林芙美子 新版放浪記 第三部

林芙美子 新版放浪記 第三部

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林芙美子 新版放浪記 第三部 episodes

  • 林 芙美子 放浪記第三部 その3
    参照テキスト: 青空文庫図書カード№1813

    音声再生時間: 39分42秒
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            *

    (九月×日)
     飲食店にはいって、ふっと、箸立(はしたて)の汚ない箸のたばを見ると、私には卑しいものしかないのを感じる。人の舌に触れた、はげちょろけの箸を二本抜いて、それで丼飯(どんぶりめし)を食べる。まるで犬のような姿だ。汚ないとも思わなくなってしまっている。人類も何もあったものではない。只、モウレツに美味(うま)いと云う感覚だけで鰯(いわし)の焼いたのにかぶりつく。小皿のなかの水びたしの菜っぱの香々。
     いつまでも私は不安だ。卑しくて犬のように這いずりまわっているくせに、もう、死んでしまいたいと思うくせに、誰かをだましてやろうと思っているくせに、私には何の力もない。袖口も、襟(えり)もとも垢(あか)でぴかぴか光っている。いっそ裸で歩きたい位だ。
     食堂を出て動坂(どうざか)の講談社に行く。おんぼろぼろの板塀(いたべい)のなかにひしめく人の群をみていると、妙にはいりそびれてしまう。講談社と云うところはのみの巣のようだと思う。文明も何もない。只、汚ないぼろぼろの長い板塀にかこまれている。昨夜一晩で書きあげた鳥追い女と云う原稿が金に替るとは思われなくなってくる。浪六(なみろく)さんのようなものを書くにはよほど縁の遠い話だ。
     私はねえ、下宿料が払えないのよ。この二三日、遠慮して下宿の御飯をなるべく食べないようにしているのよ。講談なんて書けもしないくせに、浪六さんを手本にして、眼を真赤にして書いてみたけれど、結局は一文にもならぬ。赤い郵便自動車が行く。とても幸福そうだ。あのなかには、沢山沢山為替がはいっているに違いない。何処から誰に送る為替か知らないけれど、一枚や二枚、ひらひらと舞い落ちて来ないものかしら。
     小石川の博文館へ行く。
     どうれと、玄関番が出て来そうだ。おばけ屋敷のようだ。田舎医者の待合室みたいな畳敷きの待合室に通される。いかにも疲れたような人達が思い思いに待っている。そのひとたちがじろじろと私を見ている。まるで子守っ子のような肩あげのある私を不思議そうに見ている。まさか鳥追い女と云う講談を書いているとは思うまい。
     私は一葉(いちよう)と云う名前がとてつもなく気に入っている。尾崎紅葉もいい。小栗風葉もいい。みんな偉いひとには「葉」の字がつくので、私も講談を書くときは五葉位にしてみようかと考えた。色あせた夏羽織を着た背の高いひとが出て来た。私は胸がどきどきしてくる。来なければよかったと思う。
     いずれ見てからお返事をしますと云う事で、私のみっともない原稿はみもしらぬ人の手に渡ってしまった。急いで博文館を出て、深呼吸をする。これでもまだ私は生きてるのだからね。あんまりいじめないで下さい。神様! 私は本当は男なんかどうでもいいのよ。お金がほしくってたまらないのよ。高利貸と云う人間はどこの町に住んでいるのだろう。植物園のなかにはいって行く。
     きれいな夕陽。つるべ落しの空あい。私もはずみを食ってまっさかさま。憂鬱な空想の花火。ああ講談なんて馬鹿なことを考えたものだ。
     木蔭(こかげ)で、麦藁(むぎわら)帽をかぶった、年をとった女のひとが油絵を描いている。仲々うまいものだ。しばらく見とれている。芳烈な油の匂いがする。このひとは満足に食べられるのかしら。芝生に子供が遊んでいる絵だ。四囲には人っ子一人いないけれど、絵のなかでは、二人の子供がしゃがんでいる。絵描きになりたいと思う。
     白い萩(はぎ)の花の咲いているところで横になる。草をむしりながら噛(か)んでみる。何となくつつましい幸福を感じる。夕陽がだんだん燃えたって来る。
     不幸とか、幸福とか、考えた事もない暮しだけれど、この瞬間は一寸いいなと思う。しみじみと草に腹這っていると、眼尻に涙が溢あふれて来る。何の思いもない、水みたいなものだけれど、涙が出て来るといやに孤独な気持ちになって来る。こうした生きかたも、大して苦労には思わないのだけれど、下宿料が払えないと云う事だけはどうにも苦しい。無限に空があるくせに、人間だけがあくせくしている。
     夕焼の燃えてゆく空の奇蹟(きせき)がありながら、ささやかな人間の生きかたに何の奇蹟もないと云うことはかなしい。別れた男の事をふっと考えてみる。憎い奴だと思った事もあったけれど、いまはそうでもない。憎いと思うところはみんな忘れてしまった。
     いまは眼の前に、なまめかしい、白い萩が咲いているけれど、いまに冬が来れば、この花も茎もがらがらに枯れてしまう。ざまをみろだ。男と女の間柄もそんなものなのでしょう。不如帰(ほととぎす)の浪子さんが千年も万年も生きたいなんて云ってるけれど、あまりに人の世を御ぞんじないと云うものだ。花は一年で枯れてゆくのに、人間は五十年も御長命だ。ああいやな事だ。
     私は天皇さまにジキソをしてみる空想をする。ふっと私をごらんになって、馬鹿に私が気に入って、いっしょにいいところにおいでとおっしゃるような夢をみる。夢は人間とっておきの自由だ。天皇さまに冷酒とがんもどきのおでんをさしあげたら、うまいものだねとおっしゃるに違いない。私はなぜ日本に生れたのだろう。シチリヤ人と云うのがあるそうだ。音楽が大変好きなのだそうだ。私はシチリヤ人がどんな人種なのか見たことがない。
     不意にカナカナが啼きたてた。夕焼がだんだん妙な風に蒼(あお)ずんで来ている。

    (九月×日)
     夜が明けかけて来たけれど、どうにもならない。
     昨夜は蒲団を売る事にきめて安心して眠ったのだけれど、こう涼しくては蒲団を売るわけにもゆかない。葛西(かさい)善蔵と云うひとの小説みたいにどうにもならなくなりそうだ。私は別に酒が飲みたいよくもないけれど、生きようがないではありませんか。
     らっきょうと、甘いうずら豆が食べたい。キハツ油も買いたい。朝がえりの学生があると見えて、スリッパを鳴らして二階へ上ってゆく足音がする。ここから吉原まではさほどの道のりでもあるまい。吉原では女をいくら位で買ってくれるものかと思案してみる。
     さて、朝になれば、いよいよまた活動出発の用意。雀がよく鳴いている。上々の天気。硝子(ガラス)窓から柿の葉が覗(のぞ)いている。台所の方で小さい唄声がきこえる。私はふっと思いついて、この下宿の女中になれぬものかと思う。客部屋から女中部屋に転落してゆくだけだ。給料はいらない。ただ食べさせてもらって雨露をしのげればいい。この部屋の先住の英文科の帝大生が壁にナイフで落書をしている。エデンの園とは? 私も知らない。この気取りやさんは、落第をして郷里に戻って行ったのだそうだけれども、私には戻ってゆく故郷もない。
     ダダイズムの詩と云うのが流行(はや)っている。つまらない子供だましみたいな詩。言葉のあそび。血が流れていない。捨身で正直なことが云えない。只、やぶれかぶれだけ。だから私も作ってみようと眼をつぶって、蝙蝠傘(こうもりがさ)と烏(からす)と云う詩をつくってみる。眼をつぶっていると、黒いものからぱっぱっと聯想(れんそう)がとぶ。おかしなことばかり考える。まず、第一に匂いの思い出が来る。それから水っぽい涙が鼻をならしに来る。わにに喰いつかれたような、声も出ない悲鳴が出て来る。私の乳房が千貫の重さで、うどん粉の山のようにのしかかっている。手の爪に白い星が出ている。いい事があるのだそうだけれど信じない。シーツなぞ長いこと敷いたことのない敷蒲団に、私はなまぐさく寝ている。これが本当のエデンの園です。蒲団は芝居ののぼりでつくった、まことにしみじみとするカンヴァスベッド。


    感化院出の誰の誰
    許して下さいと云う言葉を日にいくど
    頂戴とか下さいとか
    雨のなかに立って物乞う姿
    不安な呻吟(しんぎん)
    世の誰とも連絡がない。

