ゲスト:宝牧舎 山地さん
宝牧舎のこだわりのひとつ、牛たちには名前をつける。そして、屠殺した後にお肉として売る時には、その名前も添えて売る。
「悲しくなって、美味しく食べられなくなるからやめて欲しい」という声もあるそう。
「でも、やっぱり、つけたいんですよね」
《ふつう》とは大きく違うこのやり方に、どんなふうにしてたどりついたのでしょう?
前回、離島で放牧畜産で牛を飼うことを、半ば偶然、スタートするところまでお話を聞きましたが、今回はその続き。
資本主義的な正義<あまりにも生産性が低いことはしない>ということ。
それと、出会った「放牧での牛飼い」はあまりにもぶつかり合うことを知ってしまった、山地さん。
毎日働いても、年間の売り上げが100万円に満たない先輩の農家さんたち。手取りは?
一旦は、牛舎で牛を飼い、地球の反対側で育った穀物を与える、通常に近い形での牛飼いをしますが、ずっと疑問は残ります。
「自分は、こんなにも自然に生きたいと思って、わざわざサラリーマンを辞めて、こんな田舎に住んでいる。どうして牛たちには、こんなにも不自然なことをさせているんだろう?」
通常の畜産、放牧での畜産の方法、両方学びながら模索。この大分の地で、宝牧舎をスタートしたのは牛を飼い始めてから12年後のことでした。
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絶対、大変だったでしょう。どんな熱い想いがあるんだろう?受け取る人に、何を届けたいんだろう?
質問してみたところ
「そんな、高邁なこと、考えてないですよ」とケロッと、どこか自虐的な山地さん。
「ただ、自分が、自然に生きたいってだけで。ただのわがままな、自己満なんじゃないかって思うことあります。だって、かわいいかわいいって育てた牛を、殺して食べてるんですから。正義感とか、いいことしてるとか、思えないですよ。」
そっか。食べることが、命をいただく=殺して食べる、ってことを私たちは、なるべくなかったことにして暮らしている。スーパーにずらりと並ぶ肉たちが命だったこと、知ってるけれど、そのエグさを麻痺させて忘れようとして生きている。
山地さんの「自然に生きたい」には、牛とも自然に生きたい。そして、生き物として生き物を殺めて生きることも、ないことにしない。そこにある残酷さもなかったことにしない。でも、それでも、人は「うめぇうめぇっ」て、ありがたがって、よろこんで肉を味わえるんだってこともなかったことにしない。ぐるっと丸めた、自然に生きたいなんだなぁ。
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アフタートークで(40分くらい話してた)
「自分の活動を、なんて言って伝えたらいいのか、わからないんですよ。言語化も苦手だし。でも、」と言ってた山地さん。
近々ぐるずぶ市に出てもらえることになったので、インタビュー&ディスカッションタイムを取ろうと思います。
みんなで、食べること、伝えること、経済活動することについて、お話できたらいいなぁ~。
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暮らす実験室のしほとまさしが
おしゃべりする「暮らす実験室ラジオ」。
2017年に東京から大分県竹田市に移住してきた私たち家族。
今では2つのシェアハウスを運営し
田舎暮らしとたくさんの出会いを楽しんでいます。
今の思考をはき出し、聞くひとと話すような時間になりますように。
https://www.instagram.com/kurasu_iki/