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FAQs about お母さんのための原発資料探訪:How many episodes does お母さんのための原発資料探訪 have?The podcast currently has 15 episodes available.
June 01, 2014お母さんのための原発資料探訪(5) 規制値を違反したら罰せられるのか?「hibakubassoku20140129757757.mp3」をダウンロード このシリーズの(4)までで、被曝の規制は1年10マイクロシーベルトの「免除レベル」と、1年1ミリの「線量限度」があることがわかりました。これは法令で 決まっていますし、他人に危害を与える可能性があるので、違反した人には罰則が科せられます。 Bdcam_20110608_100047378 これは所轄官庁の文科省が「福島事故前」に大いに宣伝していたパンフレットの一部ですが、一般公衆の被ばく限度が1年1ミリであること、クリアランス・レベルを決めるための目安の線量が1年0.01ミリシーベルトであることがはっきり書いてあります。 私の記憶ではこのパンフレットは福島事故の起こる1年前ぐらいに出されたものと思いますが、直近に政府が出したものを、事故が起こったからと言って「1年1ミリってどこに書いてあるの?」と言ったり、「武田は一般人の限度が1ミリと言っているがけしからん!」とバッシングするのですから、政府も専門家もそうとうなウソつきですね。 Bdcam_20110608_100153894 ところで、1年0.01ミリを超えると犠牲者がでるのですから、国家としてはそのような危険なことをした人を罰しなければなりません。これも文科省のパンフレットですが、クリアランス・レベルを超えるものを無許可で扱った人は、罰金30万円から50万円だったのですが、これでは不十分だということで、国は、1年以下の懲役、300万円以下の罰金に罪を厳しくしました。 罰則が厳しくなったのは確か2010年(事故の前の年)ですが、それを決めた人は事故後、100ミリまで大丈夫と言ったり、福島で「被曝を怖がるのは間違い」などと言った人なのです。それに最終的に決定したのが政府ということですから、朝令暮改というか、ご都合主義というか、かなりのものです。 この1年0.01ミリという「目安」から計算すると、物品の場合、おおよそ1キロ100ベクレルになります(明記してあります)。だから、1キロ100ベクレル以上のものを運搬したり、取り扱ってはいけないのですが、環境省はがれきを捨てられないので、80倍の8000ベクレルまで上げたり、汚染されているものを取り扱ったりしています。 検察は何をしているのでしょうか? 法治国家は役人だけは無罪などという規則はありません。一般の日本人を懲役1年以下にすると言っておいて、自分たちの都合が悪くなったら、役人だから逮捕しないというのでは法治国家の検察のメンツやプライドゼロという感じです。 1年0.01ミリを超えてもこのぐらい厳しいのですから、1年1ミリを超えれば、さらに厳罰が科せられるということです。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とはよく言ったもので、日本人、全体で自分たちの約束を反故にして、法令を守ろうとした人に「黙れっ!」と言ったり(石原元知事)、「ヒステリー」と言ったりしたのですから、品性を問われますね。 (平成26年1月27日)...more8minPlay
June 01, 2014お母さんのための原発資料探訪(4) 1年1ミリと「正当化の原理」「20140128950950.mp3」をダウンロード 先回の探訪で、1年1ミリは「安全」ではなく「我慢できる tolerable」被曝量であることを書きました。つまり「100ミリまで大丈夫」という人もいますが、世界的に、また日本の専門家でも100ミリどころか、1年1ミリすら「大丈夫」ではないとしているのです。 それではなぜ、法令は1年1ミリまでOKとしているのでしょうか? 民主主義の社会ですから、国民が「理由なく我慢する」ということはありえません。この点、日本はまだ封建的思想が残っていますが、欧米はみずからが戦って獲得した国民の権利はしっかり守ろうとします。 そうすると、「どういう理由で我々は危険を承知で我慢しなければならないのか?」と聞かれたとき、日本のように(たとえば石原元都知事)「黙れっ!」などといえば、それは野蛮なのです。 そこで国際的な委員会であるICRPは、「我慢しなければならない被曝は、それが正当化される範囲に限定される」としました。これを「正当化の原理」と言います。この正当化の原理はきわめて明確な原理なので、英語で書くと厳密に定義できます。そこで少しややこしいのですが、ICRPの公式書類を日本語に翻訳した文章を示します。 Bandicam_20140127_134133635 ややこしいですね。でも、よくよく読むと簡単で、「被曝は害だから、それを変化させる時には、害に見合う便益が必要だ」ということです。