    感化院出の芙美子さん
    人間ではない氷のかたまり
    十九世紀の日本語の飴(あめ)
    眼がまわりますね
    道中があぶない?
    何をおっしゃいますやら。

    感化院は官立
    帝国大学も官立さ
    ただそれだけの違いだよ。


     襖(ふすま)が一寸ほど開いた。若い男がのぞいている。だれ? あわてて襖がしまる。ここは郵便局じゃございませんだ。
     私と寝たいのならさっさと這入っていらっしゃい。
     起きるなり、顔も洗わないで戸外へ出る。黄いろいペンキ車をひいて、意気な牛乳屋さんが通る。苦学生にしてはいやに清潔だ。西片町に出る。そろそろ暑い陽がのぼりはじめてきた。運送屋さんの前の共同水道で、顔を洗って、ついでに水をがぶがぶと飲んで満腹のほうえつ。ついでに、髪にも水をつけて手でなでつける。根津(ねづ)へ戻って恭次郎さんの家へ行ってみようかとも思うけれど、節ちゃんにまた泣きごとを云いそうなのでやめる。朝の新鮮な空気の中を只むしょうに歩く。大学の前へ行ってみる。果物屋ではリンゴにみがきをかけている男がいる。何年にも口にしたことのないリンゴの幻影が、現実ではぴかぴかと紅くまるい。柿も、ぶどうも、いちじくも、翠滴(すいてき)がしたたりそうな匂い。――さいやんかね、だっさ、さいやんかねえ、おんだぶってぶって、おんだ、らったんだりらああおお……タゴールの詩だそうだけれど、意味も判らずに、折にふれては私はつまらない時に唄う。
     高橋新吉はいい詩人だな。
     岡本潤も素敵にいい詩人だな。
     壺井繁治が黒いルパシカ姿で、うなぎの寝床のような下宿住い、これも善良ムヒな詩人。蜂(はち)みたいなだんだらジャケツを着た萩原恭次郎はフランス風の情熱の詩人。そしてみんなムルイに貧しいのは、私と御同様……。
     根津のゴンゲン様の境内で休む。
     ゴンゲン様は何様をおまつりしてあるのかしらない。ただあらたかな気がする。気がやすまる。鳩がいる。震災の時、ここで野宿をした事を思い出す。
     根津のゴンゲン裏にかつぶしを売っている大きい店がある。ここの息子が根津なにがしとか云う活動役者だそうだ。まだ一度も見たことがないけれど、定めしよい男なのであろう。千駄木町へ曲る角に、小さい時計屋さんがある。恭ちゃんの家の前を通って医専の方へ坂を上ってゆく。夜になるとここはお化けの出る坂。


    昼の霧 香ばしき昼の霧
    わがははの肩のあたりの霧
    爪は語らず
    陽もまばゆくて昼の霧よ
    五里霧中のなかに泳ぐ
    女だるまのすすりなく霧。

    ああさんたまりあ
    裸馬の肌えに巻く霧
    昼の霧はバットの銀紙
    すさのおのみことの恋の霧
    金もなき日の埃の綿
    つむぎ車のくりごとよ
    昼の霧 哀しき昼の霧。


     急に四囲の草木が葉裏をかえしたような妙な空あいになり、霧のようなものが立ちこめてみえる。坂の途中の電信柱に凭(もた)れてみる。しんしんと四囲に湯茶の煮えるような音がする。真昼の妖怪(ようかい)かな。私はおなかが空いたのよ。
     急に体じゅうがふるえて来る。どうして生きていいのか腹が立って来る。声をたてて泣きたくなる。
     八重垣町の八百屋で唐もろこしを二本買って下宿へ帰る。ダットのいきおいで部屋へ行き、唐もろこしの皮をむく。しめった唐もろこしの茶色のひげの中から、ぞうげ色の粒々が行列して出て来る。焼きたいな。こつこつと焼いて醤油をつけて食べたい。
     下宿の箱火鉢に紙屑かみくずを燃やして根気よく唐もろこしを焼く。

    (九月×日)
     ははより十円の為替が来る。
     ありがたや、かたじけなや。何もかもなむあみだぶつの心持ちなり。
     どしゃぶりの雨。下宿に五円入れる。昼飯が運ばれる。切り昆布に油揚げの煮たのに麩(ふ)のすまし汁。小さいお櫃(ひつ)に過分な御飯。雨を見ながら一人しずかに食事をする愉しさ。敵は幾万ありとてもわが仕事これより燃ゆると意気ごんでみる。食事のあと、静かに腹這い童話を書く。いくつでも出来そうな気がして仲々書けない。
     どしゃぶりの雨は西むきの硝子窓の敷居の中にまでいっぱい吹きこんで川のようにたまる。
     夜も下宿の飯。
     コンニャクとコロッケととろろ昆布のすまし汁。のこりの飯は握り飯にしておく。夜ふけて、野村吉哉さんが尻からげで遊びに来る。全身ずふぬれ。唇が馬鹿に紅い。中央公論に論文を書いたと云う。中央公論ってどんなのさ。千葉亀雄がおじさんだとかで、この人の紹介だそうだ。別にえらいとも思わないけれど、尊敬しなければ悪いのだと思って、感心してみせる。馬鹿に煙草を吸うひとだ。四畳半はもうもう。二階でマンドリンの音がしている。学生は金持ちでひま人ぞろいだ。吉原に行く学生もある。玉突きに行く学生もある。下宿で大事がられる学生は、いつも金だらいをさげて風呂に行っている。
     野村さんと握り飯を分けあって食べる。三角の月とか星とかの詩を読んでくれたけれども、さっぱり判らない。詩を書くには泣くことも笑うことも正直でなければならない。貧乏してまで言葉の嘘を書く必要はない。白秋が好きだと云ったら野村さんは笑った。白秋は溺(おぼれ)る詩人。人にうたわれる詩人だ。雀の好きな詩人。みみずくの家を持った詩人。九州の土から生れた詩人。
     十二時ごろ、恭ちゃんのところへ行くと云って野村さんまた尻からげで帰る。そっと襖を開けて廊下をうかがうあたり、うれしくなってしまう。馬鹿に脚の白いひとなり。

    (十月×日)
     渋谷の百軒店(ひゃっけんだな)のウーロン茶をのませる家で、詩の展覧会なり。
     ドン・ザッキと云う面白い人物にあう。おかっぱで、椅子の間を踊り歩く。紙がないので、新聞紙に詩を書いて張る。


    おそれながら申しあげます
    わたしはただ息をしている女
    百万円よりも五十銭しか知らない
    牛めしは十銭
    葱(ねぎ)と犬の肉がはいってるのね
    小さくてだるまみたいで
    よく泣いているおこりんぼ。

    いいえもういいのよ
    男なんかどうでもいいの
    抱きあって寝るだけのこと
    十五銭のコップ酒
    皿においてるけど
    馬鹿に尻だかで世間をごまかす
    酔えばいい気持ち
    千も万も唄いたくなるのよ。

    いずくにか
    わがふるさとはなきものか
    葡萄(ぶどう)の棚下に寄りそいて
    寄りそいて
    一房の青き実をはみ
    君と語ろう ひねもす
    ひねもす……。


     かえり十時。道玄坂の古本屋で、イバニエスのメイ・フラワア号を買う。四十銭也。駅の近くの居酒屋で赤松月船と酒を飲む。昆布巻き二つとコップ酒。馬鹿に勇ましくなる。
     下宿へ御きかん十二時。森とした玄関に大きい金庫が坐っている。あの中に何かあるのだろう。洗面所へ行って水を飲む。冷々としている。こおろぎがないている。ふっとつまらなくなる。一日一日が無為なり。いったいどうなるのか判らぬ。一度、田舎へかえりたいと思う。下宿を出る必要がある。夜逃げをするには、逃げこむさきを考えねばならぬ。
     寝ころんで、メイ・フラワア号を読む。破船の酒場が馬鹿に気に入った。

