住が足りれば、第一、品と云うものが必要になる。
浅草はいいところだ。
みんなが、何となくのぼせかえっている。躯じゅうでいきいきしている。イルミネーションが段々はっきりして来る。
誰にでもある共通な、自然なこころの置場なのよ。三角の山盛りで、黄色に塗った五銭のアイスクリン。エエひやっこいアイスクリン! その隣りが壺焼。おでん屋は皿ほどもあるがんもどきをつまみあげている。
十字の切りかたは知らないけれど、ああ神様と祈りたくなります。
全心全霊をかたむけてエホバよ。
プウシュキンは品のいい詩ばかりお書きになっていた。そして、人の魂をとろかすもの。私ときたら鼻もちならぬ。
みんな自分が可愛いのだ。どなたさまも自分に惚(ほ)れすぎている。人の事はみえない。だから、私が、いくら食べたいと云う詩を書いても駄目なの。疲れてへとへとで、洗濯せっけんもないのよ。
家へかえりたくない。
一晩じゅう浅草を歩いていたい。
鐘撞堂(かねつきどう)の後に、小さい旅館が沢山並んでいる。「あんた貫一さんはないのかい?」一人て呆(ぼ)んやり歩いている私に、旅館の番頭が声をかける。
「十七、八となってるかな?」
私はおかしくなった。浅草に夜が来た。みんな活々と光る。楽隊は鳴りひびく。風はまことに涼やかで、私のおっぱいが一貫目もあるほど重い。感性の気違い。一目みただけで、この娘、売物と云う表情をしている、安来節(やすきぶし)の看板に凭(も)たれて休む。何とも陽気な只ならぬ気配で、床をふみならす音、口笛を吹きたてる群集。あらえっさっさアのソプラノ合唱。日本の歌は原始的で、肉体的だ。のぼせあがっている。何もかもすべて、すべてがのぼせあがっている。
鯉のぼりのようなのぼせかただ。たしなみのいいずぼんをはく事がきらいで、下帯一つで歩いている。もともとは原始民族なのだけど、一寸かぶれて火ぶくれをおこして来たのだ。
かんたんな火ぶくれなのよ、ねえ、塗り薬でかためて調法であろう……。苦悩を売りものにしてみたところで、もともと偽の文明。第一イルミネーションの光りの方がむじひだ。皮を剥(は)いだ、底の底まで見透せる妙な光りかたである。美人が少しも美人にはみえない。光りの空、息苦しい光彩の波の中に、人はひしめきあっている。私もひしめきあっている。
なるほど、日本は黄金島!