長野県小県郡青木村。山々に囲まれた静かな村の一角に、大法寺があります。その境内の小高い場所に立つのが、国宝・大法寺三重塔です。
高さ約18メートル。巨大でも、華やかでもありません。しかし、この塔を訪れた人々は、帰り道で思わずもう一度振り返ったといわれています。その美しい姿から、いつしか「見返りの塔」と呼ばれるようになりました。
なぜ、この塔は人を振り返らせるのでしょうか。
その答えを探るには、700年近い歴史をたどる必要があります。
大法寺の歴史は、現在の三重塔が建てられるよりもはるか以前にさかのぼると伝えられています。古い創建伝承も残されていますが、長い歴史を持つ寺院では、後世に伝えられた伝承と、史料や建築物から確認できる歴史を区別して考えることも重要です。
少なくとも、大法寺が長い年月にわたり、この地域の信仰の場として受け継がれてきたことは確かです。かつて寺は、現在のように文化財を鑑賞するだけの場所ではありませんでした。人々が祈り、死者を弔い、地域の人々が集う場所でもありました。
現在の三重塔が建立されたのは1333年、正慶2年です。
この年、日本では鎌倉幕府が滅亡しました。およそ150年続いた武家政権が終わり、社会が大きな変動の時代へ向かおうとしていました。
その同じ年、現在の青木村では、職人たちが木を組み、柱を立て、屋根を重ね、一つの塔をつくっていました。
日本の政治体制が崩れようとしていた時代に、700年近く後まで残る建物が生み出されていたのです。
さらに興味深いのは、この塔が決して孤立した山村の中だけで生まれた建築ではなかったことです。
塔に残された墨書などから、その建設には大阪の天王寺と関係の深い技術者たちが関わったと考えられています。
新幹線も高速道路もない時代、人々は長い距離を移動し、それとともに建築技術や文化も移動していました。大法寺三重塔は、青木村と遠く離れた地域との文化的・技術的な交流を今に伝える存在でもあるのです。
では、なぜこの塔はこれほど美しいのでしょうか。
大法寺三重塔は、伝統的な和様を基本とする三間三重の塔です。大きな特徴の一つは、一番下の初重が比較的大きくつくられていることです。
下部には安定感があり、二重、三重へと上がるにつれて、塔は軽やかに引き締まっていきます。細く整った軸部と深く伸びた軒によって、繊細さと力強さ、軽快さと安定感が同時に感じられます。
また、上層では「三手先」、初重では「二手先」と呼ばれる異なる組物の構成が用いられています。こうした建築上の工夫が、塔全体の独特な均衡と美しさを生み出しています。
しかし、訪れる人は建築の専門知識を持っているから振り返るわけではありません。
まず「美しい」と感じる。
そして、その後で「なぜ美しいのだろう」と考える。
大法寺三重塔の魅力は、知識がなくても感じることができ、知識を得ればさらに深く見ることができる点にもあります。
そして、この塔の美しさは、建物だけでは完成しません。
三重塔は小高い場所に立ち、周囲を木々と山々に囲まれています。境内を歩くにつれて、木々の間から見える姿、近くから見上げる姿、離れた場所から自然の中に溶け込む姿へと、その印象は変わっていきます。
春の新緑、夏の深い緑、秋の紅葉、冬の雪。
塔は同じ場所に立ち続けていますが、その風景は常に変化しています。
一枚の写真だけでは分からない美しさ。歩き、近づき、離れることで初めて感じられる美しさ。
それもまた、「見返りの塔」の魅力なのかもしれません。
そして、もう一つ忘れてはならないことがあります。
1333年に建てられた木造建築が、現在まで残っていることは決して当たり前ではありません。
日本には、雨、湿気、雪、地震、そして火災があります。木造建築は、建てた後に何もしなくても700年残るものではありません。
傷んだ場所を修理する。
屋根を守る。
木材を確認する。
寺を支える。
文化財として調査し、次の世代へ受け渡す。
大法寺三重塔は、1333年の職人だけが残したものではありません。
その後の何世代もの人々が、「この塔を残したい」と考え、守り続けた結果として、今ここに存在しているのです。
この塔が完成して以来、日本は大きく変わりました。
鎌倉幕府の滅亡。
南北朝の動乱。
室町時代。
戦国時代。
天下統一。
江戸時代。
明治維新。
近代化。
戦争と復興。
新幹線、インターネット、そしてスマートフォンの時代。
人間の世界が大きく変化する間も、三重塔は青木村の丘に立ち続けてきました。
私たちは塔を見ています。
しかし別の見方をすれば、この塔のほうが、700年近くにわたり、何十世代もの人間を見送ってきたともいえるでしょう。
「見返りの塔」という呼び名は、正式な建築名称ではありません。
人々が帰り道で、もう一度振り返った。
その小さな行動が何度も繰り返され、やがて塔を象徴する名前になりました。
私たちは、心に何も残らなかったものを振り返ることはありません。
一度見ただけでは足りない。
離れて初めて、もう一度見たくなる。
それが「見返りの塔」なのです。
現代の私たちは、毎日、スマートフォンで世界中の美しい風景を見ることができます。しかし、大法寺の三重塔は700年近く、同じ場所に立っています。
こちらが歩かなければ、見え方は変わりません。
近づく。
見上げる。
周囲を歩く。
少し離れる。
そして、振り返る。
もしかすると「見返りの塔」は、建物を見る方法そのものを私たちに教えているのかもしれません。
急がないこと。
一度見ただけで終わらせないこと。
離れてから、もう一度見ること。
人はなぜ、この塔を振り返るのでしょうか。
美しいからでしょうか。
それとも、700年という時間の中で、私たちが塔を見ているのではなく、ほんの一瞬、塔のほうから私たちが見つめられているように感じるからなのでしょうか。
答えは、人によって違うのかもしれません。
ただ一つ確かなことがあります。
大法寺の三重塔は、700年近い時を超え、今も人々を振り返らせています。