    (十月×日)
     詩人は共喰いの共産党だ。持ってるものは平等につかう。借金もそれ相当なもの。手近な目的はただ食べる事に追われるばっかり。人命終熄(しゅうそく)の一歩手前でうろうろしているばかりなり。天才は一人もいない。自分だけが天才と思っているからよ。それ故、私たちはダダイスト。只何となく感じやすく、激しやすく、信念を口にしやすい。何もないくせに、まずここんところから出発してゆくより仕方がない。
     風が吹くので、いろいろな男のことを考える。誰のところに逃げこんで行ったらいいのかと考える。だけど考える事は何もならない。勇気だけだ。何しろ、相手を驚かせる戦術なのだからはずかしい。またマンドリンがきこえて来る。籠の鳥の方がよっぽど羨(うらや)ましい。ああ狂人になりそうだ。
     こんなに童話を書き、講談を書いても一銭にもならないなんて。インキだって金がかかるのよ。
     昼から風の中を仕事さがしに歩く。
     何もない。人があまっている。美人はざくざく。只若いだけではどうにもならない。神田の古本屋でイバニエスを売る。二十銭にうれる。四十銭が二十銭に下落してしまった。九段下の野々宮写真館のとなりの造花問屋で女工募集をしている。何しろ手さきが不器用だから……薔薇(ばら)もチュウリップもまちがえて造りそうだ。日給八十銭は悪くない。不安の前には妙に嘔気(はきけ)が来る。嘔くものもない妙な不安な状態。やすくに神社はあらたか。まずていねいにおじぎをして一口坂の方へ歩く。
     あまてらすおおみかみの頃には、こんなに人もあまってはいなかったのだろう。美人もうようよいなかったのだろう。あまてらすおおみかみさまは裸で岩戸からのぞいておいでになる。かがみや、たまや、みつるぎは、どこでおもとめになったのか不思議だ。にわとりはどこで生れたのだろう。ああ昔はよかったに違いない。
     そのじせつになるとちゃんと秋の風が吹く。魚屋はみとれるほどの美しさ。しけであろうと嵐であろうと、魚は陸へどしどしあがって来る。胸に黄いろいあばらのついた軍服で、近衛(このえ)の騎馬隊が、三角の旗を立てて風の中を走ってゆく。馬も食っている。騎馬隊の兵隊さんも食っているのだ。何処かで琴の音がしている。豆腐屋では大鍋いっぱい油をはって油揚げを揚げている。荷車いっぱいにおからをバケツで積みこんでいる人夫がいる。酒屋の店さきの水道の水は出っぱなしで、小僧が一升徳利を洗っている。味噌樽(だる)がずらりと並び、味の素や福神漬や、牛鑵(ぎゅうかん)がずらりと並んで光っている。一口坂の停留場前の三好野では、豆大福が山のようだ。三好野へはいって一皿十銭のおこわと豆大福を二つ買って、たっぷりと二杯も茶をのんで、私は壁の鏡をのぞいている。
     おたふくさまそっくりで、少しも深刻味がない。髪の毛はまるでかもじ屋の看板のように房々として、びんがたりないので、まげがほどけかけている。世紀がふくらむごとに、大量に人がふえてゆく。悲劇の巣は東京ばかりでもあるまい。田舎の女学校では、ピタゴラスの定理をならい、椿姫(つばきひめ)の歌をうたい、弓張月を読んだむすめが、いまはこんな姿で、悄然(しょうぜん)と生きている。大福の粉が唇いっぱいにふりかかり、まるで子守女のつまみぐいの図だ。
     夜。また気をとりなおして童話の続きにかかる。風はますますひどくなって来た。酔っぱらいの学生が二階の廊下で女中をからかっている。時々声が小さくなる。誰かが二階から中庭へむけて小便をしていると見えて、女中がいけませんよッと叱っている。


    罌粟(けし)は風に狂う
    乾草(ほしくさ)の柩(ひつぎ)のなかに腹這う哀愁
    頤(おとがい)の下に笑いを締め出して
    じいと息を殺してみるのが人生
    山の彼方(かなた)には雲ばかり
    気の毒なやせ馬の雲に乗って
    幸福なんか来ると思うのがまちがい
    地獄におちよ生きながら
    地獄におちて這いまわる
    罌粟の範囲で散りかかる
    強迫善意のごうもん台
    運命のなかでの交渉
    刺(とげ)だらけの青春
    男が悪いのではない
    みんな女が不器用だからだ
    やたらに自由なぞあるものか
    勝手にいじめぬく好奇心の勧工場
    安物の手本ばかりが並んでいる


     夜が更けて来るにつれて風もしずかになり、あたり一面平野の如し。童話のなかの和製ハンネレが少しも動いてこない。第一、私はハンネレのような淋しい少女はきらい。それでも和製ハンネレを書かないことには、本屋さんはみとめてくれないのだ。一枚三十銭の原稿料とはいい気なものだ。十枚書いてまず三円。十日は満足に食べられます。
     えらい童話作家になろうとは思わぬ。死ぬまで詩を書いてのたれ死にするのが関の山。おかあさんごめんなさい。芙美子さんはこれきりなのよ。これきりで死んでしまうのよ。誰が悪いのでもない。なまける心はさらさらないのだけれど、どうにも一人だちの出来ぬ生れあわせです。貧乏は平気だけれど、死ぬのは痛いのよ。首をつるのも、汽車にひかれるのも、水に飛び込むのもみんな痛い。それでも死ぬ事を考えています。
     たった一度でいいから、おかあさんに、四五十円も送れる身分にはなりたいと空想して泣く事もあります。
     いろはと云う牛肉店の女中になろうかと思います。せめて、手紙の中へ、十円札の一枚も入れて送ってあげましょう。
     下宿住いはこりごり。収入の道もないのに、小さいお櫃の御飯がたべたいばっかりに下宿住いをしたら、こういん矢の如し。すぐ月日がたってゆくのには閉口頓首(とんしゅ)。
     第一、何かものを書こうなぞとは妙なことです。でもね、私は小説と云うものを書いてみたいと思います。島田清次郎と云うひとも、あっと云うような長いものを書いたのだそうです。小説はむつかしいとは思いますけれど、馬がいななくような事を書けばいいのよ。一生懸命息はずませてね。
     おかあさん元気ですか。もう、じき住所はかえます。また、誰かといっしょになろうと思います。仕方がないんですよ。靴がやぶけて水がずくずくとはいって来るような厭な気持ちなのです。小説を書いたところでひょっとしたら大した事ではないかもしれません。いつも、何だって、つっかえされてがっかりすることばかりですからね。一人でいると張合いがないのです。
     自分で正しいと思う判断がまるきりつかない。自信がなくなると、人間はぼろくずのようになってしまう。はっきりと、これが恋だと思うような事をしたこともない。ただ、詩を書いている時だけが夢中の世界。
     下宿住いと云うものは、人間を官吏型にしてしまう。びくびくと四囲をうかがう。大した人間にはなれない。月末には蒲団を干して、田舎から来た為替を取りに行く。たったそれだけで下宿の月日は過ぎて行くのでしょう。私のことじゃないのよ。ここにいる学生達の事なの……。ハイネ型もいなければ、チエホフ型もいない。ただ、自分を見失ってゆくくんれんを受けるだけ。
     童話を書きあげて夜更け銭湯へ行く。