「一般の人に我慢させるのだから、それに見合う利益がいる」ともいえます。 どの程度の我慢が、どの程度の利益とイコールになるのかは、その国によって違うので、世界的には「考え方」だけは明確に書くことができるのです。この約束は現在のところ、ほぼ全世界の国が合意していて、もちろん日本も同意しています。 日本では、害と便益を次のようにしています。1)害=1年8000人の致命的発がんと重篤な遺伝性疾患の発生2)益=6000万キロワットの原子力発電・再処理・貯蔵や放射線利用 「そんなこと、だれが決めたんだ!」と怒る人もいると思いますが、これは放射線審議会などの国の機関で専門家が決め、国のしかるべきルートにしたがって認められているものです。 今後、たとえば原発がなくなると、放射線利用だけになりますので、国民の便益が減るので、現在の1年1ミリからかなり低くなると思います。いずれにしても、線量限度と言うのは「大丈夫」というのではなく、「危険だけれど我慢する」という量であることがわかります。 そして、1年8000人の犠牲者ということが決まれば、それはいったい、1年に何ミリシーベルトの被ばくに相当するかということを学問的に決めなければなりません。それは国立がんセンターから発表されている次の表でわかります。 Bandicam_20131011_091325182 この表では専門家が使用する数値(10万人当たりの犠牲者数)が書かれていて、1年1ミリシーベルトで、10万人当たり致命的発がんが5人、重篤な遺伝性疾患が1.3人で合計6.3人となっています。これを1270倍(1億2700万人)すると日本人全体になり、約8000人ということを意味しています。 つまり、1年1ミリという限度は、6000万キロワットの電気をもらうので → 1年8000人の犠牲者は我慢する → それを専門家に聞いたら1年1ミリというということで決まっているのです。 だから、どの法律でも、どの装置でも、原発、廃棄物、アイソトープなどすべてのものがこの数値以下にならなければいけないことが分かります。また、1年1ミリというのは「個人の被ばく量」ですから、たとえば原発からの放射線だけなら、それだけで1ミリなら良いのですが、外部から被曝し、食品から被曝しというような場合はそれをすべて合算した被曝が1ミリでなければならないのも、容易に理解できます。 よく「1年1ミリって外部被曝だけですか?」と聞かれますが、ここまで説明してきたことで良く理解できると思いますが、「数値は人間の健康の方から決まっている」ので、外部でも内部でも、なんでも、個人の人が被曝するものを合計したものであることも理解できます。 (平成26年1月27日)...more10minPlay
June 01, 2014お母さんのための原発資料探訪(3) 1年1ミリは「安全」なのか?「2014012311181118.mp3」をダウンロード 原発事故の後、「1年何ミリまで大丈夫なのか?」という番組、記事、雑誌の特集などどのぐらいあったでしょうか? そのたびに「専門家」という人が登場し、時には「武田は1年1ミリなどととんでもないことを言っている」というような人まで登場しました(私は正しいことを言っているので、批判されても平気ですが)。 でも、日本というのはそれほど野蛮な国と思っているのでしょうか? これほど原発があり、放射線の利用が進んでいて、レントゲン検査なども多いのに、「国民が被曝しても良い限度」が法令で定められていないと言う専門家が出てきたことには驚きました。 2年ほどたった昨年にはさすがに「法令で決まっていない」という人はほとんどいなくなりましたが、まだ「事故時の被ばく量は決まっていない」とか、相変わらず「専門家に被ばく限度を聞く」という特集も見かけます。 でも、日本は文明国で法治国家なので、原発や放射線の利用をする限りは、被ばく限度(線量限度)は当然、定められています。日本政府がいくら悪辣であるとしても(そんなことはありませんが)、国民を守る法律ぐらいは作ってあるのです。 それが「1年1ミリ」であり、特に非常時とかの区別はありませんが、原子力安全委員会の通達では「最大事故でも5年合計で5ミリまで」とされていて、非常時では1年に4ミリ浴びてしまったら、避難などしてその後の4年を何とか合計で1ミリで抑えるという考え方になっています。 それでは「1年1ミリ以下」なら「安全」なのでしょうか? これもかなり頻度高く質問を受けるものですし、お子さんを持つお母さんの不安でもあります。そこで、まずは国際的な取り決めの内容を紹介します。 Icrp 先入観があるとなかなか理解しにくいのですが、被曝のレベルは2つに分けて決められていて、1)免除レベル、2)線量限度、です。「免除レベル」というのは普通は「安全だ」と言われる数値で、日本では1年0.01ミリシーベルトの被ばくとされていて、「クリアランス・レベル」とも言います。 このような基本的な「考え方」は国際的に決まるので、もともとは英語で表現されます。「免除レベル」というのも「安全だ」というのではなく、”acceptable”と”tolerable”の間という定義です。