前回の続きで、今回は1/25まで原宿CCBTで開催しているSIDE CORE「新道路」/ 近美「アンチ・アクション」について話しました。ちなみに東京五輪は1964年です💦
podcastの中でグラフィティの違法/合法性の話が出てきますが、こちらに少し補足をすると、SIDE COREの関心は、それらを超えたところにあるということを言いたかったです。物事の捉え方として、ストリートカルチャーの「違法性こそが本質、その他はフェイク」と言ったり、その「違法性」をアイデンティティとして掲げるのは分かりやすいですが、「道路」や「ストリート」は、そうした合法性/違法性を超えた場所にすでにあるわけです。これは私の見解なのでSIDE COREを巻き込まないようにと思っていますが、誰かが管理している道、そうして建設された道路、ダムといったインフラは、私たちが生きる現実の中に組み込まれている。そこからどこに繋がるのか。それらと人間と、どう生きるのか?そうした視点に立った時、違法性をアイデンティティとすることは、むしろ自分の生きる行動を窮屈にすることになる。
もちろん、規制から自由になること、そもそも自分が自由に「生きている」と感じている行動そのものが、誰かや制度の恣意的な操作のもとにあるという話や、それをどのように可視化し、どのようにそこから抜け出すのか、という話が尽きることはないし、面白さもある。ただ、そこだけに留まった視野というのは、逆に自分の行動を狭めているのではないかと思うようになりました。
「規制」というのは、ある意味、自由側が一致団結するための共通的でしかない。こうした内容に注意を払うこと自体が、やりたいことではない。この地球で、この土地で、この地面で、どう生きるのか。人工的に計算され繋がっていく道路、自然の力を利用して回るエネルギー、それらをひっくり返す大地震。そんなリアルとどう付き合うのか?
気をつけよう、とかいう説教的な話でもない。ただ、どう在るのか?どうその中で遊べるのか?どう遊ばないのか?どう歩くのか?どう走るのか?どう捉えるのか?そんな視野が、SIDE COREにはあるように思います。
ということを書いておきたかったです。
あとアジアのグラフィティについてはPan Liuさんなど、すでに同じ関心を持った(そしてさらに発展した)先行研究者がいて、やり尽くされていました(なぜか女性が多い気がする)💦