    40 min
  • 林 芙美子 放浪記第三部 その2
    参照テキスト: 青空文庫図書カード№1813

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    (七月×日)
     山のように厚いノートはないものか、枕のようにでっかいノート。
     頭のなかにたまっている、何もかも、きっちり挾(はさ)んで逃げないようにしておきたい。
     オカアサマ、私生児はへこたれませんよ。もうめんどうなことは考えないでいましょう。どんなに家柄がいいと云ったところで落ちぶれてどろどろになる貴族もいます。貴族とは紋のような紋。あおいの紋は立派だそうだけれど、私はやっぱり菊や桐の紋が好きです。
     私は折れた鉛筆のようにごろりと眠る。
     世の中はいろんなもので賑やかだ。
     十二社(じゅうにそう)の鉛筆工場の水車の音が、ごっとんごっとん耳に響く。爽やかな風が吹いているのに私は畳に寝ころんでいる。只、呆んやりと哀しくなるばかり。本当はちっとも死にたくはないのに、私はあのひとに、死ぬかもしれないと云う手紙を書きたくなった。
     少しも死にたくはないのに、死にたいと思うこともある。空想が象のようにふくらんで来る。象が水ぶくれになってよたよたと這(は)いまわって来る。
     何処かで鮭(さけ)を焼く匂いがしている。
     あのひとが走って来てくれるような、長い手紙を書きたかったけれど、紙もインクもない。新宿の甲州屋の陳列のなかの万年筆が、電信柱のようににゅっと眼に浮ぶ。二円五十銭だったかな。紙はつるつるしたのが自由自在だけれど、こちらは素かんぴん。ああどうよくではござりませぬか。
     森々とよく蝉(せみ)が啼(な)きたてている。
     部屋の中を見まわしてみる。かび臭い。床の間もなければ、棚も押入もない。この暑いのに、オッカサンはまだネルの着物を着ている。洗いざらしたネルの着物で、ことことさっきからキャベツを刻んでいる。部屋の隅に板切を置いて、まことにきれいな姿なり。
     私たちはキャベツばっかり食べている。ソースをかけて肉なしのキャベツをたべる。それはねえ、ただ、まぼろしの料理。夢のなかの出来事さ。粉挽(こなひき)も見た事がない。魚はもちろん、魚屋の前は眼をつぶって、息を殺して通る。あいなめに、鯛に、さばに、いさき、かつおの紳士。――フランセ・ママイといってね、時々私の処(ところ)へ夜噺(よばなし)に来る笛吹きの爺さんが、ああドーデーと云う方は金に困らぬ小説家なのであろう。風車小屋だよりは、ぜいたく至極な物語りで、十二社の汚ない風車小舎(ごや)とはだいぶおもむきが違うのであろう。俳句でもつくってみたくなるけれど、どうも、川柳もどきになってしまう。風に吹かれただけで俳句がつくりたくなる。蝉の声をきいただけで、ああと溜息(ためいき)まじり。
     さあ、そろそろ時間が来ました。
     神楽坂(かぐらざか)に夜店を出しに行く。藁店の床屋さんから雨戸を借りて、鯛焼き屋の横に店をひろげる。

    (七月×日)
     朝から雨。
     仕方がないからオッカサンと風呂に行く。着物をぬぐと私は元気になって来る。富士山のペンキ絵がべろんと幕を張ったよう。松が四五本あって、その横に花王せっけんの広告。
     おなかの大きい不器量なおかみさんが一人、鏡の前で鼻唄をうたっている。どうして、あんなにむやみにおなかがふくれるのか私にはわからない。どうしたはずみで、あんなおなかになるのだろう。それでも、見ているととても愛らしい。何度も、まあるいおなかに湯をかけている。
     窓の外を誰か口笛をふいて通っている。養父さんは北海道へ行ってそれっきり。仲々思わしい仕事もないのであろう。私も口笛を吹いてみる。
     ああ、そはかのひとか、うたげのなかに、女学校時代のことがふっとなつかしく頭に浮んで来る。宝塚の歌劇学校へ行ってみたいと思った事もあった。田舎まわりの役者になりたいと思った事もあった。初恋のひとは、同級の看護婦といっしょになってしまった。
     ここから尾道は何百里も遠い。まるで、虫けらみたいな生きかただ。東京には、いっぱい、いい事があると思ったけれど何もない。
     裸になっている時が一等しあわせだ。
     オッカサンは流しの隅っこで円くなって洗濯をしている。私は風呂の中であごまでつかって口笛を吹く。知っているうたをみんな吹いてみる。しまいには出たら目な節で吹く。出たら目な節の方がよっぽど感じが出て、しみじみと哀しくなって来る。昨夜読んだ、ユジン・オニイルの「長いかえりの船路」の中の、イヴン、てめえ、娘っ子に会いたいって唸(うな)ってたんだぜ、そのくせ、娘っ子がやって来ると、てめえ、豚小舎の豚のように喉(のど)をならしてやがるんだと云うところを思い出した。
     私はもう娘ではないけれど、何だか、娘さんみたいな気持ちになって来る。
     夜、ひどい吹き降りになった。
     電気をひくくさげて、小さいそろばんをはじく。いくらそろばんをはじいたところで、金が出て来るものでもない。オッカサンは鉛筆をなめなめ帳面づけ。いくらそろばんをはじいても、根が呆んやりと、うわのそらでいるせいか、いっこうに勘定に身がはいらない。まちがえてばかりいる。それでも只ひとりの肉親がそばにいる事は賑(にぎ)やかでいいものだ。
     花ちゃんやア、はあい……私はろくろ首の女だ。どこへでも首がのびて自由自在。油もなめに行く。男もなめにゆく。

    (八月×日)
     万世(まんせい)橋の駅に行く。
     赤レンガの汚れた建物。広瀬中佐が雨に濡れている。
     万惣(まんそう)の果物店で、西瓜(すいか)がまっかに眼にしみる。私は駅の入口に立って白いハンカチを持って立っている事になっている。どんな男が肩を叩くのかは知らない。双葉劇団支配人と云うのは、どんなかっこうで電車から降りて来るのだろう。
     古池や蛙(かわず)飛び込む水の音。私はその蛙さんなのよ。仕方がないから古池へどぼんと飛び込むのさ。むつかしい事なんか考えちゃいない。只、どぼんと飛びこむだけのこと。
     眼鏡をかけた背の高い男が私の前を通って、またふっと後がえりして立った。充分自信のあるいでたち。「広告を見たひと?」「ええそうです」その男は歩き出した。私も、犬のようにその男の後からついて行った。まさか、私が、夜店を出しているしがない女とは思うまい。私は今日は、びっくりするほど、おしろいを白くつけて来たのだ。田舎娘上京の図である。
     雨の中を須田町まであるいて、小さいミルクホールへはいる。この男も、あまり金があるのでもあるまい。
     双葉劇団と云うのは田舎まわりの芝居なのだそうだ。女優が少ないので、もうすぐからでもけいこにかかってもいいと云った。
     白いハンカチが胸ポケットからはみ出ている。何だか忘れそうな影のうすい顔だ、いやらしいものが直感で胸に来る。どんな事でもがまんはするけれど、こんな男にだまされるのは厭(いや)だ。サラリーは働き次第だと云う事だけれど、私は戸外の雨ばかり見ていた。
     五銭の牛乳を二杯御ちそうして貰う。私は牛乳をわざわざ飲みたいとは思わない、揚げたてのカツレツがたべたいのだもの。
     私が履歴書を出すと、その男は煙草で汚れた指で、ざっと拡げて、履歴書をポケットへしまった。履歴書よりも、この男は私の躯が必要なのかも知れない。
     ボイルの浴衣に雨傘を持ったよれよれの女の姿はこの男には却(かえ)って好都合なのだろう。神田の三崎町のホテルに事務所があると云うのでついて行ったけれど、出て来た女中は始めての客のような顔をしている。
     事務所と云うのは空想の事務所。何もない部屋のすがたは妙に落ちつきがない。
     その男は嘘ばかり云うので、私も嘘ばかり云う。世の中は味なものではございませんか。
     鉛筆工場の水車の音がごっとんごっとん耳について来る。どんな芝居をやってみたいかと云うので、皿屋敷の菊と云う役、どんどろ大師のお弓、それからカチュウシャのようなのとならべたててみる。きれいな幕が見える。お客さんが手を叩く。なんなら、二階から手紙を読むお軽もいい。菊次郎と云う女形の美しい姿をおぼえているので、私の空想は自由自在だ。菊次郎も松助も、左団次もこの男は何も知らない。
     いっしょに遊びたいと云ったけれど、私はもう、芝居者のような気持ちで、気が浮かないから厭だと云って立ちあがった。
     急に遊びたいなんておかしいじゃないのとさっさと階下へ降りると、女中が「あら、おそばが来ましたよ」と云った。ざるそばの赤うるしのまるい笊(ざる)が重ねてあったが、にっこり笑って戸外へ出た。傘をさすのも忘れて雨の中を歩く。ごうごうと電車の音ばかり。四方八方電車の唸りだ。
     いやに、赤うるしのざるそばの重ねたのが眼についてはなれない。四つもあの男はそばを食べるのかしら……。そばが食べたいな。
     巷(ちまた)に雨の降るごとく、何処かの誰かがうたった。重たい雨。厭な雨。不安になって来る雨。リンカクのない雨。空想的になる雨。貧乏な雨。夜店の出ない雨。首をくくりたくなる雨。酒が飲みたい雨。一升位ざぶざぶと酒が飲みたくなる雨。女だって酒を飲みたくなる雨。昂奮(こうふん)してくる雨。愛したくなる雨。オッカサンのような雨。私生児のような雨。私は雨のなかをただあてもなく歩く。

    (八月×日)