これを日本語に訳すと、「受け入れられる」と「我慢できる」ということです。 「受け入れられる」というのは全く被害がないということではなく、自然の中で普通に生活していたらいろいろな危険(雷、嵐、台風など)がありますが、その程度ということです。数字でいえば、日本では1年に100人程度の犠牲者という感じです。 「免除レベル」というものの考え方を国際的に決めて、具体的な数字は各国で決める理由は、あまりに危険な状態にある国では1年1000人でも「まあまあこのぐらいは受け入れられる」と思うかもしれませんし、国土が完全に作り上げられ、自然災害もほとんど無くなった国では、1年10人でも「そんな危険なことは受け入れられない」というかも知れないからです。 日本でこの免除レベルは1年0.01ミリシーベルトですから、1年10マイクロシーベルトになります。たとえば福島のあるところが1時間1ミリシーベルトの空間線量率とすると、わずか10時間で1年分を被曝することになります。つまり、低線量だから「大丈夫」ということは、原発事故までの日本では「専門家のうち、ほとんど全員が言わなかったこと」です。 免除レベル(1年10マイクロ)と線量限度(1年1ミリ)の間は、 ”tolerable”、つまり「犠牲者は出るけれど、我慢できる」という状態です。つまり被曝によってある程度の犠牲者が出るけれど、それは仕方がないとして「我慢しよう」ということです。 つまり、「原発で電気ができて、それを利用するのだからある程度の人が犠牲になっても良い」ということで、「1年1ミリが安全だ」ということではありません。これを「正当性の原理」と言いますが、これについては次回にじっくりお話します。 (平成26年1月23日)...more12minPlay
June 01, 2014お母さんのための原発資料探訪(2) 被曝と国民の防御「2014012010391039.mp3」をダウンロード 原発事故から3年。それぞれの人がいろいろな思いをもって生活をされていると思います。その中でこれまでのこと、これからのことを考える場合、やはり「人に聞く」より「自分で判断する」ことが大切と思います。 そこで、このシリーズでは原子力関係の資料をもとに、だれでも自分で原発や、被曝、健康のことが考えられるように、思想にとらわれず科学的立場から具体的に解説をしていきたいと思います。すこしまどろっこしいと思いますが、ぜひ、連続してお読みください。 第二回目は、「国民を被曝から守る法律はあったのか?」ということで、これは「自分や子供が何ミリシーベルトぐらい被曝したが大丈夫なのか?」を考える基礎になるものです。 ・・・・・・・・・・・・さて、日本が原発をやるにあたって国民の間で合意しているのが「原子力基本法」ですが、原発を運転するのですから、万が一の時にも、普段でも危険性があります。そのために「国民を被曝から守る」必要があり、そのために原子力基本法の第二十条に「放射線による障害の防止」という基本的な条文を置いています。 Bandicam_20140117_112508901 事故から3年も経って、まだ「日本には国民を被曝から守る法律などない」とか、「1年100ミリまで大丈夫」などということを、政府、自治体、マスコミばかりか専門家や評論家まで口にしています。私が最近、心配していることは、1)放射線とか被曝の専門家に詳しく聞くようなことが行われている、2)自然放射線とかラジウム温泉と比較して大丈夫という人がいる、3)相変わらず食材が危険(このことは次の機会に詳しく説明します)、などがあります。 放射線の専門家が、ご自分のご意見を言うようならあまり聞いても参考になりません。もし専門家が「法令でこのように決まっている」と言われれば、信用できます。この関係がむつかしいので、まず箇条書きにします。 被曝すると健康に被害があることはわかっています。被曝したら健康になるという「学説」もありますが、「学説」は「きわめて危険」から「健康に良い」までありますから、話を聞いても意味がありません。どのぐらい被曝すると、どのような健康被害がでるという「学問的な結果」はまだ得られていません。だからと言って、学問的なデータがないということはありません。この関係を理解するのがもっともむつかしのですが、「研究はされているが、まだ結果がでていない」ということと理解してください。「被曝と健康の関係はまだ結果がでていない」のですから、原子力などやってはいけないのですが、役に立つのでフライングで原子力を実施していると理解するのがもっとも正しい理解です。「結果が出ていない」のに「原子力を実施する」という矛盾を解決するために「世界、日本の関係の学者を総動員して、現在の時点でできるだけ正しい数値を仮決めしておく」という方法をとっています。だから、まあまあ学問的な力のある人は「法令で決まっている数値を決めるときに参加している」ということです。したがって「1年1ミリ」以外のことを言う専門家や評論家は、(審議会や委員会に呼ばれないほど専門的知識がない)か、(審議会や委員会で自説を述べたけれど少数意見だった人)か、(原発事故を小さく見せるためにウソをついている人)ですから、相手にしないほうが良いと思います。 どういう理由で法令の数値が1年1ミリに決まっているのか、なぜそれが法令にわかりやすく書いていないのかはこのブログにすでに出していますが、またさらにわかりやすく解説したいと思います。 (平成26年1月20日)...more11minPlay
