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By Naoyuki & Nava
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The podcast currently has 41 episodes available.
給食。それは、育ち盛りの学童・学生たちが、腹を満たすだけのものではない。食べる行為はすべての思想、文化、学術につながる。給食はゲイジツでも、マナビでも、テツガクでもあるのだ。
食べて学べ、食いながら迷え、咀嚼しながら彷徨え!
そんな給食は、今はどのような食べられ方がされているのか、どんなものが食べられているのか、好き嫌いのある子はどうしているのか、牛乳は鼻から出ているのか!
君は給食を、どう食べているのか!
そして、次はいつ給食が食べられるのか!
銭湯に石鹸を持って行くのを忘れた時、隣で体を洗うおっさんに「すんません。石鹸忘れたので一泡貸してくれませんか」と言えるか。
その言葉が言えて、石鹸を借りることができる銭湯は、その地域のコミュニティになっている。
石鹸を借りることができ、隣同士のおっさん、おばはんが背中を流し合う、湯船につかって相撲の話しができる、そんな銭湯は地域再生の種である。
銭湯を出た後も、身体も心も温かく、そんな気持ちが地域の将来を育んでいる。
そんな銭湯を遺していかなければならない。
銭湯は遺産になってはならない。
銭湯ちひろの神隠し、そんなことを言っている場合ではないのだ!
立ち上がれ銭湯。地域のために起ち上れ!
銭湯とは何なのか?高度経済成長期の家庭に風呂が無かったころは、健やかな生活を送るために銭湯があった。
その頃の銭湯は、地域の情報交流の場であり、人間関係を形成する場だった。
マイホームブームが訪れ、各家庭に風呂が備わった現在、銭湯の役目はどこにあるのか!
スーパー銭湯は、名のごとく、銭湯を超えているのか!
実は銭湯の方が、スーパースーパー銭湯ではないのか!
今、銭湯をめぐる深い世界への扉が開かれようとしている。
歌謡曲はその時代を映している。そして、その時代の文化も歌謡曲に影響を受けながら流れていくのか。
我々の幼少期から若い世代を過ごしてきた昭和中期から平成前期。歌謡曲によって時代は写し取られてきた。
しかし、現在も世は歌につられているのか?
これからも、世は歌につられていくのか?
その時代時代の文化を噛みしめながら、我々は歌を歌い続けるのか。それとも、歌わされ続けるのか。
令和前期には、これからの世がどう変化していくのか、立ち止まって振り返る必要がある!
最近、他人の名前を思い出さないことがよくある。昨日食べたものも思い出せない。そんな話はよく聞く。
最近の若い芸能人の名前や歌、グループ名や人数も覚えていられない。そんなもん、興味無いからどうでもええ、と済ませていいもんだろうか。
いや。ワシらの身体の中には、昭和、平成、令和を生きている時代の流れが息づいているが、やっぱり昭和の匂いが一番深いところに、DNAとして染みついておるのだ。
そうだ。今こそ、昭和の歌に帰らなければいけない。
成長期に聴き、歌ったあの歌。
その歌を胸に抱きながら、ワシらは令和に生きて行くのだ!
自販機VS無人販売。その戦いは、近年のあらゆる街道で起こっている。
自販機や無人販売の前に立つ者は、その自販機、無人販売屋台に試されている。
君は、その試練を越えることができるか!
私たちは、その試練を超えながら、昭和、平成を生き抜いてきたのだ!
自販機の前に人は無力になる。
自販機に人は試されているのだろうか。
自販機はモノを売るものではないかもしれない、概念を販売する異次元の機械かも知れない。
そんな自販機にカテゴライズされるのが、ジュークボックスだろう。ジュークボックスは、単に音楽を自動で販売するマシーンなのか、それとも人を試す試練のマシーンなのか、異次元から来たマシーンの本当の姿が明らかになる!
最近増加している冷食自販機。餃子、ホルモン鍋、ラーメンいろいろな冷食が自販機で販売されるようになってきた。
無人販売も自販機の一つのかたちかも知れない。
しかし、私たちは、エロ本やコンドーム、カップヌードルの自販機に育てられたことを忘れてはならない。
自販機には一種の後ろめたさもあり、ワクワク感もある。
そして、本当に希望した商品が出てくるのか?それとも今の自分に与えるべき何か違う物が出てくるのか?
そんな気持ちを抱えながら、今日も私たちは自販機と向き合うのだ。
四国山地には石積みのダムが残っている。その一つが高薮ダムであったが、稲叢ダムも郷愁を誘う石積みのダムである。
そんな石積みのダムは建設方法に独特の技術が必要だろう。
そして、そこには日本古来の技術も伝承されているのではないか。
段々畑、棚田、城郭に使われる石積み。
日本人が古来よりみ上げてきた技術は、近年にもダム建設として花開いているのか!
ダムについて対話を進めるのすたるじじーず久しぶりの投稿!
ダムカードを単に集めるだけのダムラー。
ダムにはダムの理由がある。
賛否両論あるが、ダムは必要性があって建造される。
ダムは人が造って人が使うもの。
そのダムについて語ってみる。
人にはそれぞれ思い入れの深いダムがある。だろう。
ワシら、新居浜人には鹿森ダムが心のダムである。
遠登志売店は、ダムのそばにあった売店。
https://eiai-works.at.webry.info/201008/article_30.html
そこまで、ワシは中学生の頃に半時から1年間、毎日ジョギングで走っていた。
そんな、思い入れのあるダムには今はループ橋ができ、別子、東洋のマチュピチュと相まって、ちょっとした観光名所にもなっている。
今回から、ダムについて、のすたるじじーたちが少し語ってみる。
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