    うれいひめたるくちうたは
    うたともなりぬ けむりとも


     長い行列のなかに立っていると、女と云うものは旗のように風まかせになって来る。早いはなしが、この長い行列の女たちだって。ただいい暮しさえあれば、こんな行列には立たなくても済むのだ。何か職がほしいと云う事だけでしばられているにすぎない。
     失業は貞操のない女のように荒(すさ)んでむちゃくちゃになって来る。たった三十円の月給が身につかないとは何とした事であろう。五円もあれば、秋田米のぱりぱりが一斗かえる。ほっこりとたきたてに、沢庵(たくあん)をそえてね。それだけの願いなのよ。何とかどうにかなりませんか。
     行列は少しずつちぢまり、笑って出て来るもの、失望して出て来るもの、扉の前に立っている私達は、少しずついらいらとして来る。
     菜種問屋の、たった二人ばかり入用の女事務員がざっと百人あまりも並んでいる。やっと私の番になった。履歴書と引きくらべて、まず、人品骨柄、器量がいいか悪いかできまる。しばらく晒(さらし)ものになって、ハガキで通知をしますと云う返事。こんなのは毎度のことで馴れてはいるけれど何とも味気ない。ふしあわせな生れつきだと思う。飛びきりに美しいと云う事は、それだけでもけっこうな事であろう。私には何もない。ただ丈夫な身体があると云うだけ。
     生きていて、まず、何とか生活してゆくと云う人間の大切ないとなみが、いつも失敗むざんだ。堕落してゆくに都合のいいレディーメイド。やとい主は烱眼(けいがん)むるいだ。こんな女なぞはやとってくれない。
     だけど、もし、やとってもらって、三十円も月給を貰えたら、私は血へどを吐くほど一生懸命働きたいのだけど……。もう、お天気の日を選んで夜店を出すのは厭になった。
     ほんとに厭な事だ。土ぼこりをいっぱい吸って眼の前に立ちどまる人をそっと見上げて笑うしぐさにあきあきした。卑屈になって来る。私はまず何としても広いロシヤへ行きたいね。旦那(バーリン)、旦那(バーリン)。ロシヤは日本よりか広いに違いない。女の少ない国だったらどんなにいいだろう。


    インキを買ってかえる。
    何とかしておめもじいたしたく候。
    お金がほしく候。
    ただの十円でもよろしく候。
    マノンレスコオと、浴衣と、下駄と買いたく候。
    シナそばが一杯たべたく候。
    雷門(かみなりもん)助六をききに行きたく候。
    朝鮮でも満洲へでも働きに行きたく候。
    たった一度おめもじいたしたく候。
    本当にお金がほしく候。


     手紙を書いてみるがどうにもならぬ。あのひとにはもうお嫁さんがあるのだ。ただ、なぐさみに歌の文句を書いてみるだけ。
     夜。
     眠れないので、電気をつけて、ぼろぼろのユジン・オニイルを読む。家主の大工さんが、夜どおし、ろくろをまわして、玩具(おもちゃ)のコマをつくっている。どのひとも、夜も日もなく働かねば食えない世の中なり。蚊がうるさいけれど、蚊帳のない暮しむきなので、皿におがくずを入れていぶす。へやの中がいぶる。それでも蚊がいる。丈夫な蚊だ。うるさい蚊だ。オッカサンに浴衣を買ってやりたいと思うけど仕方がない。

    (八月×日)
     爽やかな天気だ。まばゆいばかりの緑の十二社。池のまわりを裸馬をつれた男が通っている。馬がびろうどのような汗をかいている。しいんしいんと蝉が鳴きたてている。
     氷屋の旗がびくともしない。
     オッカサンも私も背中に雑貨を背負って歩いている。全く暑い。東京は暑いところだ。
     新宿までの電車賃をけんやくして、鳴子坂の三好野で焼団子を五串(くし)買ってたべる。お茶は何度でもおかわりして、ああ一寸だけしあわせ。
     オニイルは名もない水夫で、放浪ばかりしていて、子供の時は手におえぬ悪童で、大きくなって、ボナゼアリス行きの帆船に乗りこんで粗暴な冒険にみちた生活をしたのだそうだ。偉くなってしまえば、こんな身上話もああそうなのかと思う。私も芝居を書いてみようかな。きそう天外な芝居。それとも涙もなくなる奴。オニイルだって、いつも悲愴(ひそう)な時ばかりではなかったであろう。
     時には鼻唄まじりにいいごきげんな時もあったに違いない。
     よろよろと荷をかついで、小さいべっぴんさんは暑い街を歩く。どうでもいいのだ。もうやぶれかぶれなのだ。はっきりと路の上にうつした影はひきがえるのように這(は)っている。
     哀れなオッカサンが何故(なぜ)私を生んだのだろう。私生児と云う事はどうでもいい事だけれど、オッカサンには罪はない。何の咎(とが)める事があろう。世界のどこかのおきさきさまだって私生児を生む事もある。世の中と云うものはそんなものだ。女は子供をうむために生きている。むずかしい手つづきをふむことなんか考えてはいない。男のひとが好きだから身をまかせてしまうきりなのだ。
     神楽坂の床屋さんで水をのませて貰う。
     今日は縁日で夕方から賑やかなのだそうだ。
     きれいな芸者が沢山歩いている。しのぶ売りも金魚屋も出ている。今日は水中花を売るおばさんの隣りに場所割りがきまる。
     店を出して、私は雨傘を出してゴザの上に坐る。何とも暑い夕陽だ。夕陽は何処から来るのだろう。じりじりと照りつけるなぎのような暑さ。人通りが馬鹿に多いけれど、パンツも沓下(くつした)もステテコもなかなか売れそうにもない。オッカサンは下谷までお使い。
     市松の紙の屋根を張った虫売りが前の金物屋の店さきに出た。じょうさい屋が通る。
     みがきこんだおかもちをさげたてぬぐい浴衣の男が、自転車に片足かけて坂をすべってゆく。
     華やかな町の姿だ。一人だって、雨傘をさしてしゃがんでいる女には気にもとめない。


    おえんまさまの舌は一丈
    まっかな夕陽
    煮えるような空気の底

    哀しみのしみこんだ鼻のかたち
    その向うに発射する一つのきらめき
    別に生きようとも思わぬ
    たださらさらと邪魔にならぬような生存

    おぼつかない冥土(めいど)の細道から
    あるかなきかのけぶり けぶり
    推察するようなただよいもなく
    私の青春は朽ちて灰になる、

    本当の事を云って下さい
    只それが知りたいだけだ
    人非人と同様の土ぼこりの中に
    視力の近い虹(にじ)の世界が
    いっぱい蝸牛(かたつむり)をふりおとしている
    一つ一つ転げおちて草の葉の露と化して
    茫(ぼう)の世界に消えてゆく
    悪企みは何もないもろい生き方
    血と匂いを持たぬ蝸牛の世界

    ああ夢の世界よ
    夢の世のぜいたくな人達を呪(のろ)う
    何のきっかけもない暑い夕陽の怖ろしさ。


     私はぱりぱりに乾いてゆく傘の下で、じいっと赤い夕陽を眺めていた。

    30 min
  • 林芙美子 放浪記第三部 その1
    参照テキスト: 青空文庫図書カード№1813

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         第三部

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    (三月×日)

    烏(からす)が光る
    都会の上にも光る
    烏が白く光る
    花粉の街 電信柱のいただき
    ゆれますよ ゆれてるよ
    停るところがない
    肺が歌う 短い景色の歌なの。

    茶色の雨の中を
    私は耳をおさえて歩く
    耳が痛い 痛いのよ
    雨中の烏が光る
    もがきながら飛ぶ
    杳(はる)かな荒野の風の夢
    肺が歌う 短い景色の歌なの。

    私は何故歩くのだろう
    烏の命数だ
    烏のようにどこかで私は生れた
    停るところのない夜
    光って飛ぶ
    自分が光るのではない
    四囲の光線がわっと笑うのだ
    私の肺が歌う それだけなの……。

    独り住いの猫 独り住いの犬
    誰もいない路(みち)の石ころ
    露が消える
    烏の空 光る烏
    釘(くぎ)を抜くようなすべっこい光
    よろめき よろめき 只光る烏
    肺が歌う 肺だけが歌うだけなのよ。