June 01, 2014お母さんのための原子力資料探訪(1) 原子力基本法の精神「2014011811241124.mp3」をダウンロード原発の再開が本当の意味での日本の将来を左右する大きな問題になってきた。このブログでは思想的に左右に偏することなく、「いったい、私たちはどのようなことをしてきたのか、原発とは何なのか、どうするべきなのか」ということを初心に帰り、重要な「資料」の断片を参考にしつつ、整理を進めていきたいと思う。 つまり、このブログは「原発反対だからこうする」とか「原発推進だからこの資料」というのではなく、損得もなく、純粋に日本民族のために整理をして多くの人の参考にしてもらいたいと思って書くことにする。私は学者だから、あまりにも当然のことだが、現在の日本では学者も「何かのためにする」という傾向があるので、ここで断っておきたい。 第一回は原子力基本法の精神だが、このシリーズは必ずしも「基本から」というのではない。たまたま第一回が基本法になったということだ。 Bandicam_20140118_065440375 日本の原子力は「原子力基本法」によっている。もともと法律というのは「お上が決めて国民に強制する」というものではなく、民主主義では「国民同士の約束」であり、お上と言われる公僕(役人)は国民同士の約束を守るために仕事をする。 特に基本法は、国民同士が「こうしよう」という精神的で基本的なことを決めるのだから、それを役人(公僕)が勝手に変えたり、解釈したりはできないものである。 Bandicam_20140117_112353449 原子力には「自主、民主、公開」という3原則があり、それが法律の第二条に(基本方針)として明記されている。現在では「えっ!原子力は公開なの? 秘密が大切なんじゃないの?!」と驚く人が多くなったが、皮肉なことに私が人生で「なんでも公開するのは大切なことなのだな」と知ったのは原子力の会議だった。 40歳代の第一線の研究者だった時、はじめて国の原子力の委員会に出席した。委員会に行くと傍聴席やマスコミ席があって「公開」になっている。私はびっくりして「原子力が公開なんですか?」と思わず聞いた。 その時に私を紹介してくれた人が、「武田さん、原子力はすべて公開なんです」と教えてくれた。今ではこのような「創業者魂」はすっかりなくなり、官僚主導で「いかにして隠すか」ということに終始している。 日本は広島、長崎の原爆を経験し、原子力をやるなら、平和利用に限り、現実にそれを達成するために、民主的に進め、アメリカなどに影響を受けずに自主的であることを守り、さらに公開を原則とするということになった。それが「国民の約束」であり、官僚はそれを守るために私たちが税金で雇用している。 私は原子力の公開の原則を知り、現実に「なんでも公開」の世界を経験すると、それまで何かと秘密にしてきたことの多くが実は必要がないことを知った。のちに大学に移り、建築の橋本先生から「教授会の公開の原則」を学び、私の人生に大きな影響を与えた。 つまり、原子力や教授会を知らなかった私は、世間の常識に従って自分に不利なものや公開しなくても良いものは秘密にしていた。でも、現実に人間は言ったことすべてを覚えているわけではないので、いったん、隠し始めると発言するときにいちいち、「どういったかな、これは言ってよかったかな?」と考える必要を生じた。 ところが、特に個人的なこと以外はすべてそのまま言うようになって、一つは頭がすっきりして物事の整理ができるようになったこと、第二にすらすら言えるようになったという大きな進展があった。 さらにそれを続けていると、「武田さんは素直な人ね」か「正直だ」と言われるようになり、信頼感も上がってきた。何しろ秘密がないので、いつもすっきりしていて言うことがつじつまがついている。どんな複雑なことでも「自分が正しいと思っていることをそのまま言う。損得を考えない」というのだから気楽なものだ。 でも、私が「すべて公開」という原則を学んだ原子力の方は、少しずつ少しずつ公開の原則が守られなくなってきて、今から20年ほど前には、秘密だらけの原子力村になってしまった。もちろん、それが福島原発が爆発した一つの原因となっていて、原子力は自らが自らの首を絞めることになったのだった。 福島原発の事故が起こった後、科学的事実どころか、原子力の法律で決めてあることや、かつて原子力安全委員会が出した指針まで「何とか国民に知られないように」と隠す役人や専門家、はては情報を業としているマスコミまで出現するようになった。 もう一度、原子力は「民主、自主、公開」の原則に帰るべきだし、原子力の発展にはそれが一番良い。 (平成26年1月18日)...more12minPlay
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