     二つの肺の袋だけが私のような気かする。郵便がもどって来たので、ああそうかと思う。
     読売新聞に送った「肺が歌う」と云う詩、清水さんと云うお方が長くて載せられぬと云う手紙だ。花柳病の薬の広告はいやにでっかく出ているけれども、貧乏な女の詩は長くて新聞には載せられないのだ。
     たった八頁の新聞は馬鹿な詩なぞよちがないのだ。
     ピアレスベッドの広告が出ている。私はこんな丈夫な、ハイカラなベッドに一度も寝たことがない。タイガー美人女給募集。白いエプロンをかけて、長い紐(ひも)を蝶々のように背中で結んで、ビールの栓抜きに鈴をつけた洒落(しゃれた)女給さんが眼に浮ぶ。新聞を見ていると、どろんこの轍(わだち)の中へ、牛の糞(ふん)をにじりつけたような気持ちの悪さになって来る。
     さて、どっこいしょ!
     いやに躯(からだ)が重たいな。バナナのたたき売りが一山十銭。ずるずるにくさりかけたのを食べたせいか躯中に虫がわいたようになる。朝っぱらから、何処(どこ)かで大正琴を無茶苦茶にかきならしている。
     肺が歌うなぞと云う、たわけた詩が金になるとは思わないけれども、それでも、世間には一人位はものずきな人間がありそうなものだ。
     寝床をかたづけて髪結いに行く。
     金鶴香水を一瓶(びん)もつけたような、大柄な女が髪を結ってもらっていた。あんまり匂いがはげしいので、袖で鼻をおさえていたいような気がする。頭が痛くなる。奥では髪結さん一家が、そうがかりで桜の造花つくりの内職だ。眼がさめるようだ。
     もうじき花見なのだ。
     桃割れに結って貰う。安いかもじなので、どうにも工合が悪く、眉も眼尻も吊(つ)りあがるほどだ。二階で、急に、女の声で、「助平だねえッ」と云った。みんなびっくりして、天井をみあげる。
    「また昼間っからやってるよ。どったんばったん角力(すもう)ばかりやってンですよ。――なあにね、酔っぱらって、おかみさんをいじめるのが癖なンで……」
     髪結さんがびんまどに、筋槍をつきたてながらくすくす笑っている。みんなも笑った。御亭主は株屋で、細君は牛屋(ぎゅうや)の女中だそうだ。朝から酒を飲んで、寝床をたたんだ事がないと云う夫婦だそうだ。
     白いたけながをかけてもらう。結い賃が三十銭、たけながが二銭、三十五銭払う。
     まるで頭の上は果物籠をのっけたような感じ、十五日ぶりでさっぱりとする。
     肺が歌うがつっかえされたのだから、今度は品をかえて童話を持って行く事にする。
     茅町(かやちょう)から上野へ出て、須田町行きの電車に乗る。埃(ほこり)がして、まるで夕焼みたいな空。何だか生きている事がめんどうくさくなる。黒門町からピエロの赤い服を着たちんどん屋の連中が三人乗り込んで来る。車内はみんなくすくす笑い出した。若いピエロが切符を切って貰っている。青と紅のだんだら縞の繻子(しゅす)の服で、顔だけは化粧をしていないので、なおさら妙だ。
     あんなかっこうをして生きてゆく人もある。日当はいくら位になるのかしら……。私は知らん顔をして窓の外を見ていたけれど、段々、むちゃくちゃになってもいいような気がしてきた。一人位、私と連れ添う男はないものかと思う。
     私を好きだと云うひとは、私と同じようにみんな貧乏だ。風に吹かれる雨戸のようにふわふわしている。それっきりだ。
     銀座へ出て滝山町の朝日新聞に行く。中野秀人と云うひとに逢う。花柳はるみと云う髪を剪(き)ったはいからな女のひとと暮しているひとだと風評にきいていたので、胸がどきどきした。世間のひとと云うものは、なかなかひとの貧乏な事情なぞ判ってはもらえない。詩をそのうち見ていただきますと云って戸外へ出る。
     中野さんの赤いネクタイが綺麗(きれい)だった。
     紹介状も何もない女の詩なんか、どこの新聞社だって迷惑なのだ。銀座通りを歩く。
     広告に出ていたタイガーと云う店があった。並んで松月と云う店もある。みとれるように綺麗なひとがきどった小さい白まえだれをしてのぞいている。胸まであるエプロンはもう流行(はやら)ないのかしら。
     砂まじりの強い風が吹いた。
     四丁目で、コック風な男が、通りすがりの人に広告マッチを一つずつくれている。私も貰った。後がえりして二つも貰った。
     ものを書いて金にしようなぞと考えた事が、まるで夢みたいに遠い事に思える。表通りの暮しは、裏通りの生活とはまるきり違うのだ。十銭の牛飯も食えないなんて……。

    (三月×日)
     ハイネとはどんな西洋人か知らない。
     甘い詩を書く。
     恋の詩も書く。ドイツのお母さんの詩も書く。そして詩が売れる。生田春月と云うひとはどんなおじさんかな……。ホンヤクと云う事は飯を煮なおして、焼飯にする事かな。ハイネと生田春月はどんなカンケイなのか知らないけれど、本屋の棚にハイネが生れた。ぽつんと立っている。
     私は無政府主義者だ。
     こんなきゅうくつな政冶なんてまっぴらごめんだ。人間と自然がたわむれて、ひねもす生殖のいとなみ……それでよいではございませんか。猫も夜々を哀れにないて歩いている。私もあんなにして男がほしいと云って歩きたい。
     箒(ほうき)で掃きすてるほど男がいる。
     婆羅門(バラモン)大師の半偈(はんげ)の経とやら、はんにゃはらみとは云わないかな……。
     蛆(うじ)が湧わくのだ。私の躯に蛆が湧くのだ。
     朝から水ばかり飲んでいる。盗人にはいる空想をする。どなたさまも戸締りに御用心。いまのところ、私は立派な無政府主義者を自任している。ひどいことをしてみせようと思っている。
     夜。牛めしを食べて、ロート眼薬を買う。

    (五月×日)
     夜、牛込の生田長江(ちょうこう)と云うひとをたずねる。
     このひとはらい病だと聞いていたけれど、そんな事はどうでもいい。詩人になりたいと云ったら、何とか筋道をつけてくれるかもしれない。
     私はもう七十銭しか持っていないのだ。
     蒼馬(あおうま)を見たりと云う題をつけて、詩の原稿を持ってゆく。古ぼけた浪人のいるような家だ。電燈が馬鹿にくらい。どんなおばけが出て来るかと思った。
     部屋の隅っこに小さくなっていると、生田氏がすっと奥から出て来た。何の変哲もない大島の光った着物を着ている、痩やせた人だった。顔の皮膚がばかにてらてら光っている。
     声の小さい、優しいひとであった。
     何も云わないで、原稿を見ていただきたいと云ったら、いま、すぐには見られないと云う。
     私は七十銭しか持っていないので、躯中がかあと熱くなる。
    「どんなひとの詩を読みましたか?」
    「はい、ハイネを読みました。ホイットマンも読みました」
     高級な詩を読むと云う事を、云っておかないと悪いような気がした。だけど、本当はハイネもホイットマンも私のこころからは千万里も遠いひとだ。
    「プウシュキンは好きです」
     私はいそいで本当の事を云った。
     あなたも御病気で悲惨のきわみだけれど、私も貧乏で、悲惨のきわみなのです。四百四病の病より、貧よりつらいものはないと、うちのおっかさんが口癖に云います。だから、私はころされた大杉栄(さかえ)が好きなのです。
     広い部屋。暗い床の間に切り口の白い本が少し積み重ねてある。シタンの机が一つ。暑くるしいのに障子が閉めてある。傘のない電燈が馬鹿にくらい。
     遠くに離れて坐っているので、生田さんは馬鹿に細っこく見える。四十位のひとだと思う。
     何と云う事もなく、生田春月と云うひとを尋ねるべきだったと思う。婆やさんみたいなひとがお茶を持って来たので、私はがぶりと飲んだ。
     病気のひとをぶじょくしてはいけないと思った。
     詩の原稿をあずけて帰る。
     どうにかなるだろう。どうにもならないでもそれきり。
     上野広小路のビールのイルミネーションが暗い空に泡(あわ)を吹いている。宝丹の広告燈もまばゆい。
     おしる粉一ぱいあがったよのだみ声にさそわれて、五銭のおしる粉を食べた。夜店が賑(にぎ)やかだ。
     水中花、ナフタリンの花、サスペンダー、ロシヤパン、万能大根刻み、玉子の泡立器、古本屋の赤い表紙のクロポトキン、青い表紙の人形の家。ぱらぱらと頁をめくると、松井須磨子の厚化粧の舞台姿の写真が出て来る。
     福神漬屋の酒悦(しゅえつ)の前は黒山のような人だかり。インド人がバナナのたたきうりをしている。
     十三屋の櫛屋(くしや)の前に、艶歌師がヴァイオリンを弾いていた。みどりもふかきはくようの……ほととぎすの歌だ。随分古めかしい歌をうたっている。
     いっとき立ちどまってきく。年増(としま)のいちょうがえしの女がそばに立っていた。昔、佐世保にいた頃、私はこの歌をきいた事がある。誘われるようななつかしさを感じる。
     艶歌師がうたってくれるようないい小説が書きたい。だけど、小説は長ったらしくてめんどうくさい。ルパシカを着て、紐を前で長く結んでいる艶歌師の四角い顔が、文章倶楽部(クラブ)の写真で見た、室生犀星(むろうさいせい)と云うひとに似ている。
     路地をはいってゆくと、湯がえりの階下のおばさんに逢った。おばさんは洗濯物を夜干していた。
    「部屋代、何とかして下さいよ。本当に困るンですからね……」
     はいはい、私だって本当に困るンですよ。じっさいのところ、私だって苦労しつづけたのですよと云いたかった。
     明日は玉の井に身売りでもしようかと思う。

    (五月×日)
     地虫が鳴いている。
     ぷちぷち音をたてて青葉が萌(も)えてゆくような気がする。夜中だ。おいなりさんを売りに来る。声が近くになり、また遠くなってゆく。狐寿司はうまいだろうな。甘辛い油揚げの中にいっぱいつまった飯、じとじと汁がたれそうなかんぴょうの帯。
     階下ではばくちが始っている。


    魚の骨の骨
    水流に滴(したた)る岸辺の草
    魚の骨の骨
    蕨色(わらびいろ)の雲間に浮ぶ灰
    今日(こんち)はと河下のあいさつ
    悶(もん)と云う字 女の字
    悶は股(また)の中にある
    嫋々(じょうじょう)と匂う股の中にある
    悶と云う字よ。

    魚の骨の骨
    弓をひいて奉る一筆
    魚の骨の骨
    還(また)かえってくる情愛
    愁(しゅう)と云う字 その字
    天下の人々が口にする
    腸(はらわた)のなかにある
    愁いの海に沈む舟よ。

    一切無我!

       ○

    この街にいろいろな人が集ってくる
    飢えによる堕落の人々
    萎縮(いしゅく)した顔 病める肉体の渦
    下層階級のはきだめ
    天皇陛下は狂っておいでになるそうだ
    患っているもののみの東京!

    一層怖(おそ)ろしい風が吹く
    ああ、何処(どこ)から吹く風なのだ!
    情事ははびこる かびが生える
    美しい思想とか
    善良な思想と云うものがない
    おびえて暮している
    みんな何かにおびえている。

    隙間から見える蒼(あお)ざめたる天使
    不思議な無限……
    神秘なことには陛下は狂っておいでになると云う。
    貧弱な行為と汎神論(はんしんろん)者の鍋(なべ)
    りくぞくと集ってくる人々
    何かを犯しに来る人々の群
    街の大時計も狂いはじめた。


    (五月×日)
     雨。
     ユーゴーの惨めな人々を読む。
     ナポレオンは英雄で、ワーテルローの背景をすぐ眼に浮べるほど立派なおかたと思っていたのだけれど、共和制をくつがえして、ナポレオン帝国をたてた矛盾が、変に気にかかって来る。こうした世の中で、たった一片のパンを盗んだ男が十九年も牢ろうへはいっている事も妙だ。
     たった一片のパンで、十九年の牢獄生活に耐えてゆく、人間も人間。世の中も世の中なりか。
     駄菓子屋へ行って一銭の飴玉(あめだま)を五ツ買って来る。
     鏡を見る。愛らしいのだが、どうにもならぬ。
     急に油をつけて髪をかきつけてみる。十日あまりも髪を結わないので、頭の地肌がのぼせて仕方がない。
     脚がずくずくにふくらんできた。穴があく。麦飯をどっさりたべるといい。どっさり食べると云う事が問題だ。どっさりとね……。
     ナポレオンのような戦術家が生れて、どいつにもこいつにも十年以上の牢獄を与える。人民はまるでそろばん玉みたいだ。不幸な国よ。朝から晩まで食べる事ばかり考えている事も悲しい生き方だ。いったい、私は誰なの? 何なのさ。どうして生きて動いているんだろう。
     うで玉子飛んで来い。
     あんこの鯛焼(たいやき)飛んで来い。
     苺(いちご)のジャムパン飛んで来い。
     蓬莱軒(ほうらいけん)のシナそば飛んで来い。
     ああ、そばやのゆで汁でもただ飲みして来ようか。ユーゴー氏を売る事にきめる。五十銭もむつかしいだろう……。
     良心に必要なだけの満足を汲くみ取りか、食慾に必要なだけの金を工面して生きてゆくことにも閉口トンシュでございます。
     ナポレオン帝政下の天才について。
     或る薬屋が軍隊のために、ボール紙の靴底を発明し、それを革として売出して四十万リーブルの年金を得たのだそうだ。或る僧侶(そうりょ)が、只、鼻声だと云うために大司教となり、行商人が金貸しの女と結婚して、七八百万の金を産ませた。十九世紀のさなかにある、フランスの修道院は、日に向っている梟(ふくろう)に過ぎないなんて……三度の革命を経てパリーはまた喜劇のむしかえし。
     私は今日はこれから、この偉大なユーゴーの「みぜらぶる」と別れなければならない。
     天才とは……ちっぽけな日本にはございません。気違いがいるだけ。だあれも、天才なんて見たことがない。天才とはぜいたく品みたいなものだ。日本人は狂人ばかりを見馴れて葬ることしか出来ない。
     おいたわしや、気が狂ったと云う陛下も、本当は天才なのかもしれない。くるくるとおちょくごをお巻きになって、眼鏡にして臣下をごらんになったと云う伝説ごとだけれど、哀れな陛下よ。あなたは哀(かな)しいばかりに正直な天才です。
     終日雨なり。飴玉と板昆布(いたこんぶ)で露命をつなぐ。

    (五月×日)
     蒼馬を見たりを生田氏より送りかえして貰う。日光にさらす。陽にあたると、紙はすぐくるりと弾はねあがる。
     詩は死に通じると云うところでしょうね。ええ御返事がないところはひきょうみれん……。
    「少女」と云う雑誌から三円の稿料を送って来る。半年も前に持ちこんだ原稿が十枚、題は豆を送る駅の駅長さん。一枚三十銭も貰えるなんて、私は世界一のお金持ちになったような気がした。――詩集なぞ誰だってみむきもしない。
     間代二円入れておく。
     おばさんは急に、にこにこしている。手紙が来て判を押すと云う事はお祭のように重大だ。三文判の効用。生きていることもまんざらではない。
     急にせっせと童話を書く。
     みかん箱に新聞紙を張りつけて、風呂敷を鋲(びょう)でとめたの。箱の中にはインクもユーゴー様も土鍋も魚も同居。あいなめ一尾買う。米一升買う。風呂にもはいる。
     豚の王様、紅(あか)い靴、どっちも六枚ずつ。風呂あがりのせいか、安福せっけんの匂いが、肌にぷんぷん匂う。何と云う事もなく、せっけんの匂いをかいでいたら、フランスと云う国へ行ってみたいなと思う。
     日本よりは住み心地のいいところではないかしら……。夢にみるほど恋いこがれてみたところで仕方がない。猫が汽車に乗りたいと思うようなものだ。
     私のペンは不思議なペン。
     私は地図のようなものを書いてみる。まず、朝鮮まで渡って、それから、一日に三里ずつ歩けば、何日目には巴里(パリー)に着くだろう。その間、飲まず食わずではいられないから、私は働きながら行かなければならない。
     一寸ちょっと疲れて来る。
     夜、あいなめを焼いて久しぶりに御飯をたべる。涙があふれる。平和な気持ちになった。

    (五月×日)

    なまぐさい風が吹く
    緑が萌え立つ
    夜明のしらしらとした往来が
    石油色に光っている
    森閑とした五月の朝。

    多くの夢が煙立つ
    頭蓋骨(ずがいこつ)が笑う
    囚人も役人も 恋びとも
    地獄の門へは同じ道づれ
    みんな苛(いじ)めあうがいい
    責めあうがいい
    自然が人間の生活をきめてくれるのよ
    ねえ そうなんでしょう?


     夢の中で、わけもわからぬひとに逢う。宿屋の寝床で白いシーツの上に、頭蓋骨の男が寝ている。私をみるなり手をひっぱる。私はちっとも怖わがらないで、そばへ行って横になった。私は、なまめかしくさえしている。
     眼がさめてから厭(いや)な気持ちだった。
     寝床の中で詩を書く。
     納豆売りのおばさんが通る。あわてて納豆売りのおばさんを二階から呼びとめて、階下へ降りてゆくと、雨あがりのせいか、ぱあっと石油色に道が光っている。まだあまり起きている家もない。雀だけが忙(せわ)しそうに石油色の道におりて遊んでいる。何処からか、鳩も来ている。栗の花が激しく匂う。
     納豆に辛子をそえて貰う。
     私はこのごろ、もう自分の事だけしか考えない。家族のある、あたたかい家庭と云うものは、何万里もさきの事だ。
     こころのなかで、ひそかに、私は神様を憎悪する。こころやすく死んでしまいたいと唇(くち)にするような女がいる。それが私だ。本当に死にたいなんて考えないのだけれど、私はまるで、兎がひとねむりするみたいに、死にたいと云うことをこころやすく云ってみる。それで、何となく気が済むのだ。気が済むと云う事は一番金のかからない愉しみだ。
     死ぬと云えば、すぐ哀しくなってきて、何となくやりきれなくなる。
     何でも出来るような気がしてくる。勇気で頭が風船のようにふくらんで来る。
     昼から万朝報に行く。
     まだ係りのひとが来ていないと云うので、社の前の小さいミルクホールで牛乳を一杯飲む。人力車が行く。自動車が行く。自転車が行く。お昼なので、赤い塗りの箱を山のように肩にかついで、そばやが行く。かあっと照りつける往来を見ていると、肺が歌うなぞと云う詩を持ちあるいている自分が厭になって来た。誰も知らないところで、一人でもがいている必要はない。第一、大した駄作で、いまどき、肺のことなぞ誰も考えているものか……。空気を吸うことなぞどうでもいいのだ。
     ああ、金さえあれば、千頁の詩集を出版してやりたい。友達もない、金もない、只、亀の子のように、のこのこ日向(ひなた)を歩きまわっている。まるで私は乞食のような哀れさだ。だれもめぐんでなんかくれない。洟(はな)もひっかけやしない。ああ、わっと云うような景色のなかからお札は降って来ないかな。千頁の詩集を出してやる! 題は男の骨、もっとむざんな題でもいい。
     名もない女の詩なぞ買ってもらわなくてもいい。いまに千頁の詩集を出版しましょう。まるで仏壇のような金ピカ詩集! でこんでこんに塗りたくって、美しい絵を入れて、もう一つおまけに、詩集用のオルゴオルもつけてね、まず、きれいな音の中から、詩が飛び出して来るやつ……奇想天外詩集と云うものを出したい。どこかに、色気の深い金持ちの紳士はいないものかしら。千貢の詩集を出してくれれば、私は裸になってさかだちをしてみせてもいい。
     私はいつも、新聞社のかえり、悲しくなる。広い沙漠に迷いこんだみたいに頼りどころがないのだ。ぴゅうぴゅうと風の吹くなかを、私一人が歩いているような気がする。
     鬼でもいいから逢いたいものだ。慄(ふる)えてくる。歩きながら泣いている。涙と云うものは妙なものだ。ただの水、なまぬるい水、ぞっこん心がしびれてくる水、人の情のようになぐさめてくれる水、誇張の水、歩きながら泣くのはまことに工合がいい。風がすぐ乾かしてくれる。ハンカチもいらない。袂(たもと)も汚れない。
     鍋町の文房具屋でハトロンの封筒も買って、郵便局で封を書いて、肺は歌うを朝日新聞に送る。何とかなるだろうと云う空想だけの勇気だ。
     泣きながら歩いたので頬がつっぱるような気がする。匂いのいい文学的なクリームと云うやつはないかな。長い事、クリームもおしろいも塗った事がない。
     果物屋は桜んぼうの出さかり、皿に盛って金十銭。
     浅草に行く。
     やたらに食物店ばかりが眼につく。ひょうたん池のところで、茄(う)で玉子を二つ買って食べる。ハムスンの飢えと云う小説を思い出した。昼間からついているイルミネーションと楽隊、色さまざまなのぼりの賑(にぎ)わい。三館共通十銭也で、オペラに、活動に、浪花節(なにわぶし)。ここだけは大入満員のセイキョウだ。
     私は急に役者になりたいと思った。
     白いマントを着たイヴァン・モジュウヒン。なかなかよい男だ。泥絵具で、少々、イヴァン・モジュウヒンはにやけている。活動は久しくみた事がない。
     玉子のげっぷが出る。
     郵便局から出した詩はまだとどかないだろう。取りかえしに行きたくなった。詩を書くと云う事が、人生に何の必要があるのだろう……。早くかたづきそうらえ。何も云う事これなく候。ぽおっといつまでも明るい空。私は夜が好きだ。私は夜のように早く年をとりたい。早く三十になりたい。葬儀屋の女房になって、線香くさい飯を食うようになっているかもしれない。それとも、私は貧乏な外科医の若い学生と同棲(どうせい)して、もう生きたまま解剖してもらってもいい。私はねえ、この世が辛くなってしまったのよ。腹のなかを十文字に割って腸をつかみ出したら、蛆が行列していたって。私はどうせ、どぶのなかから誕生したのです。哀れまれる事はないのよ。何処にでもいる女なのよ。つまみぐいが好きで、悲劇が好きで、きどってる人間がしんからきらいで……だって、きどってる人間だって、女とも寝てるじゃないの。同じような事なんだけど、衣食住が足りれば、第一、品と云うものが必要になる。
     浅草はいいところだ。
     みんなが、何となくのぼせかえっている。躯じゅうでいきいきしている。イルミネーションが段々はっきりして来る。
     誰にでもある共通な、自然なこころの置場なのよ。三角の山盛りで、黄色に塗った五銭のアイスクリン。エエひやっこいアイスクリン! その隣りが壺焼。おでん屋は皿ほどもあるがんもどきをつまみあげている。
     十字の切りかたは知らないけれど、ああ神様と祈りたくなります。
     全心全霊をかたむけてエホバよ。
     プウシュキンは品のいい詩ばかりお書きになっていた。そして、人の魂をとろかすもの。私ときたら鼻もちならぬ。
     みんな自分が可愛いのだ。どなたさまも自分に惚(ほ)れすぎている。人の事はみえない。だから、私が、いくら食べたいと云う詩を書いても駄目なの。疲れてへとへとで、洗濯せっけんもないのよ。
     家へかえりたくない。
     一晩じゅう浅草を歩いていたい。
     鐘撞堂(かねつきどう)の後に、小さい旅館が沢山並んでいる。「あんた貫一さんはないのかい?」一人て呆(ぼ)んやり歩いている私に、旅館の番頭が声をかける。
    「十七、八となってるかな?」
     私はおかしくなった。浅草に夜が来た。みんな活々と光る。楽隊は鳴りひびく。風はまことに涼やかで、私のおっぱいが一貫目もあるほど重い。感性の気違い。一目みただけで、この娘、売物と云う表情をしている、安来節(やすきぶし)の看板に凭(も)たれて休む。何とも陽気な只ならぬ気配で、床をふみならす音、口笛を吹きたてる群集。あらえっさっさアのソプラノ合唱。日本の歌は原始的で、肉体的だ。のぼせあがっている。何もかもすべて、すべてがのぼせあがっている。
     鯉のぼりのようなのぼせかただ。たしなみのいいずぼんをはく事がきらいで、下帯一つで歩いている。もともとは原始民族なのだけど、一寸かぶれて火ぶくれをおこして来たのだ。
     かんたんな火ぶくれなのよ、ねえ、塗り薬でかためて調法であろう……。苦悩を売りものにしてみたところで、もともと偽の文明。第一イルミネーションの光りの方がむじひだ。皮を剥(は)いだ、底の底まで見透せる妙な光りかたである。美人が少しも美人にはみえない。光りの空、息苦しい光彩の波の中に、人はひしめきあっている。私もひしめきあっている。
     なるほど、日本は黄金島!
    47 min

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いよいよ最終章となりました。ご一緒にお楽しみいただければ幸いです。  えぷろん